山本義隆にたどり着いた経緯は散発的にこのブログでも書いてきたので省略
→ https://dohokids.blogspot.com/search/label/読書会
最初に読んだ、いや読もうとしたのが「磁力と重力の発見」
全3巻千ページに及ぶ大著
図書館で借りて読みはじめたが、結局ネット古書店で全巻購入
以下、「近代日本一五〇年」、「私の1960年代」と読み進めている
実のところ、「磁力と重力の発見」は第3巻三分の一のところで足踏みしている
『磁力と重力の発見』の序文を山本はこう書きはじめる
本書は近代自然科学、とりわけ近代物理学がいかにして近代ヨーロッパに生まれたのか、という問題意識から発したものである。
更に、物理学二千年の歴史を次のように総括する
物理学の歴史は、煎じ詰めると、古代ギリシャの原子論が充実した物質としての原子と空虚な空間を見出し、二千年後の一七世紀に空間を隔てて働く万有引力にゆきつき、その後、一九世紀に場が発見されて力は場に還元され、そして二〇世紀の量子の発見をへて今日の姿をとるにいたったとまとめあげられる。
本書は、ギリシャの原子論とニュートンの万有引力の間の二千年という歴史を、磁石・磁力に代表される「遠隔力」がどのように理解されてきたかによって辿ろうとしている。
歴史上最初に現れる磁力理論はギリシャのエンペドクレス(前5世紀)と言われていて、
「磁石と鉄の両方から生じる流出物と鉄からの流出物に対応する磁石の通孔とによって、鉄が磁石の方へ運ばれる」というものである
こうやって山本は丹念に当時の哲学者たちが磁力をどのように理解していこうとしていたかを辿っていく。1巻2巻の目次は次のようなものである。
科学と技術はまったく別物として存在していた
科学はラテン語で語られる事柄であった
技術は職人の間で継承されていくものであった
それが、ルネサンス、大航海時代に入ってくると、科学と技術に接点が生まれてくる
印刷術の発展とともに俗語による出版物が増えてくる
やがて「科学技術」というものが発生する
まだ途中までしか読み進めてないのだが、遠隔力としての磁力のは徐々に現代物理学に近づいてきた。ただ、力が及び方に関して、「近いもの同士は強く、遠ざかるに従って、その力は弱くなる」という説明に辿りついたところで、私の中で?が生まれてしまった。気の伝達は距離を問わないというのが整体の原則であるから、近いほど強く影響するという理論には素直に首肯できない(笑)。場の理論、素粒子論にたどりつけば、もっと整体に近づいてくるのかしら、と思いながら続きを読もうと思う。
*****
『磁力と重力の発見』の第2巻を読んでいる時だったか、「大学ってもう終わってるな〜」となぜか思った。よくよく考えてみれば、著者は大学闘争を経て、在野の研究者であることを貫いてきた人であるからして、当然そう思っているはずで、行間から、そのような思いが伝わってきたのかしらとも思う。
「ぼくはなぜラジオ少年となったか」という問いに対し、『磁力と重力の発見』が扱っている時間軸は長すぎるので、もう少し、時間軸を縮めることにした。そこで、『近代日本一五〇年』。明治維新以来、日本という国が、どのように欧米から「科学技術」を導入し、帝国主義化していき、戦争を戦い、福島の原発事故に至ったか。どう考えても、僕がラジオ少年化していったのは、この文脈のなかにすっぽりおさまりそうではないか。
科学技術なるものが形成されたのは、せいぜいが18世紀末以降のことで、それまでは、科学と技術は本質的に異なる営みであった。世界の理解と説明を目的とする科学は、大学アカデミズムの内部で論じられる哲学ないし思想としての自然観であ理、実践の学としての医学をのぞいて、何らかの実際的応用を意図していたわけではない。他方、製作や捜査を目的とする技術は、長年にわたる膨大な経験の蓄積をとおして形成されたもので、機械の制作にせよ金属精錬にせよ、力学理論や科学理論に裏づけられていたわけではない。(p26)
