2013年8月29日木曜日

8月の読書

明日から石川なので、今月の読書はこれで打ち止め

科学ジャーナリストの警告* 林 勝彦 清流出版 2012
アストリット・Kの存在* 小松成美 世界文化社 1995
 去年からずっと近代史(明治維新〜)の本を読んでいるのだけれど、この「アストリット・Kの存在ービートルズが愛した女」は図らずもドイツの戦前戦後についての記述が結構ふくまれていた。でもなぜ、ハンブルグなんだろう?アストリット・キルヒヘア(Astrid Kirchherr)1938年生まれ。
聞き上手は一日にしてならず 永江朗 新潮文庫 2005
たのしい回文 せとちとせ 創元社 2013
西南シルクロードは密林に消える* 高野秀行 講談社文庫 2009
 この夏は、高野秀行の本ばかり読んでいた気がするが、おそらくこの本が最強です
やってみよう雨水利用* グループ・レインドロップス編著 北斗出版 1994
感染遊戯* 誉田哲也 光文社 2011
流される* 小林信彦 文藝春秋 2011
海賊と呼ばれた男(上・下) 百田尚樹 講談社 2012
日本沈没(上・下)* 小松左京 小学館文庫 2006
潜在意識教育 野口晴哉 全生社 1966
大愚良寛 相馬御風 校注渡辺秀英 考古堂 2006
夏の口紅 樋口有介 文春文庫 2009
 先月樋口有介草臥れてるぞ、と書いたあとでこの本を読んだらすごくよい。しかし、この作品、1991年のものなんだよね

2013年8月27日火曜日

四半世紀

先週末は、春に続き整体操法講座。指導者と呼ばれている人が多数を占め、その分、普段の稽古会に比べ空気が濃い。半数の人たちは、稽古場が始まった1988年以来、25年間ずっと稽古している人たち。この間に逝ってしまった仲間たちの顔も思い浮かぶ。ただ、我が身を振り返ると、25年目にして、このていたらく。古典との距離がもっと縮まらない限り、この隔靴掻痒感はなくならないのだろう。4月のブログに引用した笈の小文の一文をもう一度読みなおす。余談になるが、手帳を整理している過程で稽古場開設記念の稽古会の期日が1988年の9月2日であったことを発見。その記録の脇に生後8ヶ月の娘が「ハイハイをはじめた」というメモ書き。四半世紀の時間は一人前の大人を作り出すに十分であるのに、一人前の内観者を育てるには十分ではないらしい。

2013年8月21日水曜日

留守番

月曜日から家人箱根に出かけひとり居残り。ここぞとばかり、昔のノートをスキャンしてはシュレッダーにかける作業。30年前のノートの間からハラリと落ちてきた誰が描いてくれたか私の横顔。上手いものだと感心しながら作業継続。でも家の中暑い。三年前に、溜まっていた写真ネガをデジタル化してもらった。結構な数。これで写真もデジタル管理できると喜んだものの、いつ撮影したかが分からないもの多数。結局、撮影時期不明のものは、80年代フォルダ、90年代フォルダに入れっぱなしになっている。これで誰も困らないのだけれど、月別とは言わないまでも、せめて年度くらいはわかっておきたい。記憶というのはまったく時系列にはなっておらず、ノート・手帳の類の整理をしているのは、単純に紙を減らす目的以外にこういう理由もある。

そうこうしているうちに、ブラジルの田中さんからウェルカムメール。彼のグループがやっている活動に参加させてもらえそうだ。ただ、メールのなかに、「オオトカゲが歓迎してくれるでしょう」という気になる一行が。庭にオオトカゲ出るのか? ヤモリがケッケッと鳴くくらいなら大丈夫だが、オオトカゲってどれくらいでかいのだろう? 田中さんからのメールで面白かったのは、北半球から南半球に移動すると、「重力差」のようなものを感じることがあると書かれていたこと。なんか分かる気がする。それに東西南北の逆転感覚、季節も逆。いったいどんな塩梅になるのやら。日本を発つまで40日を切った。8月ももう下旬。月末にかけて、研修やら白山遠征やら行事てんこ盛り。この暑さ、いつになったら収まってくれるのだろう。

2013年8月17日土曜日

活元運動の謎

活元運動のルーツを探っていくと、どう考えても野口晴哉由来のものではないらしく、松本道別の霊動法や石井常造の生気法にたどり着く。晴哉先生が行ったのは、準備運動の手順を「制定」し、その準備運動によって発動される運動を活元運動と「命名」し、更にそれを体操として「実践普及」したことである。活元運動は自発動であるからして、本来、運動の中身は定義のしようがない。整体協会が、ひたすら行なってきたのは、「この一連の準備運動によって発動される運動を活元運動とする」という物差しを定めようとしてきたわけで、多くの人が「これは体操なのね」認めることによって、活元運動は体操になったのだ。

