2016年4月19日火曜日

ワーク考

ユズルさんの紹介もあったりしたせいか(べったりか...)、いわゆるボディワーク系の人たちがポロポロと現れはじめた。その人たちの言葉の使い方が面白い。たとえば、「ワークを受けたい」とおっしゃる。「稽古したい」「操法を受けたい」と比較すると、どちらかというと後者に近いニュアンスのようだ。workは仕事であり作品でもある。語感もイヤではない。ただ、英語のworkと、ここで使われてる日本語としてのワークは、意味合いがだいぶ違っている。意味のズレに注意がいってしまうのは、このところ読んでいる多和田葉子ののせいなのだけれど、はたして、「稽古」を他の言語で表現するとして、それはいったい何になるのだろう。稽古の原義である「いにしえについてかんがえる」というところまで遡らないと、ふさわしい言い回しにたどり着かないのではないか。さて、ぼくらは、原則的に受ける人にも坐法臥法というものをリクエストしている。つまり、「ワーク(?)の半分は貴方が担うんですよ」と言ってる。なぜぼくらが、自分たちの場所を稽古場と呼んでいるのか、新しい人たちと話すことで、その立処が少しだけはっきりしてきたような気がする。