たまに備忘録として読み返してみると、中味は同工異曲で繰り返しが多い。人は進歩しないという人間観を抱くようになったのは、自分自身を振り返ってそう思うからである。30年の間に、いったい何万字を垂れ流してきたのだろう。「知者黙」の真逆をいくわけで、きっとこのまま悟ることなく朽ち果てていくのだろうな。僕が父の遺句集を編んだように、USBメモリにテキストデータだけ残しておくので、だれか遺稿集でも編んでみてください。第1号は1986年9月16日発行とあるから、あと半年で30年。
ともあれ、30年前のいまごろ、僕は前の仕事を辞め、沖縄、台湾を旅し、さてこれから、どのように整体の勉強を進めていこうかと思案していた。東京への引越話が出てくるのは4月になってからのことだった→『引っ越し1986』。当時、身体教育研究所もまだ始まってはいない。いやはや、ぐるーっと一廻りして京都に舞い戻ってきたわけだ。