2013年12月31日火曜日

雪国

12月21日、義姉急逝
その葬儀に出先の石川から秋田に駆けつけた
初七日の後、一旦東京に戻ったものの、また秋田に引き返し、
このまま年末年始を過ごすことになった

義姉は整体協会に長年勤めていた人で、
晴哉先生の時代をよく知る人であった
組織としての体裁が整う以前の、下落合に道場があった時代から
晴哉先生の秘書的な立場で過ごしてきた人である
内弟子育ちの古い指導者の人たちからも一目置かれる、そんな存在だった
晴哉先生が亡くなられたあとも、頼りにされつつ、時には煙たがられながら
定年を迎えるまで事務局で仕事していた
僕にとっては大先輩であった

晴哉先生時代の面白い話をたくさん聴かせてもらった
ただ、これは貴重な話だから書き留めて置こうと、下心を持って接すると
まったく話が膨らまなかった
そんなことを思い出した

2013年12月30日月曜日

12月の読書

慌ただしい年の瀬である
なぜ慌ただしくなってしまったかは近々報告することにして、
兎にも角にも今月の読書
ついでに今年のベスト5も選んでみることにした

15歳からの労働組合入門 東海林智 毎日新聞社 2013
辺境中毒 高野秀行 集英社文庫 2011
最後の忠臣蔵 池宮彰一郎 角川文庫 1997
随筆上方落語四天王* 戸田学 岩波書店 2011
随筆上方落語四天王の継承者たち* 戸田学 岩波書店 2013
日本沈没第二部 小松左京+谷甲州 小学館 2006
 オリジナル日本沈没(第一部?)と読み比べてみると、小松左京の文章には色気がある.
 この第二部はシュミレーション小説としてはよく書かれているが、ちょっとお勉強本みたい.
 しかし、地球は温暖化に向かっているのか、それとも寒冷化に向かっているのか?
空白の五マイル* 角幡唯介 集英社 2010

今年のベスト5
ザ・コールデスト・ウインター (上・下)  D・ハルバースタム 文春文庫 2012
アストリット・Kの存在 小松成美 世界文化社 1995
Born to Run - 走るために生まれた C・マクドゥーガル NHK出版 2010
西南シルクロードは密林に消える 高野秀行 講談社文庫 2009
日本沈没(上・下) 小松左京 小学館文庫 2006

2013年12月14日土曜日

カタと同調

「活元運動以前」「合掌行気以前」と名前を付けた稽古を始めて丸一年になる。要は、活元運動に於けるカタの問題、合掌行気における腕の扱いの問題を同調法・再現法を用いて丁寧にやってきたわけだ。裕之先生の稽古に出てきた、身体集注、精神集注の稽古にも大いに触発され、この秋の遠征など、この稽古で押し通したといってよい。問題の立て方としては、そう的を外してないだろう。来年からは、「カタと同調」という枠組みを新たに設け、ここまでやってきた稽古を深めていけたらと思う。

2013年12月5日木曜日

大阪人

娘が短期留学していた台湾に出かけたのが5年前のこと
最初は、夫婦二人だけで行くつもりだったのに、
父に声をかけたら是非行きたいという
当時83歳
すると、台湾行の話を聴きつけた伊丹に住む父の妹
ーつまり僕の叔母なのだがーも是非連れて行ってくれという
結局、総勢4人で台湾に向かうことになった

この兄妹、歳が十歳も離れているくせによく喧嘩をする
妹の方は、関西で生まれ育っているだけあって、テンポがものすごく速い
無論、大阪弁
最初のうちは、妹に押されっぱなしだった父の方も、
だんだん調子が出てくると大阪弁で言い返しはじめ、掛け合い漫才の様相を呈しはじめる

そう、オヤジは大阪人だったのだ
岡山に50年半世紀住んだとはいえ、結局オヤジは大阪人だった
この単純な事実に気づいたとき、オヤジに関する多くの謎が一瞬にして解けた
あの都会性
あの社交性、
あのイラチな感じ

その父が東京に越してきて丸8年になる
歳取ってからの転居はしんどいよと言われながら抜群の適応力を示してきた
つまり、父の異国暮らしは8年前に始まったものではなかったのだ

(2008/12 台北 父とのツーショット 5年前だと、これでもそれぞれに若かったw)


2013年12月4日水曜日

光にふれる

二年ぶりにユイシアンのコンサート@moon romanticに行ってきた
(思わぬ人たちとも遭遇w)
なんか、いっきに大人になっていて、感動
その彼が主演した映画『光にふれる』が来年2月、日本でも公開されるという
これは観に行かねば

