ひとつの技法にはそれを支える身体観があり、その身体観にはそれを支える世界観がある。ソマティック心理学協会のWebページにいくと、ソマティックワークと呼ばれている、さまざまな技法が列挙されていて、そのなかほどに「野口整体」が顔を出している。つまり、大きな括りとしてボディというジャンルがあって、その中に多くの技法が包含されているという図式なのだ。
ここにきてやっと、僕のソマティックへの違和感の源が見えてきた。それぞれの技法が、それぞれの世界観の上に立っているのであれば、その世界は技法の数だけあり、それぞれの世界の中で、誕生から死に至る生を営んでいけばいいだけの話であって、徒党を組む必要などはじめからないのだ。それとも、ひとつの技法からもうひとつの技法へ引っ越ししていく、あるいは並列させていくことが可能であると考えているのであれば、ちょっとお人好しが過ぎるのではなかろうか。整体の世界の住人として、ソマティックの会を前にそんなことを考えた。
さて明日はなにしようか。「まなざす」がテーマなので、等持院の稽古会の人たちに付き合ってもらって、仕込みにかかったのだが、結局のところ、どう自分の体を観るかという一点に絞り込まれた。つまり、内観の世界。与えられた時間は75分。さてどこまでできるかな。