2016年5月25日水曜日

せうそこ

新企画
ちなみに「せうそこ」とは消息のこと
安森和子さんに関しては、『生動気韻』を参照のこと
参加希望者はご予約ください



















2016年5月23日月曜日

とりふね舞踏舎公演

6月8日9日の両日、京都でもとりふね舞踏舎の公演をやるそうだ


2016年5月22日日曜日

文脈

文脈ということを最近よく考える。

野口整体を標榜して活動している個人や団体は多くて、旧い友人が、そのような団体の一つで活元運動を習っていたりしていて驚いたことがある。それ自体、ぜんぜんオーケーなのだが、僕らがやっていることと、彼らがやっていることは同じなのねと気易くいわれると、そうなのかな〜と、腑に落ちないものが残る。

それはあなたたちの本流意識、あるいは、組織への忠誠心に過ぎないじゃないのと問われると、返事に詰まる。整体協会のなかでも、整体コンサルタントと稽古場の技術研究員ではやってることは大分違っていそうだし、それ以前に、技術研究員だって、ひとりひとりやってることが全然違ってるんじゃないのと思うこともある。それでも、なんらかの文脈は共有されている。

僕にとって切実なのは、技術の違いではなくて、どれだけ文脈を共有できているか、という一点なのだ。いわゆる自然派の人たちが、彼らの文脈の中に、構成要素の一つとして整体を取り入れたい気持ちは分からんではないし、大枠で捉えれば、僕なんかも自然派に含まれるのかもしれない。それでも、整体には整体の文脈というものがあるんだよな〜、と言いたくなってしまう。言い換えれば、ぼくらが「伝統」と呼んでいるものとどう「接し」ようとしているのか、という態度の違いなのだろうと思う。

ダン先生が、整体協会は結社であるといういいかたをよくされていた。俳句の集まりだって結社という言葉を使うから、一般的な単語でもある。でも、結社って、なかなか強いことばでもある。マイノリティーとしての結束と言い換えられるかもしれない。ときどき、そのマイノリティー性に無頓着な人がいて、あれっと思うのだが、基本、ぼくらはマイノリティーなのだと思う。だから、会員というのは、お客さんではなく仲間である。この仲間を希求する感じというのが、最近になってようやくわかってきた。

ずいぶん歯切れのわるい文章になってしまった。

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【付記 5/26】
つまりのところ、次の世代への視点があるかどうか、ということを言いたかったんだな。

2016年5月17日火曜日

季節は夏
夏という言葉から連想する漢字ではなく、
夏に連なる感覚にふさわしい漢字をひとつ見つけてみる



2016年5月16日月曜日

30代女子

先週、30代女子がやってきた
「心配だ〜」とイケダせんせもやってきた
とはいえ、僕のことを心配してくれているわけではなさそうだ

親子ほど年の離れたという表現があるが、
たしかに年の離れた女子との距離の取り方はむずかしい
ちょっとだけスリリングでもある

周りに30代、40代の独身女子が多くて困る
横で見てて、その煮え切らなさにイライラすることもある
勿論、男子にも同様の感覚はあるのだが、男子は冷たく突き放す

少子化社会を憂いてるわけでは無論ない
つまり、プレイヤーとして参加したいんでしょ?
遠くで誰かがささやくが、また同じ愚を繰り返すのかい?という裡なる声も聞こえてくる
理性をなぎたおすだけの衝動がうまれてこない
これはこれでちょっと淋しい

天満宮に散歩するというのは、いつもの来客パターン
天満宮脇のお店で粟餅を食べ、北野白梅町で別れたのだが、
その後、車折神社、松尾大社、月読神社と回ったらしい
なんと、その30代女子は御朱印ガールでもあった

夕方、等持院に戻ってきて、僕がつくったうどんを美味しそうに平らげ、
夜行バスに乗るために京都駅に向かっていった
うん、ちょっとだけ自分の中に野生が取り戻ってきた感じだ

2016年5月15日日曜日

活元会

活元コンサルタントになったばかりの娘がさっそく活元会を開くとのこと。
2年半前に叔母が亡くなったことをきっかけに整体に目覚め、その後、彼女にとっての母と祖父を看取った。僕にとっては、娘でありながら、一緒に修羅場をくぐりぬけてきた同志のような存在でもある。活元会を2回やり、それから出産体勢に入るという。たくましい。

連座→カタと同調

本日の「連座」は「カタと同調」に変更します
時間は13時〜16時 予約不要