2016年1月17日日曜日

はじめての筆動法

等持院稽古場開設以来はじめての筆動法
私としても昨年9月の大井町以来4カ月ぶりの筆になる
筆動法初体験の方二人にむかし大井町で体験済みの方一名
四畳半に四人というのは狭くないかと案じていたが杞憂に終わった



2016年1月16日土曜日

京都暮らし

【お茶】
京都で暮らすようになって和菓子を食べる回数が増えた
お抹茶を入れる機会が増えたのは、美味しい和菓子屋さんがあるせいなのか
煎茶もよく飲むようにもなった
関東にいた頃は日本茶といえば、もっぱらほうじ茶だったのにね

【盆地】
盆地で生まれ育ったせいか、
山に囲まれた土地で暮らすとほっとする
若いころは、山の向うになにがあるか好奇心をたぎらせていたのに、
歳のせいだろうか、山の向こうが遠くなる
東京は遠く、大阪すら遠い

【静寂】
路地裏を歩いていて、
それまで断続的に聞こえていた街のノイズが
ー車の音であったり人の声であったりするのだがー
フッと消える一瞬がある
その静寂の感じは他の街では経験したことのない静けさのように思えるので
「京都的静寂」と呼んでいる

ねぎつみれ汁

寒いので鍋。森さんからいただいた石川【鳥越米】を炊き、近所の木田さんが差し入れてくれたTKGオーケーの【卵】、年末に清水さんにいただいた【鮭昆布巻き】を切り、鍋は、熊谷の神保さんが送ってくれた【下仁田ネギ】と生協で買ってきた【鳥つみれと豆腐】を入れて完成。

みーはー

身近な人が亡くなってから、ほんとは、その人のことをあんまりよく知らなかったという事実に行きあたる。妻のときもそうだったし、父も同様である。遺品を整理しながら、え、こんな一面があったのかと驚きながら一年間すごしてきた。

息子視線から父を表現すると、「やんちゃ」で「みーはー」な父ということになる。なんせ、北海道の大沼公園でレンタサイクルを借りたはよいが、走り始めて間もなく側溝に突っ込み意識不明となり、救急車で病院に運ばれ、脳挫傷、骨折4箇所で全治4週間という事故を引き起こし、御年76で、やんちゃぶりをいかんなく発揮してくれた。自転車に跨るのは20年ぶりだったとか。父が東京に移るきっかけとなった大事件でもある。

おやじにあって、ぼくにないものの筆頭が「みーはー」なところで、あの軽さは、いったいどこから来るのだろうと、ずっと謎だった。最後は、辻井伸行のおっかけですからね。ところで、みーはーの語源ってなんだろう? 「me & her 」なのか? 大辞林だと「みいちゃんはあちゃん」の略とある。wikipediaを見ると、最初に、「みつまめ」と「はやし長二郎(長谷川一夫)」大好き人間を揶揄したキャッチフレーズという説が、載っているが、それはないだろう。

教養主義の上澄みをすくい取ったものが、ミーハーなのかとも思うのだが、オヤジの生きた「昭和」という時代の空気を案外的確に言い表していることばであるのかもしれない。

2016年1月15日金曜日

初連座

今年はじめての連座
連座初めての方が三名集結
しかも、三人ほぼ初対面
30代、50代、80代と年齢幅も大
どうなることかと思ったが、無事終了
人のからだは春
差し入れの手づくり菓子を、
しまい込まれていた菓子器に盛りつけ
稽古後のお茶

2016年1月14日木曜日

稽古FAQ更新

稽古FAQを更新しました
ちなみに、FAQとは
Frequently Asked Questions - 「よく訊ねられる質問」といったような意味です
質問等寄せていただければ、このページに追加していきます

2016年1月12日火曜日

片桐ユズルに聞く

片桐ユズルに聞く」という会が月に一度京都で開かれている。昨年8月、偶然この会のある日に京都にいたことが(→前にすすむ6 呼ばれる)、京都引越のきっかけになったと、いえなくもない。

昨日(1月11日)のテーマ(どうやら今年の通年テーマらしい)が【輸入業者 ”片桐ユズル商会”へようこそ】ということのようで、これは面白そうだと、自転車でとことこ高野まで出かけていった。


【fbから無断借用 ごめんなさい】

僕が知りたかったのは、どれだけユズルさんが輸入業者であることに「自覚的」あるいは「確信犯的」であったのか。あるいは、一見「無邪気な輸入業者ぶり」のルーツはどこにあるのかという点だったのだが、さらりと、父上が英語教師であったという「家庭環境です」というお答え。なるほど。もちろん、終戦を十代半ばで迎えたユズル少年が、日本的なものを駄目だと思ったとしても、無理のないところで、このあたりの心情は、NHK戦後史証言アーカイブスのインタビューからも読み取ることができる。

輸入という意味では、明治維新以来の社会制度など官による輸入で出来上がっている。それと並行して民による輸入も行われた。ユズルさんの輸入はこの民の系譜に含まれるもので、その輸入の基準に戦略的な匂いは感じられず、むしろ、ただ自分に必要、あるいは面白そうと感じたものだけを輸入していった。それが、「カウンター・カルチャー」的なものであったということのようだ。

ひさしぶりに「カウンター・カルチャー」という言葉を聞いた。ユズルさんによると、このカウンター・カルチャーという呼び名は他称、つまり他人がつけたラベルであって自称ではないという点。それはそうだ。自分の好きなこと信ずることをやっていたら、たまたま世の趨勢と逆方向を向いていたというだけで、別にカウンター・カルチャーという冠を付けられたとしても、ありがたくもないだろう。

ある段階から、僕自身は「輸入もの」に疑問を抱くようになり、そこで野口晴哉の教育論と出会うことで、整体の道に邁進することになった。ただ、「日本的なるもの」「伝統」といった言葉を、常に、眉につばをつけて聞く習性がいまでも残っているのは、かつてかじった一般意味論効果なのだろうか。

それにしても、30年前の記憶というのは曖昧だ。個々の出来事は甦ってくるのに、時系列が乱れている。しかも登場人物はやたら多かったりする。還暦超え三人組(ユズル・みどり・私)が侃々諤々その当時の話をしている姿は若い人たちの目ににどんなふうに映っていたんだろう。