2013年11月29日金曜日

11月の読書

人生のきほん* 佐野洋子対談集 佐野洋子/西原理恵子/リリー・フランキー 講談社 2011
山下清の放浪日記 池内紀編 五月書房 1996
遠くの声を捜して* 山田太一 新潮文庫 1989
異人たちとの夏* 山田太一 新潮文庫 1987
 映画は随分昔に観た.風間杜夫、秋吉久美子、片岡鶴太郎、監督は大林宣彦.
   47歳の中年男が、12歳で死に別れた30代の両親と出会う.
   あらためて原作を読んでみて、やはりいい作品だった.
山伏ノート* 坂本大三郎 技術評論社 2013
原発ホワイトアウト 若杉冽 講談社 2013
どこから行っても遠い町 川上弘美 新潮社 2008
 川上弘美の短編連作. 人物相関図をつくりたくなる.
想像ラジオ* いとうせいこう 河出書房新社 2013
限界集落株式会社 黒野伸一 小学館文庫 2013
俳優のノート 山崎努 文春文庫 2013
日本語は敬語があって主語がない 金谷武洋 光文社新書 2010

2013年11月22日金曜日

大山詣

Nくんに
まだ大山登ってないんですか?
と意外そうに言われた
阿夫利神社までは行ったことがあるが、
20年も前のことになる

たしかに神奈川の住民として
一度ご挨拶しておくべきではなかろうか
白山を目指す前に大山に登るのが筋だろうと
腑に落ちること多々あり
即実行に移すことにした

天気は快晴
家を出て一時間半で大山ケーブル駅到着
朝から何も食ってないことに気づき、まずは腹ごしらえ
ケーブルカーは使わず、女坂を歩き大山寺を目指すことにする
大山寺の紅葉は豪華で、すでに相模湾、江の島が眺望できる
さらに登って阿夫利神社下社
そしてここから奥社を目指す


やはり甘くなかった
下社から登ること一時間と15分
汗だくになって、ようやく頂上到着
無愛想なオヤジから甘酒を買って乾杯


下りは尾根伝いにヤビツ峠に歩き、秦野行きのバスに乗るルートで帰ってきた
次はSくんを見習って、稽古着に地下足袋で登ってみることにしようか

1030 伊勢原着
1040 伊勢原発バス
1110 大山ケーブルカー駅
1120-45 朝食
1150 女坂を登り始める
1250 大山寺経由で阿夫利神社下社着
1405 大山山頂
1440 下山開始
1525 ヤビツ峠到着
1551 秦野行きバス
1630 秦野着

2013年11月19日火曜日

初ズーラシア


紅葉を見に行こうと出かけた先がズーラシア
開園してずいぶん経つはずなのだが、実をいうとこれが初ズーラシア
開園した時には、すでに「休日には子供連れで動物園」という時期を過ぎていた
意外に近くて家を出て一時間で到着
そして平日にもかかわらず意外に人が多い
当然のことだけれど、子供連れが多い
動物園をしかめっ面で歩いている人間はほとんどいない
たまに、子どもたちよりはしゃいでいる大人もいるが、それはそれで微笑ましい



もう少し、「植生をなんとかしたいよね」とか、
「動物によってずいぶん待遇が違うのね」などと批評しながら、
インドゾウのダンス、ズーラシアを代表するオカピー、サル山のにほんざる等々、
動物園の定番をぐるっと回って丸2時間
紅葉を見に行く先としてふさわしかったかというと疑問符はつくけれど、
楽しい休日の午後でありました

2013年11月16日土曜日

二ヶ月ぶりのお茶

遠征に出かける直前のお茶の稽古で、
「荷物にお茶のお道具は入れたの?」と訊かれたときには、
どちらかというと荷物を少なくすることばかり考えていたから
ムニャムニャという返事しかできなかった
最後の最後に、普段は大井町に置いてある片桐さんの作ってくれた
小振りの赤茶碗と茶杓と茶筅、それにお干菓子を荷物に放り込んだ


持って行って大正解
ドイツの稽古会に来ている人たち何人かにお茶を点てることができたし、
フランスのニシダさんのところでもお茶会もどきをやることができた
ブラジルでは、この春、菊名のお茶室に連れて行った若人二人が待ち受けていて、
しきりに、お茶、お茶とせがむ
よほど、お茶体験が新鮮だったようだ
結局、お茶会はできずに終わってしまったのだが、
お世話してくれたお礼に、僕が持って行ったお道具一式置いてきた
(庸子さんのお茶碗は今サンパウロにあります!)
今頃、自分たちでお茶会をやっているのではないかな

二ヶ月ぶりのお茶の稽古は楽しくて、
Hさんには、「あら、大陸的ね〜」などと言われたけれど、
たしかに、まだ、あのブラジルの空気が身体の中に響いている

2013年11月11日月曜日

Corações Sujos

ブラジル土産として田中さんからいただいたDVDを観ている
2011年ブラジル映画で日本語タイトルは「汚れた心」
太平洋戦争後、ブラジル日系人社会で起こった「勝ち組」「負け組」の争いを扱ったもの
見続けるのがちょっとしんどい内容
youtubeに予告編があったのでシェア
54秒あたりに田中さんが出ている
幽霊のように左から現れて、次のシーンで後から撃たれているのが田中さん
セリフはつかなかったようだが、本編にはもう少し出ている
(なんとあのマジシャンCelio Aminoも出ているではないか。しかもセリフ付きで)
日本でも公開されてたんですね → 汚れた心

