2016年10月27日木曜日

回り稽古

回り稽古の募集要項が出てることを教えてもらい、身体教育研究所のお知らせページを開いてみた。今回の全体テーマは、「動法における身体感覚の活用」。十日ほど前に、このテーマで関西版の回り稽古をはじめたいという連絡が事務局があったばかり。この全体テーマに、担当者がそれぞれ自分のサブテーマを返し、それがリストになって戻ってきたわけだが、その一覧を観て感動してしまった。担当者同士の横の連絡は当然だがない。なのに、こんなリストが出来上がっている。オレたち文学するのか? 戸村氏のサブテーマを読んだときには、もう身悶えしてしまった。


関西より一足早く、同じ全体テーマではじまる関東版回り稽古を見てみた。皆さん真面目だ。松井さんは何も考えずに返事してる風なのが実に彼らしい。それにしても、この地域差はどこから来るんだ。

2016年10月25日火曜日

一周年

日記を読み返していたら、一年前の10月25日が稽古場開きとある。この場所で稽古をはじめて一年が経ってしまったのだ。順風満帆とまではいわないけれど、予想通り〜何を根拠に予想してるのか自分でもわからないけれど〜のペースで来てる。30人の人が、それぞれ月一回の割で来てくれるような、そんな稽古場になればよいと思っていたのだが、一年でその半分くらいにまでにはたどり着いている。

この一年、いろんな人にお世話になった。まず、最初に名前を挙げるとすれば池田先生。もう、相棒ですね。一緒に飯食った回数は文句なく一番多いし、車でしか運べないものの買物等々よく付き合ってもらった。最近、料理をはじめたとのことで、この変身ぶりは一年前には想像もできなかった。次に挙げるとすれば、木田さん。彼の小さなレストランが近所にあってくれたおかげで、どれだけ僕の食生活が豊かになったか。どこで買物すればよいか等についてもご教示いただいた。熱心に稽古にも参加してくださっている。三番目はユズルさん。不思議なひとたちが、ユズルさん経由でこの稽古場にやってきた。京都に引っ越すきっかけにもなった「片桐ユズルに聞く」という月例の会には極力参加するようにしている。もちろん、稽古に来てくださっている人たちがいて、この稽古場は成り立ってるわけで、その方たちにも感謝。

回り稽古があって、せうそこもやって、連座基礎もあって…。こうして振り返ると、随分、充実してる。二年目はどうなっちゃうんだろう。ついでに、稽古関連のアナウンスをしてしまうと、今月31日に安森さんの筆動法(残1名)、来月30日にはせうそこの2回目で、鎌倉稽古場の大松さん登場。そして、12月から関西版回り稽古第2弾がはじまり、ここ等持院稽古場は1月に順番が回ってくるとのこと。なんだか、もう来年の足音が聞こえてきてる。

2016年10月22日土曜日

腰痛

腰痛になったことは一度や二度ではない
しかし、今回の腰痛といったら…
そうとうに痛い

夏の終わり頃から、
骨盤が後傾して歩いてる自覚はあった
つまり老衰の兆し
ちょっとまずい

そして、この腰痛
タイムリーとしかいいようがない
このまま老いさらばえていくのか、もうひと踏ん張りするのか
人生のわかれ道
というのは、ちと大袈裟か

静止しているときは問題なし
動いているときも問題なし
止まった状態から動き始めるときが大問題
ちょっと間違うと、ぎゃ〜、と悲鳴をあげることになる

動法で動けばよい
これが稽古者の鉄則
実際、動法の身につき具合が日々試されている
動法の甘さが日々露呈しているというべきか
もとより、自分の体を素材にして技を磨いていくのが整体指導者
悲鳴は上げても弱音は吐かない
いや、その悲鳴も封じ込める

そういう時に限ってひとはやってくる
しかも、これから稽古をはじめよう、などという人がやってくる
みっともないところを見せるわけにはいかない
日々試練

2016年10月18日火曜日

土俵

昨夏、本部で独法がはじまった
その頃からダン先生の稽古の中味も変わってきた
ぼくら相手の稽古が独法・双観法への仕込みの場になってきた

突然、ロイ先生が亡くなり、
その後を引き受けることになり、
修養講座という制度をつくりだした
修養講座で試されているのは、むしろ整体指導者だろう
整体指導者が整体を自分の言葉で話す稽古でもある

どうすれば、これまでロイ先生がやられていたことと、
身体教育研究所でダン先生が追求してきたことを並列させるか
これはなかなか大変な仕事である

稽古場は28年の歴史のなかで、独自の言語空間を形成してきた
それは、ダン先生による野口晴哉解題といえるものだが、
整体協会全体のなかでは共有されてはこなかった

最近、公開講話で感受性という言葉が多用されている
いうまでもなく、整体協会的にいえば、晴哉先生の語彙に属するものであり、
整体を語る上でのキーワードのひとつである
どうやらダン先生は、晴哉先生の語彙を媒介にして、
言葉が通じなくなっていた二つのグループがコミュニケートできるよう
共通の土俵をつくる作業をはじめたらしい
一朝一夕でできる仕事ではない

あたらしい世代
修養講座、独法・双観法で学んだ世代が指導者になるまで最低でも5年はかかる
そこまでは面倒をみるつもりでいるらしい
とんでもない負荷であることは間違いないが、その負荷をさらなる技の進化に転じてしまう
そこが、わが師のとんでもないところである
70代のダン先生を目撃するために、こちらも、もうひと頑張りせねばと思う

2016年10月17日月曜日

歯が抜けて...

歯が抜けてから顔の静けさ (武玉川)

これは名句だな
付句とすれば、どんな句につけたのだろう 

第三折々のうた p131

旅の重さ

映画館でしか映画を見られない
DVDで映画を見ていると、ついipadを取り出して調べものをはじめたり、
怖い場面が来ると、思わずリモコンの停止ボタンを押してしまったり、
いささか集中力を欠いてしまう
映画館の椅子に座り、そこに他の観客もいて、場内が暗くなって、
という環境を自分に強制してはじめて映画に没入できる。

それでも、昔の映画をみたくなることは、ままある
近所にレンタルビデオ屋がないわけではないが、どうも肌にあわない
最近になって図書館ではDVDも貸し出していることを知り、時折借りはじめた
書籍・DVDを10件まで予約できる強み

「旅の重さ」を借りてきた
1972年の作品だから、もう44年前のもの
二十歳くらいのときに、映画館で見ているはずだ
家出して四国を歩いて回る16歳の女の子のお話なのだが、田園風景がほんとうに美しい
音楽は吉田拓郎
四国遍路のことを知ったのは、この映画だったかもしれない
僕自身も旅をはじめたころだ
映画館で一度しか観てない映画を何十年経っても覚えているということは、
それだけ集中していたということなのだな

2016年10月16日日曜日

集団のちから

白山稽古会がはじまってから7年経った
7年というと、そう長い期間とも思えないが、
それぞれが7歳年取ったと言い換えるといささか感慨深いものがある
7年のうち6年は関東から毎月通ってたわけで、まあ、よく続いたものだ

今回はなぜか古いけど新しいひとが参加したり、
最近になく大人数が集まった
といっても10人くらいなのだけれど、いつもよりは多い
それだけで、会の密度が大分増し、「ひとにもまれる」という感じが生まれてくる

普段、等持院ではほんと少人数で稽古している
丁寧といえば丁寧な稽古になるが、「ひとにもまれる」という感じはない
もっと集団のちからを活用したほうが、ひとりひとりのレベルも上げられるかもしれない
そんなことを思った