2024年2月28日水曜日

2月の読書

ほびっと 戦争をとめた喫茶店 中川六平 講談社 2009
 はじめて岩国に行ったのは1977年のことで、韓国の労働運動を支援するアメリカ人運動家にくっついてソウルに向かう途中だった。そこにもうほびっとはなかったけれど、セレンディピティという喫茶店があったと記憶しているのだが、定かではない。舞台になっているのはベトナム戦争末期の基地の街岩国。ベ平連も活動拠点として作られた喫茶店のマスターとして大学生の中川六平くんが京都から移り住むことになる。奮闘記であり挫折記でもある、70年代前半の空気が活写されている。著者中川六平氏(1950-2013)の「いちご白書」。

中井久夫 人と仕事* 最相葉月 みすず書房 2023

スノードロップ* 島田雅彦 新潮社 2020
 島田雅彦 とか平野啓一郎 とか文壇に連なってそうな有名どころの人たちの書いた小説って読んだことがない。たまたま図書館の返却ラックに並んでいたので借りてきたこの「スノードロップ 」、皇室を舞台とする思考実験的な小説なのだが、意外に面白かった。直近で天皇制が危機に瀕したのは安倍政権の時代であったが、この時期の皇室の置かれた状況をうまく小説化している。最後はアメリカ大統領まで登場させるドタバタ喜劇風になっていく。スノードロップ妃にはもっとダークヒーローとして活躍してほしかったな。

天路の旅* 沢木耕太郎 新潮社 2022
犬橇事始* 角幡唯介 集英社 2023
 一人の男はグリーンランドの氷原を犬橇で四苦八苦しながら走っている。もう一人の男は、80年前、ラマ教の巡礼僧に扮して中国奥地の砂漠地帯を駱駝と共に歩き、チベットからインドへヒマラヤを徒歩で超えていった日本人密偵の足跡を辿っている。両者スケールデカすぎて目眩してくる。

身の維新 田中聡 亜紀書房 2023
 どのような医学こそが「国民という身体」を作るのによりふさわしいのか。明治政府が国家モデルを西欧列強に求めた時点で、漢方、皇医道に勝ち目はなかったということか。しかし、国家が強いる身体観からはみ出たものこそが「身体」なのだ。田中聡 さんの代表作になるかもしれない。

2024年2月27日火曜日

十三佛行「種袋」

来月3日、「片桐ユズルさんを偲ぶ会」をやるという。
やるというか、実行委員会に組み込まれていて、準備段階から関わっている。

この会を前に、ユズルさんに縁のある連句仲間三人で十三佛行
をやろうということになり、今月に入ってから巻きはじめた。
歌仙に比べ短いものなので、十日ほどで巻き上がった。

なかなかよいものが出来上がり、「種袋」の巻と名付けることにした。
せっかくだから「偲ぶ会」で皆に配るのはどうだろうと提案したところ、賛同を得た。最初は、コピー用紙に印刷してペラで渡せば良いだろうと考えたのだが、当然のことだけど安っぽい。せっかく配るのであれば、少し厚手の紙に両面印刷して、それを二つ折りにすれば冊子っぽくなるのでは。どのフォントを使おうか、サイズはどうしようか。紙の色はどうしよう。こういう作業は楽しくて、最後の折りの作業も、また楽しい。

連句の先生まで巻き込んで進めるうちに、先生の息子さんがかつて「ほんやら洞」でバイトしていたということまであらわになって驚いた。当日は、この十三佛行をベースに、頼まれているスピーチをやるつもりだ。


予告 身体教育講座

座学 からだを失くした現代人のための身体教育講座

    野口晴哉の整体育児論を参照軸にして


 これから結婚するという人がいたので、ちょっと気が早いとは思ったけれど、お祝いに晴哉先生の「育児の本」を差し上げようと本棚を探ったら一部も残っていない。出産間際で駆け込んできた方に譲ったばかりだった。整体協会の本部に問い合わせてみたら、なんと在庫切れだという。これは困った。


 であるならば、自力で育児講座をやるしかない。僕自身の子育ては1988年、娘が生まれたときにはじまる。稽古場が始まった年のことで、整体の稽古と子育てが並行して進んでいった。幸か不幸かーいやまったく不幸な出来事が始まりだったのだがー数年前から孫育てに図らずも深く関わることになり、それは今も進行中である。そこらへんの体験もふまえ、もう一度、子育てについて考えてみようと思う。