では、その物差しがどのように形づくられていったかというのは、非常に興味深いところだ。活元会にいくと、最初、モデルが何人か出されてデモンストレーションを行い、そして一人ひとりの運動に入ると、「他の人のマネをする必要はありません」「運動中は目を閉じたままでやってください」という注釈が付く。これってなかなか曲者で、初心者が目を閉じたままでいられるかどうか相当に怪しくて、たいがい薄目を開けて周囲を窺っている。こうして、視覚的に捉えた活元運動によって、一つのフレームが与えられる、つまり一つの観念として活元運動が理解されることになる。無論、その観念は、継続的に活元運動を行っていく過程で「壊されるべきもの」としてある。

かくして、「体操としての活元運動」は世界中に広がっていった。準備運動さへ覚えれば、人は「活元運動者」になることができる。なんという敷居の低さ。おまけに健康法としての効能書きまで付け加わった。しかし、観念運動から離れられないーつまり身体の運動ではなく、頭の体操(これは体操と呼べるのか?)をしている人たちを活元運動者と呼んでよいのか疑問の残るところである。ここ一年大井町で稽古としてやってきた「活元運動以前」は、身体運動としての活元運動とはなんだろうという素朴な疑問からはじまったものである

2013年8月16日金曜日

本3題

■ふとブックオフでも冷やかそうかと改札抜けて普段とは逆方向に歩き出す。ピンと来るものに出会えず、最後に立ち寄った百円コーナーで、なんと晴哉先生の「誕生前後の生活」と「女である時期」の二冊を発見。無事救出して参りました。あまり読まれた形跡はなく、当然のことだけど、ずっと昔に買った私所有のものより状態はよい。せどり屋にでもなろうかしら。

■図書館の棚の間をクルーズしていて、時々、なんでこの本がこの棚に?ということがままある。例えば、小林信彦の週刊文春連載のエッセイ一年分をまとめた『定年なし、打つ手なし』が老人問題(367)のところにあったり、米原万里の『パンツの面目ふんどしの沽券』が衣食住の習俗(383)の棚に置かれていたりする。ふたりとも大好きな作家なので余計に気になる。100%的外れとはいえないけれど、一緒に並んでいる本と仲良くしているようには見えず、ちょっと気の毒。

■月刊全生8月号に掲載されている語録の最後の部分に「暑さを少なくする体操」として「倚坐して足を机上にのせ、そりかえることだ」という一文がある。倚坐とはどういう座り方なのか、跪坐とはちがうのか?という問い合わせが僕のところに舞い込んできた。たしかに倚坐はキザと読めるが、跪坐(足首を返して)したら足は机に載せられないだろう。編集部のSさんに訊いてみたら、倚坐は「いざ」と読み、普通に椅子に座った姿勢のことであるという。それなら納得。倚坐=いざとは僕も知らなかった。

2013年8月14日水曜日

誕生日

生きている限り、年に一度は誕生日は巡ってくるもので、今日がその日
歳食ってくると、もの忘れが激しくなるというか、最近失せ物が多くて困る
このクソ暑いのに、帽子は失くす、扇子は行方不明でトホホな状態
みるに見兼ねてだと思うのだけれど、家族から麦わら帽と扇子のプレゼント
ありがたや


今日は昼前に家を出て五反田のブラジル領事館へ
査証の申請したのは、それこそ何十年かぶり
ブラジル国民に日本政府が査証を要求していることの裏返しの措置だろうと思うのだが、
窓口は結構混み合っていて、ビザを捺したパスポートを受け取るまで40分
帰りは、先週見つけたオスロコーヒーに寄り道してから帰宅

日射しは強いが、風にはもう秋の気配


2013年8月13日火曜日

私が選んだのは「庵」の一文字
草庵を結ぶ
あるいは、身の丈に合った小さな稽古場をつくる
という願いごと
ただ、庵ということは「仮」ものなのだな~
終の住処を見つけるのとは違うらしい

六畳か八畳の操法スペースに三畳の控えの間があればよい
濡れ縁の先に小さな庭があればなおよい
更衣室にお湯を沸かす小さな台所も必要なのか
本の置き場所は...
などとつらつら考えていると
いつのまにか草庵案が物欲にまみれはじめていることに苦笑する

















