2024年2月5日月曜日

1974年2月

 僕にとって、「書く」という行為が習い性になってしまったのは、FWCでのジャーナルライティング(journal writing)をやり続けたいせいだ。おそらく、このブログも、その延長線上にある。それだけでも、FWCには感謝すべきなのかもしれない。

 数カ月の間キャンパスを離れ、学生はそれぞれのフィールド・プロジェクトに出向いていく。そこでの経験をジャーナルと呼ばれていたレポートにまとめ、毎月、本部キャンパスにいるアドバイザーに送り、フィードバックをもらう。フィールドプロジェクトを終えキャンパスに戻ったら、それをひとまとまりのレポートにまとめ上げる。このジャーナルに加え、アドバイザーによる評価、フィールド先の担当者による評価、そして自分自身による評価。それらが総合されて「単位」を取得していくシステムであった。

 体験学習をどのように評価していくのかは難しい。それを大学という枠組みでやろうとしていたFWCそのものが、「実験的」存在であった。大学を名乗りながら、泳げない子をいきなりプールどころか、流れのある川に放り込むような乱暴なプログラムであったともいえる。アカデミズムにはアカデミズムのカタというものがある。カタのない大学は可能なのか。学生の間でも意見は真っ二つに分かれていた。つまり、「大学は何もしてくれないではないか」という不満派がいて、他方、「これだけの自由が与えられてありがたい」という肯定派もいたわけだ。

 この年の8月に提出したジャーナルのコピーが手元に残っているのだが、思いの外、しっかりした英語で書かれているので驚いた。作文レベルでいえば中3程度のものなのだと思うのだが、ちゃんとしたものだった。持っていった辞書は研究社の英和和英小辞典一冊のみ。この辞書は旅の供となり、皮の表紙がボロボロになるまで使った。

1974年2月 Santa Fe