2013年11月10日日曜日

松任

松任に月一で通い始めて四年になる
最初の頃は、松任駅近くのホテルに泊まることもあったのだが、
途中から、航空券&宿泊がセットになったツアーを使うようになり、
金沢駅周辺の宿になることが多くなった
今回は大遠征を挟み予定が不確かだったので、航空券とホテルを別々に手配することにした
すると、金沢駅周辺の宿はどこも満室
行楽の秋? それとも何かの大会?
結局、松任駅近くの宿に泊まることになった

松任駅周辺は昔の繁栄の名残をとどめている
美術館、図書館、俳句館といった公共施設を駅前に集めることで、
シャッター通りにはなっていない
それでも古くからあった商店はどんどん少なくなっている
ちょっと離れた国道沿いのアピタの繁栄ぶりに比べると見る影もない

時間があったので久しぶりに松任駅前を歩いてみた
畳屋さんはあるし、味噌屋さんもある
和菓子のお店も残っている
残ってはいるが、細々と商売を続けているといった風情
十年後、どれだけのお店が残っているだろうか
朝の時間、宿の近くにある松任金剣宮にお詣りしてきた
敷地は小さいものの、巨木が紅葉しておりなかなか見事だった
前から気になっていた、ワンネス近くのコーヒー屋にも入ることができた

ワンネスといえば、そのお店で広げた北陸中日新聞のなかに、
来週鳥越で行われる「いのちの暮らし祭」の記事が載っていた
私にも声をかけて頂いたのだが、残念ながら参加できない

このあたりによい稽古場物件はないものか

2013年11月8日金曜日

手拭

手拭いは常に懐に入れている
汗をふくわけではないが、稽古着を着ている限り、
これが懐にないと実に落ち着かない
稽古道具として活躍することもある
サンパウロ市内で稽古会をやったとき、
なぜかこの手拭いを忘れてしまっていた
その時の頼りのなさ加減といったら悲しいくらいで、
稽古会の出来もよくなかった
これほどまでに手拭いに助けられていたのか
と唖然とした
ほとんどライナスの毛布ではないか

2013年11月5日火曜日

slideshow 遠征ブラジル編

【エンブー】

今回の最終目的地はサンパウロ郊外エンブにある田中さんの稽古場
田中さんが日本を出るとき、「必ず遊びに行くからね」と約束したのを覚えている
実現するまで19年の歳月が必要だった
普通の家のリビングに畳を入れ、稽古場に改装している
特筆すべきは裏庭で、土舞台、板舞台とふたつの舞台があり、
稽古に公演に使っている
日本の小さなお寺の裏庭の空気感がある
集まっている仲間たちも多士済々
愉快な連中で笑い声が絶えない



【クルツク】

田中さんが交流のあるグラニ族の住むインディオの村
サンパウロから一時間ほど高速を走り、そこから脇道に入ってさらに一時間
距離的にはサンパウロから遠いわけではないが、いきなり辺境の地にたどりつく



【ウブツバ】

サンパウロの雑踏を抜けて東へ、そして南へ
大西洋に面した海のリゾート
急斜面の山を降りていくと、いきなり砂浜にたどりつく

カレンダー

年に一度の定例行事
棚奥深くしまってあるiBookG3を取り出し、
ついでに、インクジェットのプリンタも取り出す
BJM70という年代ものだ
USBケーブルを繋ぎ、iBookG3を起動し、
さらにNow-up-to-dateというOS9対応のカレンダーソフトを立ち上げる
A5ルーズリーフの無地の紙をプリンタにセットし、
来年4月から一年12ヶ月分のカレンダーをプリントアウトする
いい加減、これから卒業したいのだが、
これにまさるカレンダーを打ち出せるアプリに出会えてない
そうか、来年は2014年なのか

2013年11月4日月曜日

slideshow 遠征ヨーロッパ編

【ドイツ】

前回から三年半
自分はグンと老け込んだ感じがあるのに、
久しぶりに会う人たちは、まるで変わっていない
稽古会は充実していたと思う
集注が途切れることなく最後まで持ち込めた
ここ三年間のフツフツとしたものを一気に稽古に注ぎ込んだ感じだ



【パリ】

38年ぶりのパリ
前回が12時間の滞在だったとすれば、
今回は一泊できたし、稽古会の時間を含めれば24時間はパリにいたことになる
少しだけ観光客気分も味わった



【パリ郊外】

パリ郊外の農場に泊まることができたのは、
今回の遠征のハイライトかもしれない
お世話してくださった西田さんご夫妻に感謝
農園主のお嬢さんが使っていたという一室に泊めていただき、
農園主や、研修に来ているお嬢さん方ともお会いできた
庭先に実っているリンゴをもいで、その場で食べるというのは贅沢
ところで、西田さんとは昨年はじめて石川でお会いしたのだが、
双方の来歴を話しているうちに、30年前、京都で会っている可能性が高い
という結論にたどりついた
おそるべしカワシマユキコ

