2024年10月30日水曜日

10月の読書

中学生から知りたいウクライナのこと* 小川哲・藤原辰史 ミシマ社 2022
 発行年は2022年。戦争が始まったのが2月。3月に小川哲 と藤原辰史 がオンラインで対談。その対談をベースに#ミシマ社 が書籍にしたのが6月。そのスピード感には畏れ入るしかない。その本を発行から2年経った2024年に読んでいる。戦争は継続中で終わる気配はない。本書を通しウクライナの歴史を知ると近隣の大国に翻弄され続けている朝鮮半島との類似性に目がいく。そこに北朝鮮兵士がウクライナに送られるというニュース。まるでベトナム戦争をなぞるような展開ではないか。住んでいた土地を追われる人々。外貨稼ぎのため大義のない戦争に駆り出される兵士たち。もの言えぬ市民たち。なんとも辛い。

隣の国の人々と出会う 斎藤真理子 創元社 2024
 말 マル(言葉)、글 クル(文)、소리 ソリ(声)、시 シ(詩)、サイ 사이(間)という章立てでできあがっている160頁ほどの本。正方形に近い判型で手触りが良い。文法的には近い韓国語と日本語なのに体の文法はまるで違う。二つの生きた言語の間を往き来することで得た経験と知見が肌理の細かい配慮の行き届いた文章でしるされている。「韓国文学の中心にあるもの 」の時もそうだったが斎藤真理子 さんの本を読むと、もう一度超長期中断中の韓国語学習に挑戦したくなってくる。
 
ニッポン茶室ジャーニー 藤森照信・はな 淡交社 2024
マリリン・トールド・ミー* 山内マリコ 河出書房新社 2024
経済と人間の旅 宇沢弘文 日本経済新聞社 2014
コモンの「自治」論* 斎藤公平・松本卓也編 集英社 2022

2024年10月17日木曜日

同窓会

同窓会をやるというので顔を出してきた。
同窓会といっても、1970年代のなかごろ、京都左京区の下鴨界隈にたむろしていた当時の若者が半世紀ぶりに顔を合わせようというものだ。タイに住んでいるイギリス人歴史学者、アメリカと日本を行き来している仏教学者と日本語教師の夫婦。それにアメリカ人版画家とその奥様。カップルはともにアメリカ人日本人という国際結婚組。みな70代に入っている。それぞれ半世紀を生き延びてきたわけで、それだけでも十分に感慨深い。

話の内容は、1970年代の京都にあった外国人コミュニティ内での出来事に終始する。今に比べると、まあなんともおおらかな時代であった。そんな宙ぶらりんなコミュニティの隅っこに僕自身生息していたわけだ。旧交を温め、一応再会を期して別れてきた。

帰宅したら社会言語学を教えている知人から珍しく電話がかかってきた。長々と話しているうちに、その日会ってきた友人たちの話も出た。驚いたことに、その女性ーイ・ヨンスクさんーの代表的な著作「国語という思想」を英語版「The Ideology of Kokugo」に翻訳したのが、さっきまで一緒に喋っていた僕の50年来の知人ーMaki Hirano Hubbardさんその人であることが判明し、腰を抜かした。世の中狭すぎる。

EU2025 その2

遊びにいくわけではない。稽古しに行く。
9ヶ月先ということは、準備期間が9ヶ月あるということでもある。
そんな先を見据えて物事を考えたことがない。
ひょっとするとこれは千載一遇のありがたい出来事ではないか。

以前、整体協会の事務局で聞いた話。
スウェーデン人が一人、箱根の野口晴哉記念館(閉館)を訪ねてきたことがあるそうです。そのスウェーデン人曰く、「スウェーデンのインテリは、みんな活元運動をしている」と。まったく冗談のような話なのだが、荒唐無稽かというと、案外そうでもなさそうなのだ。