明治維新の日本人にとって、西洋文明とは科学技術であった。文明開化は科学技術、端的にいうと蒸気機関と有線通信技術と共にやってきた。そして、幸か不幸か、最新の科学技術を欧米諸国とさほど時間差を置かず、インフラゼロのところに導入することができたのである。ただ、民間資本の蓄積がなかったゆえ、政府主導ではじまる。科学技術振興の牽引役として工部省が創設される。
明治前期に上級学校に進んだのはほとんどが士族の子弟で、明治期の技術者はその大半が士族出身者で占められていた。しかし徳川の時代に「士農工商」の身分制ヒエラルキーの最上部にいた士族は、職人や商人の仕事を蔑んでいたのであり、士族に根強かったこのような階級的偏見を払拭するには、工部大学校、のちには帝国大学工科大学で教育されることになる技術を、舶来のものとして箔をつけ、お上のものとして権威づけ、こうして教育される技術者を、技術エリート・技術士官として在来の職人から差別化しなければならなかった。(p.52)
こうして大学は国策を実現するための人材育成機関として作られていく。産学軍の連合は日清日露戦争を経て強化され、第二次大戦においてピークを迎えることになる。
科学動員のかけ声のもとで研究者や技術者は優遇され、戦時下の理工系ブームがもたらされた。理工系の学者は、研究活動上も私生活においても、わが世の春を迎えルことになる。前述の宮本武之輔の一九四〇年の「技術国策論」には、「現に理科系統の大学卒業者に対する需要は供給の三倍以上、同じく専門学校卒業者に対する需要は五倍以上に達する状態」とある。(p.194)
そして戦後。
アジア・太平洋戦争の敗北によって、たしかに日本は、それまでの非民主的な政治思想や前近代的な国家思想の反省を迫られた。それゆえ、社会思想やイデオロギーが問題となる文系の研究者においては、戦時中なにがしか戦争に協力したならば、戦後の世界では、発言を躊躇われた。しかし、科学技術においては、大戦中、戦争遂行に必須であるとして科学動員が語られ、研究者にはさまざまな優遇措置が与えられ、科学者も率先してそれに応えてきたのであるが、それにもかかわらず、敗戦の直後、科学者の内部からはそのことへの反省は語られなかった。(p.204)
逆に、「科学が足りなかったから戦争に負けた」のであり、戦後は「科学振興をさらに進めなくてはならい」という意見に集約されていく。そして、それが国の政策となっていく。つまり、敗戦を経た後も、科学技術振興立国という明治はじめに設定されたゴールはそのまま生き続けた。
僕が十代だった1960年代、成績優秀な生徒は工学部に行けと言われて育った。高度成長がはじまった時代。そいう風潮の中に僕自身がいて、高専の電気工学科に入学したのだった。それが1968年。半世紀前のことである。
2019年5月31日金曜日
5月の読書
隣の病い* 中井久夫 ちくま学芸文庫 2010
低予算でもなぜ強い?* 戸塚啓 光文社新書 2015
異なり記念日* 斎藤陽道 医学書院 2018
夜のピクニック* 恩田陸 新潮社 2004
私の1960年代* 山本義隆 金曜日 2015
平成史* 片山杜秀・佐藤優 小学館 2018
浮遊霊ブラジル* 津村記久子 文藝春秋 2016
空白の天気図* 柳田邦男 新潮文庫 1975
日本の伝統とはなにか* 梅原猛 ミネルヴァ書房 2010
理系という生き方* 最相葉月 ポプラ社 2018
現代の超克* 中島岳志・若松英輔 ミシマ社 2014
低予算でもなぜ強い?* 戸塚啓 光文社新書 2015
異なり記念日* 斎藤陽道 医学書院 2018
夜のピクニック* 恩田陸 新潮社 2004
私の1960年代* 山本義隆 金曜日 2015
平成史* 片山杜秀・佐藤優 小学館 2018
浮遊霊ブラジル* 津村記久子 文藝春秋 2016
空白の天気図* 柳田邦男 新潮文庫 1975
日本の伝統とはなにか* 梅原猛 ミネルヴァ書房 2010
理系という生き方* 最相葉月 ポプラ社 2018
現代の超克* 中島岳志・若松英輔 ミシマ社 2014
耳が遠い
最近、稽古会に出ると、人より三歩くらい前に座っている
あいつ、最近妙に熱心だな〜、などと思われているかもしれないが
要は耳が遠くなっているのだ
歳とともに、いろんな出来事が我が身に降りかかって来ているが、
耳が遠くなるというのは想定外だった
