2012年11月16日金曜日

Thailand 1980

タイにはじめて行ったのは1980年。より正確にいうと、その5年前、インドからの帰りに乗り継ぎでバンコクに一泊だけしているのだが、空港とホテルの往復だけだったから、とても行ったとはいえない。ただ、ホテルで出された肉をガツガツと食ってしまい、お腹をはげしく下したことだけは鮮明に覚えている。ほぼ菜食で半年過ごしてきた胃袋に肉は強烈すぎたのだ。


1980年のタイ行きは水先案内人がいたらから楽だった。バンコク、プーケット、チェンマイとタイ国内の三地方でそれぞれ一週間過ごした。ローカルの知り合いもいて、普通の観光旅行では見られないところも案内してもらった。プーケットが巨大リゾートとして開発される前の話である。


32年ぶりにタイに行ってみることにした。その時の水先案内人がチェンライというタイ北部の街に移り住み、遊びにおいでと声をかけてくれたからである。30年の間に東南アジアの旅行事情は大きく変わっていて、夜中に羽田を発てば、バンコク乗り継ぎで翌日の午前中にチェンライに着いてしまうのだ。航空運賃も30年前と変わらない。


30年前の旅行で撮った写真はおどろくほど少ないのだが、数年前にデジタル化してもらったネガのなかにかろうじて十枚ほどタイのものがあったので、このブログに載せることにした。撮影地は不明。私自身が写ったものもあるのだが、20代の私は、ずいぶんふっくらしている。
 



空間現代2

こいつら〜
http://kukangendai.boy.jp/top.html

2012年11月14日水曜日

お手本

指導者仲間のKさん逝去
先週水曜日の稽古会の途中でいきなり倒れ、
少しして意識を吹き返す
何人かの仲間の手で自宅まで送り届けられ、
「自分で階段を登って自室に入られました」というところまでは報告を受けていた
翌朝不調を訴え病院に運ばれ、そして土曜日の明け方に亡くなったとのこと
整体指導者とすれば理想的な逝き方
見事としか言いようがない
享年75歳

稽古中、私を含む何人かの人たちが前に出され、
その時、補助についてくれたのが、なんとKさん
普段組むことなんてなかったのにね
Kさんが倒れたのはその直後
しばらく傍で様子をみていたのだが、ちょっと頭痛がした
その日、稽古から帰り、夕食は食べたものの、すぐ横になりたくて布団にもぐりこんだ
まだ9時とか、そんな時間
結局、こんこんと眠ってしまい、目覚めたのが翌日木曜日の朝8時
頭痛は抜けていた

船橋稽古会があったのが、その翌日の金曜日
初参加の方も含め、これまでで一番多い8名が参加
実はこの稽古会、一年半前にKさんから引き継いだ会
「私はもう歳だから、若い人にお願いするわ」
と言われた私だって、すでにジジイを名乗っている