筆動法

二ヶ月ぶりの筆動法
11月3日が旧暦の10月1日、つまり冬のはじまりであることに気づき
芭蕉俳句集から初冬の句を見つけて書いてみることにした
初冬の季語を選び、その季語を含む句があるかどうか索引から調べていく
こんな手順でやってみた
画像は参加者のひとりが書いたもの
武士は「もののふ」と読む
こういう手続きをふむことで初めて出会った芭蕉の句、ということになる
他の作品はこちらから


2013年11月1日金曜日

時差ボケ

時差ボケからじょじょに回復中
夕方とにかく眠くなる
電車などに乗るとてきめんで、
電車が揺れはじめると、もう舟を漕いでいる
頑張って寝ないでおいて、普段通りの時間に布団に入っても、
結局、夜中3時とかに目が覚めて却って寝不足になるし、旅の疲れが抜けてこない
眠くなったら、(状況が許せばだが)素直に眠ることにした

帰ってきた当初、寒くってしかたなかった
夏に向かうブラジル仕様の体になってしまったからなのかと思ったが、
他の人に訊いても、やはり寒いという
でも15°Cという気温をこんなに寒いと感じていたかしらね〜
やはりお風呂はいい
道中一ヶ月のうち、湯船に入れたのは2回
パリのホテルとブラジルの田中さんちに泊めてもらったとき
殊に田中さん宅では、わざわざ熱々のお湯を普段使ってなさそうな湯船にためていただいた

基本、どこにいってもお湯は上から落ちてくるし、床はタイル貼りで冷える
ブラジルでは、どこのシャワーも、UFO状の円盤が頭上にどんと据え付けられている
つまり頭からお湯を浴びるしかない
その根元に電気のコードが顔をのぞかせているところをみると、
電気で水を温めているらしい
漏電とか大丈夫かしらと心配になる

時差ボケを含めて、旅の一部
今日からなんと11月
大井町での稽古もぼちぼち再開した

2013年10月30日水曜日

動法という仮説

私たちが動法を学ぶ意味ってなんなんでしょう?
という質問をブラジルで稽古しているベネズエラ人から受けた
以下は、その時の私の答え
-
動法というのは仮説です
最初は野口晴哉という人の動きを参照することから、動法というものが発見されました
次に、その参照されるものが、日本に伝わる古典に広げられていきました
そうすることで、動法の世界がより緻密により豊かになっていきました
つまり、動法とは、古典を参照していくことで、かたちづくられていく運動体なのです
あなたにとって動法を学ぶとは、おそらく最初は日本の文化に触れることになるでしょう
でも、次に、あなたにとっての「古典」を参照しながら動法の稽古をしてみてください
動法にあなたの体験を還元していってください
そうすることによって、動法の世界は、より豊穣なものとなっていくのではないでしょうか
-
勿論、こんなにスラスラと答えられたわけではない
「未来に対して開かれた運動体としての動法」の発見というのは今回の遠征の成果だな

10月の読書

不思議なキリスト教 橋爪大三郎x大沢真幸 講談社現代新書 2011
日本の起源 東島誠・輿那覇潤 太田出版 2013

日本文化の論点 宇野常寛 ちくま新書 2013
ハピネス 桐野夏生 光文社 2013

ブラジルの田中さんの奥さんの名をシサという
澄んだ目の持ち主であった
そのシサさんから、今年出版された"quando todas as folhas caem"という
俳句形式で書かれた詩集をいただいてきた
「葉がすべて落ちた時」というような意味らしい
もちろん、僕にポルトガル語の意味はわからない
だが、目を通してみたら、まごうことなく、これは句集であった



2013年10月27日日曜日

葉っぱを運ぶアリ


夕立のあと裏庭に出てみたら緑色のものが動いている。しゃがみ込んで覗き込んでみたらアリが葉っぱの切れ端を運んでいるではないか。大きなものを運んでいるもの、小さなものを申し訳程度に運んでいるもの、手ぶらで帰っているやつもいて様々。【田中邸,Embu, São Paulo/ 2013.10.18】

2013年10月26日土曜日

day 30 帰国

大遠征も終わりです
足かけ一ヶ月30日の旅となりました
最後はなんとビジネスクラスの席でフルフラットの状態で寝て帰って来ました
話として上手く出来過ぎていますね

いったい何人の人と会ったのでしょう?
多くの人に支えられての旅でした
まずは皆様に感謝
ヨコタさん、ホシノさんをはじめとするドイツ稽古会の皆様
パリでお世話になった西田さんご夫妻と農園主のクリストフ氏
そして、ブラジルの田中敏行さんとその愉快な仲間たち
ちょっと濃密すぎて、この経験を消化するには何ヶ月もかかりそうです

このブログをマメに読みに来てくださった方たちにも感謝
稽古にも来てくださいw

ブログの更新は、すべてipad miniでやりました
各国ともwifiが随分普及していたので、ほぼ日替わり更新が可能でした
日本との連絡はLineが一番確実
FusionのSMARTalkはネット環境によって使えないケースもありました
ブラジルの人たちはfacebookを活用してましたね

