父が逝って十日
お葬式からまだ一週間しかたっていない
1月中にこれまで暮らしていた居室を退去することになるので、
その打ち合せのため江戸川区へ
必要な物さえ持ち出せば、あとの始末は施設に一任できるとのこと
お見舞いにいただいた花はまだ元気なのに、居室に父の気配は見事なくらいない
ぼちぼちと荷物の整理をはじめることにした
俳句関係の書籍、謡のテキスト、それに着物類
それらをまとめただけで結構な量になる
狭い我が家に引き取ることになるのかと思うと、先が思いやられる
それでも、なんか一区切りつけられそう
帰途、年末の慌ただしい街の空気の中を歩きながら
安堵している自分がいた
新しい年を新しい気分で迎えられそうです
2014年12月30日火曜日
2014年12月27日土曜日
2014年12月24日水曜日
Dad, it's your turn now - 3
余分なことをしなければ、
人は健やかに逝くことができる
というのが結論だ
しかし、寄ってたかって余計なお世話をする仕組みが出来上がっている
最後の引導を渡す役目が、今回も私に回ってきた
大阪から見舞いに訪ねてきてくれた姪っ子とその息子が帰ってから暫くすると
呼吸がつらそうになり表情に険が出てきた
目を開け、口を開けたまま喘ぎはじめた
これは過呼吸の感じではないか
吸入器を外すことにした
すると自分の静かな息にもどり、表情も穏やかになった
でも、ここからは私の予想より早かった
私と妹と娘の三人が見守るなか
右から左へかぶりを振りながら、両目と口をウームと閉じた
それが最後の息だった
あっけなかった
一年前の義姉の急逝にはじまった私の周りの大変動は、
ひとりひとりが亡くなっていったということではなく、
一連の大きな流れの中で起こった出来事であるとしか思えない
父のお別れ会を東京でやった12月の21日というのは、
義姉の一周忌の日であったし、
父の命日となる12月20日というのは、
妻が亡くなった9月20日からちょうど三ヶ月目の月命日で
しかも曜日も同じ土曜日で、葬儀も23日の祝日
なんだかもう笑うしかない
あ~あ、みんないなくなってしまった
人は健やかに逝くことができる
というのが結論だ
しかし、寄ってたかって余計なお世話をする仕組みが出来上がっている
最後の引導を渡す役目が、今回も私に回ってきた
大阪から見舞いに訪ねてきてくれた姪っ子とその息子が帰ってから暫くすると
呼吸がつらそうになり表情に険が出てきた
目を開け、口を開けたまま喘ぎはじめた
これは過呼吸の感じではないか
吸入器を外すことにした
すると自分の静かな息にもどり、表情も穏やかになった
でも、ここからは私の予想より早かった
私と妹と娘の三人が見守るなか
右から左へかぶりを振りながら、両目と口をウームと閉じた
それが最後の息だった
あっけなかった
一年前の義姉の急逝にはじまった私の周りの大変動は、
ひとりひとりが亡くなっていったということではなく、
一連の大きな流れの中で起こった出来事であるとしか思えない
父のお別れ会を東京でやった12月の21日というのは、
義姉の一周忌の日であったし、
父の命日となる12月20日というのは、
妻が亡くなった9月20日からちょうど三ヶ月目の月命日で
しかも曜日も同じ土曜日で、葬儀も23日の祝日
なんだかもう笑うしかない
あ~あ、みんないなくなってしまった
2014年12月20日土曜日
Dad, it's your turn now - 2
続きを書く時間的余裕は充分あると思っていたのだが、別れの日は意外に早くやってきた。妹たち、可愛いがっていた姪とその息子、俳句仲間、施設の受付嬢...。会うべき人たちには一通り会い、12月19日、89歳の誕生日のその日、父は静かに息を引き取りました。
葛の葉の自由闊達うらやまじ 昧波
2014年12月17日水曜日
Dad, it's your turn now - 1
