2016年2月16日火曜日

禁糖開始

白山稽古会から戻ってきて禁糖開始
今日で三日目になる
もう十年以上やっているから、すでに春の風物誌
ムスリムにとってのラマダンのようなものか
ややお祭り的
いつもより料理に気合が入るし、
普段よりよい食材を買ってしまい、食費は跳ね上がる

一日目は楽天堂で仕入れてきたお豆を使ったチリコンカルネを作ってみる
これをつくるのは30年ぶりくらいではないかな
豆料理というのは奥が深そうだ





















二日目はステーキ
普段は薄切り肉しか食べないし、ましてや牛肉などめったに食べないのに...






















おやつ用に、小ぶりのさつまいもを買ってきたり
妙にテンションが上がっている
これはアルミホイルで包んで火鉢にのせて焼芋にする

三日目は、ご飯と味噌汁の残り、鰹のたたき
それに、油揚をオーブントースターで焼いたものに納豆
純和食ですね





















この期間を通して、自炊力をつけようと思っている
食べ過ぎにご用心

2016年2月14日日曜日

レイアウト変更

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2016年2月12日金曜日

仏壇

 不信心の代表みたいな人間だった私が、毎日仏壇に手を合わせる習慣を身につけてしまうとは驚きだ。水の上げ下げもするし、線香立ての掃除もするし、仏花も買ってくる。自分が信心深いとは今でも思わないが、それでも亡くなった者たちと一緒に生きているという感覚はある。いや、仏壇という装置によって、その感覚が保たれているというべきか。

 それにしても仏壇というのは不思議な箱である。もう十年以上前のことになるが、父が岡山から東京に引っ越したとき、仏壇は一ヶ月遅れて東京に運ばれることになった。新しい環境に慣れるのに苦労し、感情的にも不安定な状態が続いていた父だったが、仏壇が到着するや、その不安定さがぴたりと収まった。やはり、人は、依代として、「もの」を必要としているということなのか。

 父のところにあった仏壇は立派なものだったが、横浜の家に置くにはでかすぎて、当初、小さなものに買い換えるつもりでいた。それを娘の引き取りたいという一言で、そのまま横浜に運ぶことになり、結局、私と一緒に京都に引っ越してきた。この家の一等地に「居場所を見つけた」と言わんばかりに鎮座している。

 こんなことに思いがいくのは、半日、父母の写真の整理をしていたのと、『仏教シネマ』(釈徹宗・秋田光彦 サンガ 2011)というお坊さん二人の対談集を読んだからですね。

CD

震災のあと、ずいぶん長い間音楽を聴く気になれなかった
数年経って、ようやく真空管アンプにつないだipodでネットラジオを聴きはじめた
余っているDVDプレイヤーでCDもかけられることに気づいた
DVDプレイヤーのオーディオ出力をアンプの余っている入力端子につないだ
CDの詰まっている段ボール箱をごそごそかき回し、
昔聴いたCDをみつけ、ケースを開けてCD盤を取り出す
それを、DVDプレイヤーのトレイに移し、再生ボタンを押す
iPodの中に収まっている音源を再生するのに比べ、ひと手間かかるが、このひと手間がよい
今、聴いているのは高橋竹山


中心

 昼下り、日当たりのよい広縁で確定申告の書類に向かっていた。なんか、ごそごそ音がするなぁと廊下に目をやると、なんと人が立っている。先週、玄関先に松井一家三人が立っていたのにも驚いたが、今日(11日)のMさんの登場にも驚かされた。日帰りで「志村ふくみ展」を見に来たついでに立ち寄りましたとのこと。これで、年が明けてから、東京方面からだけでも、田中敏行さん、辻安弘さん、原口真さん、松井さん一家と四組の来客があったことになる。これに加え、佐渡の平田弘之さん、大分から井上弘さんもやってきたから、ほぼ毎週、だれか遊びに来てくれている勘定になる。どうやら、ここが世界の中心になりつつあるらしい。

2016年2月8日月曜日

大分からイノウエさんがやってきたので、
案内がてら北野天満宮まで散歩
梅が一段と華やいできている


散歩から帰ってきたら、
キダさんから「ブタの心臓食べに来ませんか?」との電話
ありがたくお誘いに乗ることにする
なんでも、小豆島で丁寧に育てられた豚のものだとのこと
先月、客として来たときには、イノシシ肉が出てきたし、この「ロカンダきだや」には、
様々なルートで、様々な食材が集まってくるらしい
シェフのまかない飯を食べられたのは望外の幸せ


禁糖接近中

このところ腹部第二が不安定
今年もまた禁糖の季節がやってきた

禁糖ほど稽古場で盛り上がる話題はそう多くない
どうして、こんなに盛り上がるのだろう?
そのプチ苦行感、それが食いものとつながっている
だから盛り上がる
それだけ、みんな食いしん坊ということだ
二週間、糖分、コーヒーを断つというだけのはなしなのにね
何度も書いているが、禁糖は「度」に対する感覚を取り戻すために行う

はじめて禁糖をやったのは十年以上まえのことだが、
その時は、コーヒーが飲めないことが苦痛だった
最初のうちは、食べるものが無くなるのではないかと心配だったが、
回数を重ねる度に、工夫が生まれ、上手に過ごせるようになってくる
それでも、禁糖を前にすると、あれこれ非常食を買い込んでしまうのは、
初期の記憶が残っているからにちがいない

さて、いつからはじめようか