ということで、この"road to brasil"リアルタイム編はおしまいです
次はまとめ編書きます

【成田にて】

day 29 ヘルシンキ

袖すり合うも多少の縁
フィンエアーの用意してくれたホテルに向かうバスに
乗り合わせた日本人6人
中年のご夫婦2組+パリに留学予定のピアニストの卵+私
一緒に晩御飯を食べているうちに、
翌日一緒にヘルシンキ市内を回りましょうという話になる

三年前、ドイツ稽古会の帰り、
途中降機して何泊かしたことはあるが、
石の教会があったなという程度の記憶で、
ガイドとしては役に立ちそうもない

朝食を済ませ、ホテルをチェックアウトして、いざ出発
息が白くなるほどの寒風に震えながら市内往きのバスを待つ
まずは中央駅を起点に
大聖堂〜マーケットプレイス〜Suomenlinnaと呼ばれている海上要塞を
目指すことにする

ヘルシンキ一泊+半日観光というのは、
30時間の苦行転じて48時間の大名旅行となる
みたいな予期せぬ展開

これで日本へ軟着陸できそうだ




2013年10月25日金曜日

day 27-28 寄り道

サンパウローパリーヘルシンキー成田
地球を半周するわけだから、さすがに遠い

サンパウロ空港に向かう途中、公設市場に寄ってくれた
これが正真正銘のラストイベント
市場はどこの国に行っても活気に溢れている
特産品のお菓子をお土産用に買い込みバッグに詰める
二週間の間にサンパウロの気候は随分夏らしくなり30度超え

二週間ぶりのパリ
といってもCDG空港で乗り継ぐだけ
荷物はサンパウロから成田まで自動的に送られる手はずになっている
ちゃんと届くか不安はあるけれど…
サンパウロ空港でライターを没収されたのはショック
CDG到着後、喫煙所で煙草を吸っている人に火を借りて一服
パリはそれほど寒くない

ヘルシンキ便の出発が遅れ、成田便に接続できないという
なんと関空便に振り替えられ、その後、関空ー成田に飛べという
ところが、その関空便にも間に合わず、
なんとヘルシンキ泊に
帰国は一日延びることになりました
長時間の移動を覚悟していた身には、熱いシャワーと柔らかいベッドはありがたい
現在の外の気温は8℃

2013年10月23日水曜日

day 27 さよならサンパウロ

さて、4週間の遠征も終わりです
日本のことはいうまでもなく、
ドイツ、フランスに行っていたことさえ忘れています
ちょっとばかり旅疲れ=食べづかれも出てきたところなので、
引き上げるにはちょうどよいタイミングかもしれません

ここから最後の苦行が待っています
サンパウロから12時間かけてまたパリに戻り、
シャルルドゴール空港に数時間滞在
今度はヘルシンキ行きのフィンエアーに乗り継ぎ、
ヘルシンキで慌ただしく成田便に飛び乗って
日本到着は金曜日の午前8時
なんと30時間の旅程になります

無事日本にたどり着けるのか
ブラジルのゆるい空気にどっぷり使った体に
日本の空気は厳しすぎないか
まあ、心配は後回しにして、
最後の荷造りに取り掛かることにします

day 26 PUC

いよいよブラジル滞在も残すところあと一日
最後の行事として、田中さんが教えている大学を訪ねることにした
通称PUC(プッキ)と呼ばれている大学
フルのスペルは
Pontificia Universidade Catolica, Sao Pauloということになる


田中さんが教えているのは
Comunicação das Artes do Corpoというコース
身体芸術によるコミュニケーション、とでも訳すのか?
毎週火曜日2コマ担当しているそうだが、
驚いたのは、一コマ目が午前7時半開始であるということ

参観させてもらったのは、10時15分からの2コマ目
床の雑巾掛けから始まる風景は、もう稽古会
わーお、田中さんポルトガル語で授業してる!



おー、学生たち若い!
もう、それだけで満足


こういう授業がない日本の大学ってクソだな
などと思いながら、教室の壁際に座って観ていた
「身体教育」という言葉がはじめて腑に落ちた


(授業終了後リベルダージのカフェで)

2013年10月22日火曜日

室内楽の夕べ

今週の土曜日、ドイツ稽古会にも参加された星野えり子さんと足立恵美さんの音楽会が東京であります。体調さえよければ(帰国翌日w)私も出かけようと思っています。ドイツでご案内をいただいていたのですが告知が遅くなってしまいました。画質が悪いのはご容認ください。


2013年10月21日月曜日

day 23-25 Ubatuba

海の近くの宿泊施設で合宿を
というのでやってきたのがUbatuba
サンパウロから250キロくらい離れた大西洋に面したリゾート

ところが
休憩を入れ6時間かけて辿り着いたのが
ニューエージアンの巣窟のようなコミュニティ
しかも、ここの人たちも一緒に稽古する、らしい
おいおい最後の最後でこれかい?
まあ、自分の過去に落とし前をつけろという天の配剤、
と前向きに考える他ない

http://curadoresdaterra.com.br/home.html



二日目午前中に稽古
テーマは「度合」と決めていた
田中さんのところで稽古したとき、
触れたときの度合が足らず、
手が止まらないー深さが出ないー同調しない
という課題が見えていたから、これだけはやっておきたかった
手の甲に集注するー手を遠くから動かすー遠くからちからをもってくる
といった実習を混ぜながら、最後は接触内観点のところまで
やや力技ではあったけども持ち込んだ
相手を操作しようとせず、
カタを持って人との接触を図る稽古のことを動法と呼びます、
という主旨は伝わったのではないか