何十年も聴き続けている師匠の話についていけないというのはショックで、
人生の愉しみ半減である
師匠の声も小さいが、連れ合いの声がまた小さい
話を合わせているつもりなのに、全然違った話をしていたなんてこともしょっちゅうで、
これはこれで困ったものである
小さい声が聞こえづらくなったことは確かなのだが、
むしろ問題は音の分解能が低下していること
大勢の人間が喋っていると、その場に入っていけなくなってしまう
自分と世界の間に厚い膜があるみたいな感覚
こうして自分が生息する空間が狭まってくるのは自然の流れとはいえ、
この状況にどう適応していけばよいのか戸惑っている
あいつ、最近妙に熱心だな〜、などと思われているかもしれないが
要は耳が遠くなっているのだ
歳とともに、いろんな出来事が我が身に降りかかって来ているが、
耳が遠くなるというのは想定外だった
何十年も聴き続けている師匠の話についていけないというのはショックで、
人生の愉しみ半減である
師匠の声も小さいが、連れ合いの声がまた小さい
話を合わせているつもりなのに、全然違った話をしていたなんてこともしょっちゅうで、
これはこれで困ったものである
小さい声が聞こえづらくなったことは確かなのだが、
むしろ問題は音の分解能が低下していること
大勢の人間が喋っていると、その場に入っていけなくなってしまう
自分と世界の間に厚い膜があるみたいな感覚
こうして自分が生息する空間が狭まってくるのは自然の流れとはいえ、
この状況にどう適応していけばよいのか戸惑っている
2019年5月27日月曜日
石川合同稽古会2019
石川合同稽古会2019 8月4日〜5日
下記の要領で石川合同稽古会を開催します。
会場となる湯涌創作の森は、金沢駅からバスで50分の森の中にある研修施設で、近くに温泉もあります。石川近郊の方のみならず、広く全国からの参加を募ります。参加希望者は7月20日までに、申込書に必要事項をご記入の上、担当者にお申し込みください。
石川合同稽古会要項・申込書(pdf)
日時
8月4日(日)
I 13時〜16時公開講話* *公開講話は未会員の方も参加できます
II 17時〜20時動法基礎
8月5日(月)
III 10時〜13時内観基礎
会場
金沢湯涌創作の森 金沢駅より北鉄バス12番湯涌線 湯涌創作の森下車 徒歩10分
担当
遠藤日向(金沢稽古会)
角南和宏(白山稽古会・等持院稽古場)
会費 1コマ3000円 2コマ5000円 3コマ 7000円
宿泊 一人一泊 1500円 (シーツ代、宿泊税を含む)
湯涌創作の森 http://www.sousaku-mori.gr.jp/ 湯涌温泉観光協会 https://yuwaku.gr.jp
担当者より
石川県金沢市「湯涌創作の森」で合同稽古会を開催します。普段、交流のない金沢・白山の稽古会の方たちが一同に集まっての合同稽古会です。改めて普段学んでいる技術や思想の面白さ、深さにたくさんの人たちと共感しあえる佳き会になりますことと、金沢・白山の会員の皆様や県外の会員の皆様にとっても新しい風や、視野が広がっていくそんな"場"を感じてもらえれば幸いです。また、今回は未会員の方向けに身体教育研究所の公開講話・動法基礎の時間を設けてあります。身体の歴史や身体技法、そのアプローチの仕方などの面白さを、頭でなく身体を通して知ってもらえる有意義な時間となると思います。(遠藤)
石川に通いはじめて十年になります。この間、東日本大震災を経験し、整体協会にとっても私自身にとっても激動の十年でした。その間、私の中で変わらぬものとしてあったのが白山稽古会でした。東京から京都に活動の場を移してからも石川通いは続いています。顔ぶれも少しづつ入れ替わりながら継続している白山稽古会ですが、この先どうするか、迷いがないわけではありません。十年という節目を迎え、「交流の場」としての稽古会を企画することにしました。関東、関西で稽古をやっている人たちも巻き込んで、石川に新しい風を吹かせようと目論んでいます。(角南)
下記の要領で石川合同稽古会を開催します。
