2016年3月19日土曜日

距離感

昨日、北山に住みはじめた若い友人が訪ねてきてくれた。「遠いところわざわざ」という挨拶が出るくらい、感覚的に北山はここから遠いのだが、よくよく考えてみると、二子玉川から自由が丘くらいの距離にすぎず、東京にいれば、だれも「遠いところわざわざ」とは言わない。

京都のコンパクトさは、このブログでも書いてきたが、相当遠くまで行っても、歩いて帰ってこられるという安心感はなにごとにも代えがたい。先日も、街中に出るつもりで北野白梅町のバス停まで歩いていったのだが、しばらくバスが来そうもないので、ふらふらと一条通までくだり、そこの商店街を歩くことにした。一条通りの商店街は北野天満宮の門前としてむかしは栄えていたようで、なんと秀吉が開いた北野大茶会(1587年!)のときに出したお饅頭を売る和菓子屋さんなんてのもある。

一条通を突き当りまで行くと、そこから先は中立売通りになる。そういえば、この中立売通り、千本通りから先はまだ歩いてないなと、どんどん歩いて行った。緩やかな下り坂になっていて、途中、骨董屋があったり、小さなお店がけっこうある。堀川通を越え、さらに進んでいくと、楽美術館の表示が現れてきたりして、これまで点として理解していたものが、面として像を結びはじめる

突き当りは京都御所。あれあれ、御所まで歩いてしまったよ、と自分で呆れながら、ここまで来たら、ちょっと池田先生のところに顔を出してみるかと、連絡してみると居るとのことなので、そのまま烏丸通を下って丸太町通りを越える。池田先生のところで一服させてもらい、今度は、夷川通りを東に歩きはじめる。夷川通は家具の町として有名のようだが、よさそうな文机を置いているお店とか、古い建具を衝立に再生して置いているお店とか、はたまた北欧家具のお店とか、楽しいお店ー目の毒でもあるーが軒を並べている。そして、突き当りは寺町通り。

この日の散歩は、ここからさらに、岡崎公園、黒谷とつづいて、最後は昔住んでいた錦林車庫にまでたどりついてしまう。それでも、そこからバス一本で帰ってこられる。戻ってきて、いったいどれくらい歩いたのだろうと、地図で確かめたらなんと12キロ歩いている。靴のすり減り具合がはげいしいわけだ。

昔むかし、京都に住んでいた時には、京都はもっと大きな街だと感じていた。銀閣寺から西陣の方まで自転車を漕ぐと、随分遠出した気分になったものだったのに、こうして再びこの街で暮らし始めると、なんだ、自転車で端から端まで移動できるじゃないかと思う(実際の生活は、半径1.5キロで成り立っているのだが...)。おそらく、関東暮らし30年のせいで、広い範囲を動くことー自力ではなかったけれどーが習い性になってしまっていたからにちがいない。

【丸太町橋から北山を望む】