日英葡西4ヶ国語が飛び交い、
参加者の国籍も日本、ブラジル、ベネズエラ、コロンビア、アルゼンチンにまたがる
こんな多国籍な稽古会というのも珍しい
ここのスタッフ4人を加えたものにしては上出来だったとしておこう


そして海
ここの管理人をやっている男はヨットマン(本職は歯科医)で、
http://taoboat.blogspot.com.br/
自分のヨットで大西洋を渡ったこともあるという
丸太をくり抜いて造ったカヌーで彼のヨットまで案内してもらった
縄文山田くんに引き合わせたいくらいだ
静かな湾内を、この夏初体験したSUPでいく人をみると
親しみを覚えてしまう
大西洋の水に浸かったのは15分ほどだったが、
結構塩っぱかった



田中さんともゆっくり話ができた
ブラジルに渡って19年、
この発展途上の若い国に「動法」の土壌を着実に広げている
今回、来てみて、実際に人が動くことの大切さを改めて感じている

2013年10月19日土曜日

day 22 餅つき

一週間ぶりにEmbuに田中さんを訪ねる
一連の公演を終え、今日がその打ち上げということになるそうで、
午前中は活元運動、そしてその後は食事会へと続く

ブラジル名物シュハスコも供されると聞いていたので楽しみにしていた
シュハスコは炭火をおこして、その上に載せた網の上で肉野菜を焼く
肉の大きさが半端なくデカイ
サンパウロではベジタリアンのお宅に寄宿しているので、
ほとんど肉は食べておらず、ちょっと頬が緩む
(この顔を晒すと非難されそうなので、敢えて手だけにしておきます)
塩がよくきいていて美味い
芋の粉を炒り上げたファリーニャと一緒に食べる



食事の後は、しばらく昼寝
そして今度はなんと餅つき大会
田中さん手作りの臼と杵で交代でついていく
それぞれが慣れない格好でやるものだから可笑しくてしかたない
餅つきならば、薪割りもあるぞと、この夏、鳥越のワンネスでやった薪割り動画をみせたら大いにウケた


このあと更に、デザートタイムとなったので、
今度は、皆にお茶を点てて一日を締めくくった
実に陽気な仲間たちである

ブラジル滞在も終盤
これで終わりかと思いきや
明日からは海だそうです

日本を出て以来、胃袋は快調
体重は減るどころか、ひょっとして増えているかも
この上、日焼けして帰ったら
家族はもちろん、同僚たちにも「よく遊んで来たな〜」と嫌味を言われそうである

2013年10月18日金曜日

day 20-21 iki - respiração

田中さんとそのグループが9月から続けている"iki - respiração"連続公演の最後となるインディオの村での公演に随行。サンパウロから高速道路を一時間、そこからさらに穴ぼこだらけで、しかもぬかるんだ山道を一時間ほど入ったところにある集落。70家族300人が暮らす村ということだ。稽古会にきているホージェ(画像でシテを務めている大柄な男性)つながりで、この村での公演が実現することになったそうである。会場は村の儀式に使われている集会所のような場所。村の外の人間に使わせてくれるのは例外ということのようだ。



公演のあと、村の儀式を見せてもらったのだが、子どもたちの遊びと体操を兼ねているようで興味深い。合間合間に、大人が大きなキセルに詰めた煙草を手に会場の四隅を歩く姿によって、これが儀式として行われていることを思い出させてくれる。儀式はエンドレスに延々と続く。しかも毎晩やるという。棒を手にした指導役の大人の指示で、男の子たちがグルグル移動し、指導者は、その棒をある高さに水平に置いて、その上を飛び越えさせたり、あるいはくぐらせたりといったところからはじめて、その後、段々難易度を高めていく。体育としてはすごくよく構成されている。その間、女の子たちは、少し離れたところで、単純で振りは小さいが、骨っぽい動きで踊り歌う。年頃の男女が二手に向かい合って掛け合うものもあって、それなど歌垣を思わせる。

宿泊棟ーといってもただの広い部屋にマットレスを敷き、その上に寝袋を広げるーに戻ったら9時を回っている。準備してきた食料を皆(総勢15名)でいただく。あとはもう寝るだけ。静かだし、準備してくれた寝袋は暖かくて瞬く間に眠りに落ちる。