会場となる湯涌創作の森は、金沢駅からバスで50分の森の中にある研修施設で、近くに温泉もあります。石川近郊の方のみならず、広く全国からの参加を募ります。参加希望者は7月20日までに、申込書に必要事項をご記入の上、担当者にお申し込みください。
石川合同稽古会要項・申込書(pdf)
日時
8月4日(日)
I 13時〜16時公開講話* *公開講話は未会員の方も参加できます
II 17時〜20時動法基礎
8月5日(月)
III 10時〜13時内観基礎
会場
金沢湯涌創作の森 金沢駅より北鉄バス12番湯涌線 湯涌創作の森下車 徒歩10分
担当
遠藤日向(金沢稽古会)
角南和宏(白山稽古会・等持院稽古場)
会費 1コマ3000円 2コマ5000円 3コマ 7000円
宿泊 一人一泊 1500円 (シーツ代、宿泊税を含む)
湯涌創作の森 http://www.sousaku-mori.gr.jp/ 湯涌温泉観光協会 https://yuwaku.gr.jp
担当者より
石川県金沢市「湯涌創作の森」で合同稽古会を開催します。普段、交流のない金沢・白山の稽古会の方たちが一同に集まっての合同稽古会です。改めて普段学んでいる技術や思想の面白さ、深さにたくさんの人たちと共感しあえる佳き会になりますことと、金沢・白山の会員の皆様や県外の会員の皆様にとっても新しい風や、視野が広がっていくそんな"場"を感じてもらえれば幸いです。また、今回は未会員の方向けに身体教育研究所の公開講話・動法基礎の時間を設けてあります。身体の歴史や身体技法、そのアプローチの仕方などの面白さを、頭でなく身体を通して知ってもらえる有意義な時間となると思います。(遠藤)
石川に通いはじめて十年になります。この間、東日本大震災を経験し、整体協会にとっても私自身にとっても激動の十年でした。その間、私の中で変わらぬものとしてあったのが白山稽古会でした。東京から京都に活動の場を移してからも石川通いは続いています。顔ぶれも少しづつ入れ替わりながら継続している白山稽古会ですが、この先どうするか、迷いがないわけではありません。十年という節目を迎え、「交流の場」としての稽古会を企画することにしました。関東、関西で稽古をやっている人たちも巻き込んで、石川に新しい風を吹かせようと目論んでいます。(角南)
2019年5月22日水曜日
二人隠居 revised
ここまでの暮らしに名前を付けるとすると、二人隠居生活
ジイさんとバアさんの二人隠居生活
僕一人の隠居生活にすっと溶け込んできた相方は、
四十代とは思えないほどのバアさん力があって、
最近の妙に若々しいバアさんたちより、よほどバアさんらしい
隠居生活とは質素な暮らし
ジイさんは山に芝刈りに行く替わりに稽古する
バアさんが休憩時間にお茶を淹れてくれて、会話に加わることもある
いや一緒に臥法をやってたりもする
床の間に庭の草木が活けられるようになったのは有り難い変化
食事はご飯と味噌汁が基本
いや、紅茶にパンに野菜にチーズか
外食はたまに近所のおうどん屋さんに連れだって行くくらい
散歩はするが、図書館がせいぜいで、街中にはほとんど行かない
庭木の世話などしていると、出かけることを忘れる
最低二日に一度は山門のところまで歩き、世界が続いていることを確かめる
このようなのどかな生活に変化が現れた
ジイさんとバアさんの二人隠居生活
僕一人の隠居生活にすっと溶け込んできた相方は、
四十代とは思えないほどのバアさん力があって、
最近の妙に若々しいバアさんたちより、よほどバアさんらしい
隠居生活とは質素な暮らし
ジイさんは山に芝刈りに行く替わりに稽古する
バアさんが休憩時間にお茶を淹れてくれて、会話に加わることもある
いや一緒に臥法をやってたりもする
床の間に庭の草木が活けられるようになったのは有り難い変化
食事はご飯と味噌汁が基本
いや、紅茶にパンに野菜にチーズか
外食はたまに近所のおうどん屋さんに連れだって行くくらい
散歩はするが、図書館がせいぜいで、街中にはほとんど行かない
庭木の世話などしていると、出かけることを忘れる
最低二日に一度は山門のところまで歩き、世界が続いていることを確かめる
このようなのどかな生活に変化が現れた
2019年5月21日火曜日
2019年5月20日月曜日