ヨーロッパに整体協会の活動が紹介されたのは1970年代のことのよう。
フランスには津田さんが、スペインには眞峰さんが、そして、ドイツには竹居先生が、というような具合で、活元運動を中心に晴哉先生の思想がヨーロッパに入っていった。留学生として、あるいは駐在員の家族として渡欧した人たちも大勢いた。1980年代に入るとヨーロッパの各地の活元会の人たちが日本にやってきたり、あるいは日本の人たちがヨーロッパを訪ねたり、様々なかたちでの交流があったようで、当時の月刊全生を開くとあれこれ報告記事が載っている。

野口昭子さんとアガサ・シュノーレポンさんが親しい友人であったことから、ニューヨークで活元会が開かれるといったこともあった。二人の往復書簡は月刊全生にも度々登場してたから覚えている人もいるかもしれません。アガサさんの解読不能な手書き文字に悪戦苦闘ながら翻訳していた頃が懐かしい。しかし、それ以降、個人的な交流はあったにせよ、組織的な交流は減少傾向にあったというのが、私の理解。

ヨーロッパで整体はどのように理解され、どのように受容されていったのか?
ましてや、稽古場の活動に至っては、ドイツの竹居グループに伝わっているくらい。室野井さんが舞踏のワークショップをイタリアでやったことがあるはずだけど、それとて20年も前の話。

 インターネットでSeitai とかKatsugen undo の検索語を与えてみると有象無象山のように出てきて、結構カオスな感じ。まあ、日本でも同じようなものだけれど。どんなカオスかちょっとみてきます。活元運動もテーマの一つになるので、準備として、活元運動3.0と称する稽古を月1やることにした。

2024年10月10日木曜日

EU2025 その1

来年の6月、ヨーロッパに行くことになった。
前回の渡欧は2013年のことだから、実に12年ぶりということになる。

そもそも数ヶ月先のことしか予定を決められないたちなのに、9ヶ月先のことを考えろという。これだけで前途多難。ここ十年で世界は随分と変わってしまった。端的にいうと、日本が落ち目になってきた。コロナ禍に戦争に、あしもとでは地震。不安定でしかたがない。なのに来年の予定など立てて大丈夫なのか。

航空運賃を調べて驚いた。往復20万円もするのだ。円安だからなのか、シベリアルートが絶たれいるせいなのか。11年前にいったい運賃はいかほどだったのだろうと、パソコンの奥をゴソゴソ漁っていたら、当時の出納帳が出てきた。フィンエアーで往復12万円。ヘルシンキ経由で往路はデュッセルドルフまで飛び、帰りはパリからヘルシンキ経由で成田。交換レートは1ユーロ130円を使っている。今は1ユーロ160円。おまけに、ここ10年のインフレ率は圧倒的に日本の方が低かったから、そりゃ、ヨーロッパから来る人にとって、日本の物価は安いはずである。物価ひとつとっても問題山積である。

航空券も買ってしまった。カタール航空。中東で戦争がエスカレートしないことを祈るのみ。

2024年10月1日火曜日

かわら版WEB公開

 かわら版デジタル化プロジェクト、軽い気持ちではじめたものの、結局3年かかってしまいました。片桐ユズルが亡くなって丸一年、ようやくウェブ公開に辿り着きました。ここまでの経緯はこのブログでも載せてきたので、以下を参照のこと。https://dohokids.blogspot.com/search/label/%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%82%89%E7%89%88

 1967年から1992年まで25年分を年度ごとPDF化しました。総ページ数は約2000頁。データ量としては全部で2GBくらいになります。できれば索引も作成したいところですが、これは次の人におまかせします。紙の原本は、立命館大学平和ミュージアムに預かっていただく予定です。

 初期のかわら版には、B4サイズの藁半紙の片面に印刷されていたものもありますが、号を重ねるうちにB5サイズ8頁立の形式に落ち着いていったようです。つまり、 B4サイズの用紙に両面印刷し真ん中で折り込んで8頁立てにするというもの。真ん中の見開きページは全面を一つの記事に使っているケースもあります。画像の取り込みはページ毎行っています。この見開きページも半分ずつ二つの画像として取り込み、両面印刷した場合でもページ立てが崩れないようにしています。ただ、こうすると見開きページは、いわゆるハラキリ状態になってしまうので、見開きページを一枚の画像として、その月の最終ページに追加しています。

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