翌日(つまり今日ですが)は、その集落から分かれたという、もう一つの小さな集落を訪ね、そしてサンパウロに戻って来た。



2013年10月15日火曜日

day 18 オフ

昨日の月曜日はオフ
旅行者にオフがあるというのも妙な話だが、
稽古者としてはオフ日
近所の公園を散歩して、自然食のレストランで昼食
随分広い公園で、園内には現代美術館やプラネタリウム施設もある
ぶらぶら歩いているだけで、
ブラジルを構成する様々な人たちとすれ違う
少なく見積もっても1時間で50くらいの
文化人種的背景を持つ人たちがいたように思う
その共存のしかたがゆるい
このゆるさがブラジルの特徴かもしれない
これは楽だわ
この調子でブラジルの空気に浸っていると、
日本への再上陸が難しくなりそうだ



2013年10月14日月曜日

day 17 ワークショップ at Sesi

ワークショップと稽古会はどう違うのか
この風景だと、とても稽古会とは呼べないな
終わってから足袋の裏をみたら汚れひどかった
まあ、床に対する考え方が違うから仕方ないのだけれど

参加者は数えてみたら16名
休憩を入れて3時間
時折、日本語で話しはじめてしまい、
通訳役のジュリアーノのキョトンとした顔をみて
それに気づく場面が何回かあったくらいで
基本英語で会を進めることができました

今日のテーマは手を封じる
皆さんなかなかセンス良い
空気に集注するなんてのもちゃんとわかってくれた
どうやらサンパウロ市内で違うグループを相手に
もう一度やる予定になっているらしい

http://www.danca-acontecimento.com/oficinas



2013年10月13日日曜日

day 17 ピラシカバ

Piracicabaという街にやってきた、いや連れられてきた。
今回世話を焼いてくれている若者二人が立ち上げた一般市民対象の講座があって、この街でもやっているらしい。その会で動法の稽古をやってほしいとのこと。断る理由はみつけられない。十代から七十代まで、25人くらい集まるらしい。勿論ポルトガル語しかわからない人たちの集まりだから英語で話し、それをポルトガル語に通訳してもらうことになる。去年秋くらいから、大井町に現れる外国人参加者に拙い英語で稽古することはあったものの、稽古会まるごと日本語なしでやるなんて想定外。ただ、二年くらい前の七夕筆動法で、そんなことを念じたことを今頃になって思い出した。それがまさかブラジルで実現することとになるとは。他人には、「迂闊に念じると実現するから怖いよ」とアドバイスしているのにね。今更後に引けないし、やるしかないじゃないか。では、行ってきます。
【裏庭】泊めていただいたお宅の裏庭。イタリア系の家族だそうで。屋敷の中にいるとヨーロッパにいるみたいだ。街中に入ってくる途中、賑わっている通りを抜けてきたのだが、白人が多く、そういう歴史を持つ街なのかもしれない。

2013年10月12日土曜日

day 16 Embu 二日目

午前中は屋内で「合掌行気以前」、午後は公演に向けた田中さんの稽古を見学。稽古は屋外の土舞台。鳥が鳴き、池鯉が跳ね、横で寝そべっている犬がくしゃみする。なんだか、昔、山姥を作っていた頃を思い出す。室野井さん、竹平さんをブラジルに呼んで、"山姥2015"とかやればよいのに。夕方には、Piracicabaというここからは160キロくらい離れた街に移動し、明日午前中ワークショップをやることになっているらしい。今晩自分がどこに泊まることになるのか、その日にならないと分からない状況も楽しいものだ。ブラジル入りして四日目、肉の一切れも食ってない。ヨーロッパでの食べ過ぎを調整中といったところ。

day 15 Embu

今回の旅の終着点であるEmbuへ
田中さんの自宅兼稽古場
いつか遊びに行きますからと言い続け、
それが、ほぼ20年経ってようやく実現した

古い屋敷のリビングに畳を入れ稽古場にしている
裏庭には土の舞台、板の舞台が造られ、稽古に公演に使われているとか
日本の小さなお寺の裏庭のような空気感

奥さんのシサさんとは初対面
日本に来ていた16年前、数ヶ月大井町で稽古したことがあるという
核になっているメンバーと一緒に稽古する
田中さん夫妻を含め9名
アート系の人が多い
来週には、このメンバーと一緒にインディオの村を訪れることになっている



2013年10月11日金曜日

day 14 サンパウロ

金曜日に日本を発って金曜日に帰着予定なので、これでほぼ折り返し地点。二週間もブラジルでやることあるのかしらと思いながらブラジルにやってきたら、あれこれ計画を練ってくれていたようで、暇すぎて困る状態にはなりそうもない。ドイツ、フランスと稽古をやってきて、深めていきたいものも出てきたので、当地でも稽古できることがありがたい。

今日はさっそくLiberdadeという東洋人街に地下鉄で行ってみた。まず出迎えてくれるのが「ラジオ体操」のマーク。今でも毎朝やってたりして…。この渾然とした感じは、おそらくこれまで訪れたことのあるどの街にも似ていない。日系とおぼしき顔も多いが、中年以下の人たちの体つきは、ブラジル標準になっていて、つまり僕の1.5倍の幅と厚みある。丸海というスーパーに入ってみたら、日本食の食材が何からなにまで揃っている。豆腐なんぞを買ってきたのであとで味見してみよう。



2013年10月10日木曜日

day 13 ブラジル!