CD&LP
うーん、なんだか物欲回復してきてる
演奏会に行くたびにCDやらLP買ってきている
写真左は”GOT LOST”というCD
ドイツ稽古会に参加されている旧知のピアニストがオペラ歌手のリサイタルに
伴奏のため京都に来るからと招待状を送ってくださった
前半は有名オペラからの歌曲、後半は現代声楽曲という二部構成
最後に演奏された"GOT LOST"という曲
これが圧巻だったのだ
しかも、知人のパートナーの作曲作品だという
写真右は空間現代の最新アルバム”PALM"
ポーランド人アーティストとコラボし、その演奏を、しかも無料でやるというので、
のこのこと「外」に出かけてきました
そこに置いてあったのが”PALM"
LPなんだよね
レコードプレイヤー手放して随分時間が経っている
デジタル音源もダウンロードできるそうだが、
ターンテーブルに載っけて聴きたくなるではないか
演奏会に行くたびにCDやらLP買ってきている
写真左は”GOT LOST”というCD
ドイツ稽古会に参加されている旧知のピアニストがオペラ歌手のリサイタルに
伴奏のため京都に来るからと招待状を送ってくださった
前半は有名オペラからの歌曲、後半は現代声楽曲という二部構成
最後に演奏された"GOT LOST"という曲
これが圧巻だったのだ
しかも、知人のパートナーの作曲作品だという
写真右は空間現代の最新アルバム”PALM"
ポーランド人アーティストとコラボし、その演奏を、しかも無料でやるというので、
のこのこと「外」に出かけてきました
そこに置いてあったのが”PALM"
LPなんだよね
レコードプレイヤー手放して随分時間が経っている
デジタル音源もダウンロードできるそうだが、
ターンテーブルに載っけて聴きたくなるではないか
2019年5月19日日曜日
自分さがし
自分さがしをはじめてしまった
昨年暮れ、参加している読書会で、私が整体に出会うまで、
そして、その後の展開を話す機会を得た
いってみれば、自分史の半分を語ったことになる
そこでふと思った
じゃあ、その前の自分
例えば、ラジオ少年としての自分は、どのように形成されてきたのか
ラジオ少年と整体オヤジはどのようにつながっているのか
最初に手に取ったのが「磁力と重力の発見」全3巻
筆者の山本義隆は東大全共闘の委員長として名前が知られている
というか、私など名前だけで、どのような仕事をしてきた人なのかまったく知らずにいた
1941年生まれだから、私とは、ぼぼ一回り上ということになる
「磁力と重力の発見」は、どのように、本来別々のものであった「科学」と「技術」が、
ヨーロッパにおいて「科学技術」として合体していったか、その経緯をギリシャの時代から辿っていく大著であり、すばらしい科学史の本でもある
3巻目にようやくたどり着いたものの、まだニュートンの章には行き着いてない
「磁力と重力の発見」がなかなか読み進まないのは、
同じ著者による他の書籍に寄り道しているせいである
たてつづけに、「福島の原発事故をめぐって」「近代日本一五〇年」「私の1960年代」
の三冊に手を出してしまった
私より一回り年上のぶん、1960年代(私の年齢でいえば、8歳から18歳)がどういう時代で、どういう空気を吸って人々は生きていたのか、大人の目で記述している
そこで、はじめて、なぜ、どのように僕がラジオ少年となっていったかが、腑に落ちたのだった
こうしてみると、自分というのは、ほんと「現象」だと思う
生まれ、親と交わり、近親者と交わり、他者と社会と時代の空気と交わりながら、
自分という輪郭がすこしづつ形成されていく
戦後教育の中で、ラジオ少年が生まれ、
そのもとには、明治政府の科学技術輸入政策があり、
そのもとには、16世紀文化革命がある
もちろん、みんなが僕のようなラジオ少年になったわけではない
それぞれが、それぞれの生まれ育った環境を取り込みながら「私」を形成していった
そう思うと、「なぜ」に終わりはない
あとしばらく、山本義隆氏の著作を地図として、「自分さがし」を続けてみようと思う
昨年暮れ、参加している読書会で、私が整体に出会うまで、
そして、その後の展開を話す機会を得た