11月上旬に大阪で妻の四十九日を終え、下旬には秋田で義姉の一周忌をやってきた。秋田から帰ってきた時には、もうクタクタで、娘にいたっては、三日間風邪で臥せってしまった。うらやましい。12月の声を聞いたところで、今度はオヤジの番。こうなるとヤケクソというか、意地というか、もう何でもいらっしゃいという感じ。少なくとも「お願いだから11月は避けてね」という私の念は通じたようなので、感謝はあっても文句をいう筋合いはない。
老人ホーム内に設けられている介護室という名の大部屋で過ごしているオヤジをどの段階で自分の居室に戻すか、そのタイミングを測っていた。介護室にいる限りヘルパーさんたちの目が届くから安心といえば安心。ただ、環境的にはガチャガチャと騒がしいし、面会に行っても、こちらがお客さんになってしまい、長居しづらい。最後家族で看取るとすると、自室に戻す必要がある。ただ、どのタイミングで自室に移行するかが問題。こちらの都合を勘案しすぎると判断が曇る。おまけに、食べられなくなってからは、点滴を受けたり鼻から酸素を入れている状態なのでその判断が余計に難しい。
医療関係者は死というものをどのように捉えているのだろうと、いつも疑問に思う。息が苦しいといえば酸素を与え、顔色が悪いといえば点滴を与える。痛みが出れば鎮痛剤。この足し算思考の先には何があるのですか、という問いには答えてくれない。どうも「健やかな死」というものは想定されていないようなのだ。基本、延命措置は不要ですと予め伝えてあるはずなのに、結構なし崩し的に、というかルーティンワーク的に自分たちの仕事をやってしまう。おまけに、医療を疑わない家族がいたりするとーまあオヤジ自身がそのように生きてきたからなあー僕にできることには自ずと限界がある。
老人ホーム内に設けられている介護室という名の大部屋で過ごしているオヤジをどの段階で自分の居室に戻すか、そのタイミングを測っていた。介護室にいる限りヘルパーさんたちの目が届くから安心といえば安心。ただ、環境的にはガチャガチャと騒がしいし、面会に行っても、こちらがお客さんになってしまい、長居しづらい。最後家族で看取るとすると、自室に戻す必要がある。ただ、どのタイミングで自室に移行するかが問題。こちらの都合を勘案しすぎると判断が曇る。おまけに、食べられなくなってからは、点滴を受けたり鼻から酸素を入れている状態なのでその判断が余計に難しい。
医療関係者は死というものをどのように捉えているのだろうと、いつも疑問に思う。息が苦しいといえば酸素を与え、顔色が悪いといえば点滴を与える。痛みが出れば鎮痛剤。この足し算思考の先には何があるのですか、という問いには答えてくれない。どうも「健やかな死」というものは想定されていないようなのだ。基本、延命措置は不要ですと予め伝えてあるはずなのに、結構なし崩し的に、というかルーティンワーク的に自分たちの仕事をやってしまう。おまけに、医療を疑わない家族がいたりするとーまあオヤジ自身がそのように生きてきたからなあー僕にできることには自ずと限界がある。
12月の第2週、自室に戻すことにした。つまり泊まり込み態勢のはじまりである。
2014年12月14日日曜日
せん妄
せん妄という言葉があることを教えてくれたのは妻の往診に来てくれていた訪問医の先生で、腎機能が低下していくと、その結果尿毒症となり、症状としてせん妄と呼ばれる幻覚、妄想が起きるというものだった。しかし、そのせん妄を「症状」として捉える理解のしかたに違和感を覚えたことを憶えている。妻にもそれらしき兆候が現れたが、事後的に振り返れば、いわば、感情の大掃除をしていたようなもので、そこで表現されていたものは、妻の人生ーつまり私たちの人生ーと切り離せるものであるはずがなく、ましてや投薬といった処方に機械的に委ねられる類のものではなかった。でなければ、その時の、怒りも悲しみも感謝もすべて医学的現象に矮小化されてしまうことになる。
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