ほんとうにブラジル来ちゃった、みたいなノリでサンパウロ到着
こっちのバスは排気を上からするんだ、といったつまらない発見をしつつ空港から市内へ
この春、大井町に来てくれた若者二人が、あれこれ計画を立ててくれていて、
濃厚な二週間になりそうな気配
日差しは強いが、日陰はさらっとしていて心地よい

2013年10月9日水曜日

day 6 ドイツ稽古会

ドイツ稽古会の写真が参加者から送られてきたのでupしておきます
画質が悪く、適当にぼけているので丁度いい具合
稽古中は一緒に稽古に入ることが多く、写真を撮る余裕がなかった
これは最終日の「合掌行気以前」の稽古のものですね



2013年10月8日火曜日

day 12 ランブイエ

フランス最終日。ランブイエの古城に案内していただく。ランブイエってなじみのある地名だと思ったら、昔々、「よい戦争」というターケルの本の翻訳チームの一員として作業をやっていたとき、担当した章にランブイエがが出てきたのではなかったかな。ここに進駐してきた米軍の話だったと思うのだが…。ドイツ稽古会の感想などもボチボチ届いてきているのだが、おおむね好評。一方、パリの稽古会も面白かったという反応なのだが、やはり、通訳付きの会の難しさを改めて感じている。


2013年10月7日月曜日

day 11 パリ稽古会

昨日の日曜日の午後予定されていたパリ稽古会無事終了。少人数ながら縁あって集まってきてくれた人たちと一緒に2コマ稽古することができた。「つられて動く感覚」を理解してくれるか不安だったのだが、どことなくわかってくれたみたい。フランスでの日程もほぼ終了。それにしても、パリから50キロ離れた田園地帯で三日間過ごせたのはありがたい。ここの農園主が自力で建てた屋敷の一室に泊めてもらい、ここの農園で採れた野菜を食すという、これ以上ない贅沢をさせていただいている。明日夜にはブラジルに向けて移動します。

2013年10月5日土曜日

day 9 lost in Paris

整然としたドイツの田舎町の清潔感もよいが、
大都市パリの猥雑さもまた捨てがたい
パリに来て、ひさしぶりにコスモポリタンという言葉があることを思い出した

ホテルに荷物を預けて39年前に写真を撮った地点を目指して歩きはじめる
近くのオルセー美術館も覗けるかもしれない
ところがどうやら最初の一歩を間違えたらしい
歩けど歩けど水辺に近づいていかない
方向感覚にはいささか自信を持っていたのに…
いきなりバスティーユという地名が出現

南に行くべきところを東に向かっていたらしい
街角の地図を見てもまだ東西南北が分からない
しばらく迷った挙句、ようやく南の方角を見つけだす


39年前の写真はキャル―セル橋からシテ島を撮ったもの
今回はその手前に新しくできたPont des Arts橋から同じアングルで撮影してみた
おびただしい数の錠前が橋にかけられている様を見て、神社の絵馬を思い出した

【1974】

【2013】



2013年10月4日金曜日

day 7 最終日

トントントンと稽古会は進み最終日
集団の稽古は昨日終わったので、今日は個別稽古のみ
終わった人から、再会を約束しながら三々五々引き上げていく
気がつくと、稽古風景を一枚も撮ってないではないか…

2013年10月1日火曜日

day 5 紅葉

稽古会3日目がこれから始まります
目立った時差ぼけもなく、夜はちゃんと眠れて、
朝もシャキッと目が覚めます
気温は日本より10度くらい低く、
紅葉も大分進んでいます
ただ、建物の外でしか煙草を吸えない身にはちと寒い

稽古会も順調
長老組からのツッコミ、初心者からの質問が稽古をふくらませてくれます
なにより、いろんな国に住んでいる人の集まりなので、
休憩時間の語らいが、それぞれのお国事情を反映していて楽しい
昨日のお昼の時間は、シエスタ論議(スペインvs.ドイツ・イギリス)で盛り上がりました

2013年9月30日月曜日

day 3 栗の木

稽古会初日
出だしは少しばかり緊張した
でも、始まってしまえば前に進むしかない
三年半ぶりの再会となる人たちも多数
でも老けこんだ感じの人はおらず、なんだか自分だけ歳取った気分
「右手左手」の稽古から入ることだけは予め決めていたのだが、
それに「離れる感覚」「両肘への集注」を混ぜていくことで稽古に奥行きが生まれた
最後は坐法に持ち込んで一日目の稽古終了
日本語、ドイツ語はもちろん、それにスペイン語、イタリア語、英語も加わる
年2回開催されている会とはいえ、積み重ねの力というのはすごいもので、
グループとしてのレベルは随分上がっている
そのことに素直に感心してしまった

会場の中庭に栗の木が植えられていて、
あてがわれた二階の部屋の窓からよくみえる
この時期だと実をいっぱいつけていて、10月に開催された時には、
落ちてきた栗の実を稽古会の参加者が収穫してたこともあったのではないかな