2013年8月12日月曜日

パリ稽古会

9月末のドイツ稽古会につなげて、パリでも一日だけ稽古やることになりました
そのチラシが届いたので(若干の間違いあったので訂正済)お知らせします
やはり、野口整体というくくりになるんですね
フランス語よくわからないのですが、どういう説明になっているのでしょう?
定員15名ということらしい
ドイツの場合、参加者の大半が日本人なので通訳なしでやってますが、
パリの部は通訳が間に入ることになるので、アウェイ感十分な会になりそう
予めどのような話をするのか知らせて下さいとのことなので、
夏休みの宿題として現在取組中



七夕筆動法

旧暦の七夕は8月13日なので
今月の筆動法は「七夕筆動法」と題し、11日にやることにした

整体協会には晴哉流の願い方が伝わっている
短冊に「…したい」、「…になるますように」などとは書かず、
「…になる」「…する」と断定調で書く
さらに、その書いたことを忘れる

願いごとをするのは難しいものだ
願ったことが実現することで人が幸せになるとは限らない
願いごとをするときは、それが実現すると思って書いた方が良い
安易に願いごとすると、それが引き起こす結末に振り回されることになる
こういうのを自業自得と呼ぶ
だから願いごとをするにも技がいる

何年か前の七夕筆動法の会では、半折の半紙を短冊に見立て、
願いごとをそのまま書いた
今回は、その願いごとを漢字一文字に凝縮することにした
敢えて解説は求めなかったが、参加者それぞれの願いがこもっている
さて何をどう願おうか?

http://fudedoho.blogspot.jp/2013/08/fudedoho-on-2013811.html

2013年8月11日日曜日

日本沈没

日本沈没(小松左京著 小学館文庫 2006)を読み終えた。初版は1973年なのだが、その時点では読んでない。なんと40年の時を隔てて初めて読むことになったのだが、311を体験した後だけにリアリティがある。311後の原発事故のあと、この国の当事者能力のなさに絶望したのだが、この日本沈没に出てくる政治家・官僚たちは当事者として危機に対峙する気概をもっていて実に羨ましい。僕がディアスポラという言葉を知ったのは90年代のことだと思うのだが、この単語もすでにこの小説の中で使われている。難民の受け入れに消極的なこの日本という国の一億の民が難民化するという設定がなんともすごい。プレートテクトニクス理論を援用した日本沈没のメカニズムも素晴らしいし(大陸移動説が認められたのが20世紀半ばというのは意外)、国際政治の動きもきっちり書き込まれている。前半の風俗描写とか、古臭さを感じさせる部分はあるが、全体としてみると、これは名作としかいいようがない。

2013年8月7日水曜日

大愚良寛

はじめて糸魚川に行き、そこに相馬御風という偉い人がいたことを知った
縄文山田さんから相馬御風のことは伝え聞いていたはずだが、
実際に御風が暮らした家を訪ね、記念館でその功績を目の当たりにすると、
偉い人が居たものだと感心してしまう
33歳で東京から糸魚川に戻り、恩師の葬儀に一度出席するために上京した以外、
一度も東京の地を踏むことがなかったという逸話など「よいなあ」と思う
忘れられていた「ひすい」の記憶を奴奈川伝説を読み解くことで取り戻した功績など、
糸魚川にとって恩人ではないか
良寛研究家としても著名で「大愚良寛」といった研究書を著している
帰京後さっそく、取り寄せて見たのだが、重い!
十分重いと思った晴哉先生の「潜在意識教育」(中央)が小さく見えるほどだ
ちなみに左端は発行後40年の時を経て初めて読んでいる小松左京の「日本沈没」の文庫版


2013年8月6日火曜日

雨男

自分がこんなにも雨男だったとは
白山登山を加賀組と試みるも、大雨で中止
三日空けて今度は鳥越組と登るつもりが、これまた大雨で延期
結局、こどもたちに混じって、竹細工をし、薪割りをし、
一緒にプールにも行くという林間学校状態
それにしても子どもたちはよく遊ぶ
ちょっとナメてた
小学校高学年くらいの女の子が、
ナタを使って丸太を刻んでいるときの集中感たるやすごい



後ろ髪を引かれる思いで糸魚川に移動
縄文山田さん製作の縄文カヌーに乗せてもらい、SUPも初体験
初めてにしては上手いと褒めてもらったものの、
モダンスポーツのはずが、僕が漕ぐと船頭さんにしか見えないのが悲しい


海遊び中は晴れ間もあったが、しかし、夜にはまた雨
翌日の市内巡りのときもずっと雨だった
相馬御風という糸魚川出身の良寛研究家(早稲田大学他の校歌作詞者としても著名)の存在を知った
糸魚川にとっては恩人みたいな存在だ

関東に帰ってきた途端、北陸地方の梅雨が明けた

(動画は縄文山田さん撮影)