いってみれば、自分史の半分を語ったことになる
そこでふと思った
じゃあ、その前の自分
例えば、ラジオ少年としての自分は、どのように形成されてきたのか
ラジオ少年と整体オヤジはどのようにつながっているのか
最初に手に取ったのが「磁力と重力の発見」全3巻
筆者の山本義隆は東大全共闘の委員長として名前が知られている
というか、私など名前だけで、どのような仕事をしてきた人なのかまったく知らずにいた
1941年生まれだから、私とは、ぼぼ一回り上ということになる
「磁力と重力の発見」は、どのように、本来別々のものであった「科学」と「技術」が、
ヨーロッパにおいて「科学技術」として合体していったか、その経緯をギリシャの時代から辿っていく大著であり、すばらしい科学史の本でもある
3巻目にようやくたどり着いたものの、まだニュートンの章には行き着いてない
「磁力と重力の発見」がなかなか読み進まないのは、
同じ著者による他の書籍に寄り道しているせいである
たてつづけに、「福島の原発事故をめぐって」「近代日本一五〇年」「私の1960年代」
の三冊に手を出してしまった
私より一回り年上のぶん、1960年代(私の年齢でいえば、8歳から18歳)がどういう時代で、どういう空気を吸って人々は生きていたのか、大人の目で記述している
そこで、はじめて、なぜ、どのように僕がラジオ少年となっていったかが、腑に落ちたのだった
こうしてみると、自分というのは、ほんと「現象」だと思う
生まれ、親と交わり、近親者と交わり、他者と社会と時代の空気と交わりながら、
自分という輪郭がすこしづつ形成されていく
戦後教育の中で、ラジオ少年が生まれ、
そのもとには、明治政府の科学技術輸入政策があり、
そのもとには、16世紀文化革命がある
もちろん、みんなが僕のようなラジオ少年になったわけではない
それぞれが、それぞれの生まれ育った環境を取り込みながら「私」を形成していった
そう思うと、「なぜ」に終わりはない
あとしばらく、山本義隆氏の著作を地図として、「自分さがし」を続けてみようと思う
2019年5月17日金曜日
2019年5月2日木曜日
2019年5月1日水曜日
目に入れても
目に入れても痛くない、という表現がある。小さなゴミひとつ目に入っただけで大騒ぎするのに、目に入れても痛くないだなんて…。先日、研修で東京に行った折、娘一家の住む佐倉まで足を伸ばした。孫たちー男の子ふたりーと遊んでいるうち、自分の眼差しが随分と柔らかくなっていることに気づいた。この迎え入れ具合。こういうのを、目に入れても痛くないというのか。あらためて、この日本語表現に深くうなづいた。娘だと、もう、目に入れると痛い。
年寄り三人で、「性と文化の革命」論議ーというより、ただのおしゃべり会をはじめた。下手すると、70年代はよかったな〜、という話に堕してしまいそうになるのだが、最後は教育談義に落ち着いて行くのが常ーといっても、まだ2回しかやってない。先日の会では、承認欲求という言葉への違和感という話題が、日本の学校教育における減点主義という話に転じていった。人は認められた方向に育っていく、というのが晴哉先生の潜在意識教育の要諦なのだが、減点主義の教育においては、ダメを認めることになってしまう。
せっかくの連休、目に入れても痛くないものを見に行きましょう。その前に、迎え入れの稽古をしましょう。
年寄り三人で、「性と文化の革命」論議ーというより、ただのおしゃべり会をはじめた。下手すると、70年代はよかったな〜、という話に堕してしまいそうになるのだが、最後は教育談義に落ち着いて行くのが常ーといっても、まだ2回しかやってない。先日の会では、承認欲求という言葉への違和感という話題が、日本の学校教育における減点主義という話に転じていった。人は認められた方向に育っていく、というのが晴哉先生の潜在意識教育の要諦なのだが、減点主義の教育においては、ダメを認めることになってしまう。
せっかくの連休、目に入れても痛くないものを見に行きましょう。その前に、迎え入れの稽古をしましょう。
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