 野口晴哉の育児論では、ヒトが成長するとはどういうことなのか、ヒトが体験し学ぶとはどういうことなのか、そのあたりの根源的なものが説かれている。ならば、育児の現場にいる人のみならず、体を失っているーつまり、からだとの付き合い方がわからなくなっている多くに人にとっても有用な話になるのではないのか。今回、あえて稽古場を出て、近所の喫茶店の片隅をお借りしてはじめてみようと思う。座学でどれだけのことを伝えられるのか、不安である。


 日時 4月24日(水) 夜(時間は確定していません) 

 会場 スウィングキッチンYour 右京区龍安寺衣笠下町29

 会費 未定       

2024年2月11日日曜日

禁糖2024

禁糖前半戦終了。
今年はなぜか肉食系に変身。
毎日のように肉買ってきて食っている。
一昨日は、普段買ったことにない鶏の骨付きもも肉を焼いて齧りつき、
昨日など、カセットコンロの上に鉄板を載せて一人焼肉。
ちょっと胸やけしてしまった。
糖分を油で補おうとしているのだろうか。
菜食の連れ合いは、ひたすらチーズ。
いつものことだが、量に対する「適」がまだ大雑把すぎるのだ。
さて、あと一週間。

2/9 
禁糖明け。さっそくザッハトルテの箱を開け、8分の1に切り分け皿に載せる。フォークでひと口食べる。美味い。ふた口目を食べる。おいしい。三口目を口にしたところで、首をかしげる。もう、これ以上食べられない。一切れのまだ半分も食べていない。なるほど、度合いを知るとは、そういうことなのだ。砂糖はすぐにエネルギーになるとは知っていたが、確かにその通りだ。飢餓感は雲散霧消し、食事の量は半減。渇望していたコーヒーも一回飲むと充足し、また紅茶中心に戻る。わが家の主たる食事はもともと禁糖食であることを確認。さて、この度合いに対する感受性は、どれくらい保持されるだろうか。

2024年2月8日木曜日

ザッハトルテ

 禁糖がもうすぐ明けそうという2月7日、郵便屋さんが海外からの小包を届けてくれた。ずっしりと重い。差出人は、先月、僕のところを訪ねてきたオーストリア人女性。鮮やかな包装紙を開けると木の箱が現れる。そして、その箱の蓋を開けると、でかいチョコレートケーキ。本家ザッハトルテ! 添えられていたメッセージカードには、「早めにお食べください」とある。そんなこと言ったって、まだ禁糖明けてないのだ。

 その女性が訪ねてきたのは1月の半ば。どのように、僕のところにたどり着いたのか不明なのだが、東京でダン先生とも面会したとのことだったので、整体協会を知る人が間にいることは間違いがない。ヨーロッパで活動していたキシさんという治療家に師事していたことがあり、ウイーンで開業しているという。ちょっと聞き齧っただけで、すぐに自分の仕事に使おうとしたり、野口晴哉の弟子を名乗ったりという手合いは洋の東西を問わず多い。なので、ちょっとお茶を濁すつもりで、かといって誤解されることは極力避けるように対応していった。

 そういえば、ドイツ人の知り合いは大勢いるが、オーストリアの人って会うのは初めて。中身の詰まった体が現れるのかと思いきや、意外に柔らかい。はじめてきた人と必ずやる、指に集注する、指の間の空気に集注するといった稽古からはじめてみた。

 話が通じる感じというのはなんだろうね。英語を共通語として会話していくのだけれど、通じる感がある。ノンバーバルなものに対する感覚がちゃんと育ってる人だったから、僕の拙い英語であっても、十分理解してもらえたのだと思う。2時間ほど稽古したら、次の日も来てよいかという。2日目終わったらもう一日。なんと3日間連続で現れた。ほんとは会員外指導はしちゃいけないことになっているのだが、乞われたらnoといえない。