まあ、これも因縁なのか
「あれあれ託されちゃったよ」という気分
いいお手本を示して下さった
そんな逝き方だった

合掌

*今日になって、吉祥寺稽古会をお手伝いされていたTさんの訃報に接する。奇しくも、Kさんと同じ日に逝去されている。ご冥福をお祈りします。

2012年11月9日金曜日

なぜ身体教育なのか? 6

【客】

 先日、大井町稽古場を見学に来たスイスの人に、「あなたがやっていることは治療なのか」という質問を受けた。手を触れる人がいて、触れられる人はうつ伏せに寝ている風景を見れば通俗的な治療形態に見えてしまうのかもしれない。ただ、治療という概念には、あらかじめ治療する人と治療されるという役割分担が内蔵されている。そのような役割分担のない関係をつくりあげ、そのような関係の中で起こる出来事を体験することが、私たちの目指すところであり、そういう意味において私たちの行なっていることは治療ではない。
 動法の稽古等、動きものの稽古風景をみれば、私たちのやってることは体育として理解されやすい。しかし、前述の風景を含め、体育と称している。まず受ける側にそれ相応の嗜みを求めている。坐法臥法というものを定め、毛氈の上での立ち振舞をまず覚えていただく。いわばお茶室に入るように毛氈の中に入っていただく。お茶室に客として入った人間が、放縦に振舞っていたのではお茶会が成り立たず、客としての素養が問われることになる。それと同じである。この客としての嗜みを育てることこそが、私たちが体育とよんでいるものであるのかもしれない。
 いつから客という言葉が消費者を意味する言葉になってしまったのか。伝統芸能とよばれているものが衰退の道を歩んでいるのも、この客という感覚が薄れていっていることと対応している。客という言葉の本来の意味を今一度噛み締める必要がある。

2012年11月8日木曜日

漫才のような日々

娘の友だちのダンス発表会を見に行くという妻に
「今日の発表会に鳳なんとかさんもでるんだっけ」と訊ねると
「そうよ。元宝塚の...」
「鳳唄子だっけ?」
「えっ?」
「いや、あれは京唄子だ」(鳳啓助とまぜこぜになっている)
「ふたりとも口大きいよね」
「???」(東の人である妻に上方漫才の話は通じない)
「鳳蘭だったのか。そういえば、月刊全生の昭子さんの文章に鳳さんの名前が出てたよね? あれって、鳳蘭なの? 鳳蘭っていくつ?」
「50代じゃないの?」
(wikiで調べる)
「60代半ばじゃないか。それならアサちゃんが5歳として、年代的にはあり得るね」
(再びwikiで調べると、宝塚卒業後の初舞台が1981年になっている)
「ちょっと時代が合わない」
(再びwikiで「鳳」「宝塚」「劇団欅」で調べる)
「鳳八千代か? 知ってる? 水戸黄門に出てた人らしいよ」
「しらない」

と、こうやって文字化してみると、結構一方的な会話だ
しかも中身がない
この中身のなさこそが、夫婦の会話の真髄であるとも言えるw

*発表会じゃなくて「公演」と呼ばなきゃいけなかったようです
 主宰者は名倉加代子さんという著名な振付家だそう

2012年11月7日水曜日

why body education? III


[Colds and their Benefits]

 Noguchi wrote a book called "Colds and their Benefits" a half century ago. I think this book describes his philosophy well. Simplifying what written in the book in one sentence, "you catch colds because you need. And going through a pass-through process, you will be refreshed."  Sound good, doesn't it?  And many people understood and still understand Seitai as a natural healing art. I do not say this recognition of Seitai is wrong. But if you read the book carefully, you will find that this is the book on education. Over 30 years ago, I was working at an american college program in Kyoto as mentioned in part I of this essay.  Many students were experiencing what I called "culture shock fever" when they came into a new culture and this is what exactly happened to me in my intercultural experience. This phenomena can be explained easily as an adjustment phase one goes through. It interests me a lot  and eventually led me to the world of  Seitai.
 Now I have got to the starting point.
 (to be continued)

2012年11月2日金曜日

京都

二年四ヶ月ぶりに京都の稽古会に参加してきた
白山稽古会と日程が隣り合わせになったので、
公開講話初参加の人を含む白山の人たち三名と一緒に松任から京都に車で移動
駐車場から京都研修会館の建物に歩く途中でもう懐かしさ一杯

二年も間が空くと、顔ぶれも随分変わっているさ
顔見知りの人でも、若者だったと思っていた人が、オジサンぽくなっていたり…
その一方で、微塵も変わらない人もいる
この個体差というのは、どこに起因するのだろう
でも会全体が「大人」の雰囲気になってましたね

三日間、集注が保てるか若干の不安はあったものの、
(なんせ、夜中の特訓から宿に帰ると深夜2時というスケジュールなので)
無事最後までたどり着けました
三日間連続の稽古はよいですね