昨日(1月11日)のテーマ(どうやら今年の通年テーマらしい)が【輸入業者 ”片桐ユズル商会”へようこそ】ということのようで、これは面白そうだと、自転車でとことこ高野まで出かけていった。
【fbから無断借用 ごめんなさい】
僕が知りたかったのは、どれだけユズルさんが輸入業者であることに「自覚的」あるいは「確信犯的」であったのか。あるいは、一見「無邪気な輸入業者ぶり」のルーツはどこにあるのかという点だったのだが、さらりと、父上が英語教師であったという「家庭環境です」というお答え。なるほど。もちろん、終戦を十代半ばで迎えたユズル少年が、日本的なものを駄目だと思ったとしても、無理のないところで、このあたりの心情は、NHK戦後史証言アーカイブスのインタビューからも読み取ることができる。
輸入という意味では、明治維新以来の社会制度など官による輸入で出来上がっている。それと並行して民による輸入も行われた。ユズルさんの輸入はこの民の系譜に含まれるもので、その輸入の基準に戦略的な匂いは感じられず、むしろ、ただ自分に必要、あるいは面白そうと感じたものだけを輸入していった。それが、「カウンター・カルチャー」的なものであったということのようだ。
ひさしぶりに「カウンター・カルチャー」という言葉を聞いた。ユズルさんによると、このカウンター・カルチャーという呼び名は他称、つまり他人がつけたラベルであって自称ではないという点。それはそうだ。自分の好きなこと信ずることをやっていたら、たまたま世の趨勢と逆方向を向いていたというだけで、別にカウンター・カルチャーという冠を付けられたとしても、ありがたくもないだろう。
ある段階から、僕自身は「輸入もの」に疑問を抱くようになり、そこで野口晴哉の教育論と出会うことで、整体の道に邁進することになった。ただ、「日本的なるもの」「伝統」といった言葉を、常に、眉につばをつけて聞く習性がいまでも残っているのは、かつてかじった一般意味論効果なのだろうか。
それにしても、30年前の記憶というのは曖昧だ。個々の出来事は甦ってくるのに、時系列が乱れている。しかも登場人物はやたら多かったりする。還暦超え三人組(ユズル・みどり・私)が侃々諤々その当時の話をしている姿は若い人たちの目ににどんなふうに映っていたんだろう。