公開講話と初心者コースに一年以上通っている人がやってきて曰く、公開講話は楽しんだけれど、いろんな断片ばかりを受け取っている気がすると仰る。まったくその通りで、稽古を30年ちかくやっている我々にとっても同じである。その断片をどのように組み合わせて全体像を捉えていくか、創り上げていくか、それ自体が稽古ということになる。いちばん安易なのは、自分がすでに知っていること、やったことのあることに引きつけて理解することだが、これだと単なる矮小化でおわる。稽古を続けていけば断片の数はどんどん増えていき、混乱の度合いはより高まり、途方に暮れてしまうことになる。わかった!と思う場面は一瞬やってくるが、たいがいそれは単なる勘違いで、再び奈落の底に突き落とされることになる。像が結ばれそうで、なかなか結ばれない宙ぶらりんの状態にある自分をどれだけ愉しめるか、稽古を続けられるかどうかは、そこにかかっている。