2016年2月6日土曜日

たられば

北野天満宮の境内を歩いていると、妻の気配を感じることがある
梅の木が多く植えられている境内、天神市のとき屋台の間を行き交うひとびと
この雰囲気をきっと妻は気に入ったにちがいない
ただ、ここに一緒に詣でたことはない
妻と京都に来たのは、数回のことで、一番最後に来たのは、
岡山帰省の帰り道、五山の送り火をみるために途中下車したときのことだ
まだ娘が小さかった頃のことだから、20年も昔のことになる

妻と京都に住んでいたらどうだろう
もっと穏やかに、諍いすることもなく、暮らせていたのではないか
そんなふうに思うことがある
たらればのはなしで、どう考えても、ありうることではない
妻が逝き、父が逝くことで、はじめて京都に戻るという選択肢が生まれたのだから

京都の生活に馴染むにつれ、
知人友人が訪ねてきてくれる度に、
この場所で稽古するごとに、現実感覚が取り戻ってきた
やはり、ひととのつながりによって、私もまた現世とつながっているのだ

























【1/25撮影】