 海外における整体の伝播の仕方って不思議。そもそも、整体協会がコントロールできる類のものではない。晴哉先生の時代に津田さんがフランスで、眞峰さんがスペインで、それぞれ活動を始め、そのあとには竹居さんがドイツで始める。その他にも、いろんなかたちでヨーロッパには入ってるはずだ。いつか事務局にスウェーデンの人がやってきて、「スウェーデンのインテリはみんな活元運動をやってます」と話していたという逸話ーそんなわけねぇだろうーがあるくらい。以前なら、そりゃいかんだろうという整体協会的な考えを僕もしていたのだけれど、いまはもう、「勝手に進化しろ」という意見である。

ああ、禁糖明けが待ち遠しい。



スマホは必要か? 続き

12月にスマホは必要か?という文章を書いた。
ひょっとして、このまま脱スマホも可能ではないか、とも思った。

が、結論からいうと、スマホは使い続けている。
緊急連絡用に携帯はあった方がいいだろう。
最近は、認証のためショートメールを使うサービスも増えてきた。
スマホによる電子マネー利用を強引に推し進めているコープの戦略にも抗しきれない。

となれば、挙動不安定なiPhoneを諦めるしかない。
つなぎとして、ネットの中古専門店で見つけた rakuten miniという超小型のAndroid端末を試してみることにした。

はじめてのAndroid端末。余分なアプリはどんどん削除して、通話とメールとメッセージ専用の端末にしていった。ともかく軽くて小さい。胸ポケットにすっぽり入るくらいの大きさ。心配なのは電池の持ちだが、待ち受けだけなら2日くらいは大丈夫そうだ。でも、アプリを使っていくと、電池残量はどんどん減っていく。これで緊急用になるのか?

Android端末を使うということは、Googleのエコシステムに加わるということで、これまで、どれだけAppleの便利すぎる、つまり依存したエコシステムに組み込まれてきたのかを思い知らされる。しばらく、このRakuten mini + povo 2.0 という組み合わせでやってみることにする。はたしてこれだけで、来月再開予定のお遍路で困ることはないのか、それが問題だ。



2024年2月5日月曜日

1974年2月

 僕にとって、「書く」という行為が習い性になってしまったのは、FWCでのジャーナルライティング(journal writing)をやり続けたいせいだ。おそらく、このブログも、その延長線上にある。それだけでも、FWCには感謝すべきなのかもしれない。

 数カ月の間キャンパスを離れ、学生はそれぞれのフィールド・プロジェクトに出向いていく。そこでの経験をジャーナルと呼ばれていたレポートにまとめ、毎月、本部キャンパスにいるアドバイザーに送り、フィードバックをもらう。フィールドプロジェクトを終えキャンパスに戻ったら、それをひとまとまりのレポートにまとめ上げる。このジャーナルに加え、アドバイザーによる評価、フィールド先の担当者による評価、そして自分自身による評価。それらが総合されて「単位」を取得していくシステムであった。

 体験学習をどのように評価していくのかは難しい。それを大学という枠組みでやろうとしていたFWCそのものが、「実験的」存在であった。大学を名乗りながら、泳げない子をいきなりプールどころか、流れのある川に放り込むような乱暴なプログラムであったともいえる。アカデミズムにはアカデミズムのカタというものがある。カタのない大学は可能なのか。学生の間でも意見は真っ二つに分かれていた。つまり、「大学は何もしてくれないではないか」という不満派がいて、他方、「これだけの自由が与えられてありがたい」という肯定派もいたわけだ。

 この年の8月に提出したジャーナルのコピーが手元に残っているのだが、思いの外、しっかりした英語で書かれているので驚いた。作文レベルでいえば中3程度のものなのだと思うのだが、ちゃんとしたものだった。持っていった辞書は研究社の英和和英小辞典一冊のみ。この辞書は旅の供となり、皮の表紙がボロボロになるまで使った。

1974年2月 Santa Fe

2024年2月3日土曜日

追悼 橋松枝さん

橋松枝さん ご逝去 享年88歳
稽古場草創期期からの稽古仲間であり、私にとってはお茶の手ほどきをしていただいた先生でもあった。稽古場がはじまったのが1988年、その時、橋さんはすでに五十代だったはずだが、あの怒涛の動法時代を一緒にくぐりぬけてきた。ご冥福をお祈りします。

お茶