6月8日9日の両日、京都でもとりふね舞踏舎の公演をやるそうだ
2016年5月22日日曜日
文脈
文脈ということを最近よく考える。
野口整体を標榜して活動している個人や団体は多くて、旧い友人が、そのような団体の一つで活元運動を習っていたりしていて驚いたことがある。それ自体、ぜんぜんオーケーなのだが、僕らがやっていることと、彼らがやっていることは同じなのねと気易くいわれると、そうなのかな〜と、腑に落ちないものが残る。
それはあなたたちの本流意識、あるいは、組織への忠誠心に過ぎないじゃないのと問われると、返事に詰まる。整体協会のなかでも、整体コンサルタントと稽古場の技術研究員ではやってることは大分違っていそうだし、それ以前に、技術研究員だって、ひとりひとりやってることが全然違ってるんじゃないのと思うこともある。それでも、なんらかの文脈は共有されている。
僕にとって切実なのは、技術の違いではなくて、どれだけ文脈を共有できているか、という一点なのだ。いわゆる自然派の人たちが、彼らの文脈の中に、構成要素の一つとして整体を取り入れたい気持ちは分からんではないし、大枠で捉えれば、僕なんかも自然派に含まれるのかもしれない。それでも、整体には整体の文脈というものがあるんだよな〜、と言いたくなってしまう。言い換えれば、ぼくらが「伝統」と呼んでいるものとどう「接し」ようとしているのか、という態度の違いなのだろうと思う。
ダン先生が、整体協会は結社であるといういいかたをよくされていた。俳句の集まりだって結社という言葉を使うから、一般的な単語でもある。でも、結社って、なかなか強いことばでもある。マイノリティーとしての結束と言い換えられるかもしれない。ときどき、そのマイノリティー性に無頓着な人がいて、あれっと思うのだが、基本、ぼくらはマイノリティーなのだと思う。だから、会員というのは、お客さんではなく仲間である。この仲間を希求する感じというのが、最近になってようやくわかってきた。
野口整体を標榜して活動している個人や団体は多くて、旧い友人が、そのような団体の一つで活元運動を習っていたりしていて驚いたことがある。それ自体、ぜんぜんオーケーなのだが、僕らがやっていることと、彼らがやっていることは同じなのねと気易くいわれると、そうなのかな〜と、腑に落ちないものが残る。
それはあなたたちの本流意識、あるいは、組織への忠誠心に過ぎないじゃないのと問われると、返事に詰まる。整体協会のなかでも、整体コンサルタントと稽古場の技術研究員ではやってることは大分違っていそうだし、それ以前に、技術研究員だって、ひとりひとりやってることが全然違ってるんじゃないのと思うこともある。それでも、なんらかの文脈は共有されている。
僕にとって切実なのは、技術の違いではなくて、どれだけ文脈を共有できているか、という一点なのだ。いわゆる自然派の人たちが、彼らの文脈の中に、構成要素の一つとして整体を取り入れたい気持ちは分からんではないし、大枠で捉えれば、僕なんかも自然派に含まれるのかもしれない。それでも、整体には整体の文脈というものがあるんだよな〜、と言いたくなってしまう。言い換えれば、ぼくらが「伝統」と呼んでいるものとどう「接し」ようとしているのか、という態度の違いなのだろうと思う。
ダン先生が、整体協会は結社であるといういいかたをよくされていた。俳句の集まりだって結社という言葉を使うから、一般的な単語でもある。でも、結社って、なかなか強いことばでもある。マイノリティーとしての結束と言い換えられるかもしれない。ときどき、そのマイノリティー性に無頓着な人がいて、あれっと思うのだが、基本、ぼくらはマイノリティーなのだと思う。だから、会員というのは、お客さんではなく仲間である。この仲間を希求する感じというのが、最近になってようやくわかってきた。
ずいぶん歯切れのわるい文章になってしまった。
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【付記 5/26】
つまりのところ、次の世代への視点があるかどうか、ということを言いたかったんだな。
2016年5月17日火曜日
2016年5月16日月曜日
30代女子
先週、30代女子がやってきた
「心配だ〜」とイケダせんせもやってきた
とはいえ、僕のことを心配してくれているわけではなさそうだ
親子ほど年の離れたという表現があるが、
たしかに年の離れた女子との距離の取り方はむずかしい
ちょっとだけスリリングでもある
周りに30代、40代の独身女子が多くて困る
とはいえ、僕のことを心配してくれているわけではなさそうだ
親子ほど年の離れたという表現があるが、
たしかに年の離れた女子との距離の取り方はむずかしい
ちょっとだけスリリングでもある
周りに30代、40代の独身女子が多くて困る
横で見てて、その煮え切らなさにイライラすることもある
勿論、男子にも同様の感覚はあるのだが、男子は冷たく突き放す
少子化社会を憂いてるわけでは無論ない
つまり、プレイヤーとして参加したいんでしょ?
遠くで誰かがささやくが、また同じ愚を繰り返すのかい?という裡なる声も聞こえてくる
理性をなぎたおすだけの衝動がうまれてこない
これはこれでちょっと淋しい
天満宮に散歩するというのは、いつもの来客パターン
天満宮脇のお店で粟餅を食べ、北野白梅町で別れたのだが、
その後、車折神社、松尾大社、月読神社と回ったらしい
なんと、その30代女子は御朱印ガールでもあった
夕方、等持院に戻ってきて、僕がつくったうどんを美味しそうに平らげ、
夜行バスに乗るために京都駅に向かっていった
これはこれでちょっと淋しい
天満宮に散歩するというのは、いつもの来客パターン
天満宮脇のお店で粟餅を食べ、北野白梅町で別れたのだが、
その後、車折神社、松尾大社、月読神社と回ったらしい
なんと、その30代女子は御朱印ガールでもあった
夕方、等持院に戻ってきて、僕がつくったうどんを美味しそうに平らげ、
夜行バスに乗るために京都駅に向かっていった
うん、ちょっとだけ自分の中に野生が取り戻ってきた感じだ
2016年5月15日日曜日
2016年5月13日金曜日
雑誌
ほんと雑誌というものを読まなくなった
もともとコンビニで立ち読みする習慣はない
つまり、本屋に行かなくなったということですね
通勤電車に乗る機会もないからから、中吊り広告を目にすることもなくなった
存外、電車の中吊り見て、週刊誌を読んだつもりになってたんだ
たまに街中にある丸善といった大型書店にいくが、
今度は、本の量に圧倒されて買わないで帰ってくるというパターン
結局、一番頻繁に本を買っているのが、石川に行くときに立ち寄る、
京都駅地下のくまざわ書店だったり、
金沢駅ビルの端っこにあるうつのみや書店だったりする
今回の石川行きの旅の伴は、先ほど仕入れた、
『下り坂をそろそろと下る』(平田オリザ 講談社現代新書)
連休明け平日の京都駅は、いつもより平穏な印象
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