2016年10月22日土曜日

腰痛

腰痛になったことは一度や二度ではない
しかし、今回の腰痛といったら…
そうとうに痛い

夏の終わり頃から、
骨盤が後傾して歩いてる自覚はあった
つまり老衰の兆し
ちょっとまずい

そして、この腰痛
タイムリーとしかいいようがない
このまま老いさらばえていくのか、もうひと踏ん張りするのか
人生のわかれ道
というのは、ちと大袈裟か

静止しているときは問題なし
動いているときも問題なし
止まった状態から動き始めるときが大問題
ちょっと間違うと、ぎゃ〜、と悲鳴をあげることになる

動法で動けばよい
これが稽古者の鉄則
実際、動法の身につき具合が日々試されている
動法の甘さが日々露呈しているというべきか
もとより、自分の体を素材にして技を磨いていくのが整体指導者
悲鳴は上げても弱音は吐かない
いや、その悲鳴も封じ込める

そういう時に限ってひとはやってくる
しかも、これから稽古をはじめよう、などという人がやってくる
みっともないところを見せるわけにはいかない
日々試練

2016年10月18日火曜日

土俵

昨夏、本部で独法がはじまった
その頃からダン先生の稽古の中味も変わってきた
ぼくら相手の稽古が独法・双観法への仕込みの場になってきた

突然、ロイ先生が亡くなり、
その後を引き受けることになり、
修養講座という制度をつくりだした
修養講座で試されているのは、むしろ整体指導者だろう
整体指導者が整体を自分の言葉で話す稽古でもある

どうすれば、これまでロイ先生がやられていたことと、
身体教育研究所でダン先生が追求してきたことを並列させるか
これはなかなか大変な仕事である

稽古場は28年の歴史のなかで、独自の言語空間を形成してきた
それは、ダン先生による野口晴哉解題といえるものだが、
整体協会全体のなかでは共有されてはこなかった

最近、公開講話で感受性という言葉が多用されている
いうまでもなく、整体協会的にいえば、晴哉先生の語彙に属するものであり、
整体を語る上でのキーワードのひとつである
どうやらダン先生は、晴哉先生の語彙を媒介にして、
言葉が通じなくなっていた二つのグループがコミュニケートできるよう
共通の土俵をつくる作業をはじめたらしい
一朝一夕でできる仕事ではない

あたらしい世代
修養講座、独法・双観法で学んだ世代が指導者になるまで最低でも5年はかかる
そこまでは面倒をみるつもりでいるらしい
とんでもない負荷であることは間違いないが、その負荷をさらなる技の進化に転じてしまう
そこが、わが師のとんでもないところである
70代のダン先生を目撃するために、こちらも、もうひと頑張りせねばと思う

2016年10月17日月曜日

歯が抜けて...

歯が抜けてから顔の静けさ (武玉川)

これは名句だな
付句とすれば、どんな句につけたのだろう 

第三折々のうた p131

旅の重さ

映画館でしか映画を見られない
DVDで映画を見ていると、ついipadを取り出して調べものをはじめたり、
怖い場面が来ると、思わずリモコンの停止ボタンを押してしまったり、
いささか集中力を欠いてしまう
映画館の椅子に座り、そこに他の観客もいて、場内が暗くなって、
という環境を自分に強制してはじめて映画に没入できる。

それでも、昔の映画をみたくなることは、ままある
近所にレンタルビデオ屋がないわけではないが、どうも肌にあわない
最近になって図書館ではDVDも貸し出していることを知り、時折借りはじめた
書籍・DVDを10件まで予約できる強み

「旅の重さ」を借りてきた
1972年の作品だから、もう44年前のもの
二十歳くらいのときに、映画館で見ているはずだ
家出して四国を歩いて回る16歳の女の子のお話なのだが、田園風景がほんとうに美しい
音楽は吉田拓郎
四国遍路のことを知ったのは、この映画だったかもしれない
僕自身も旅をはじめたころだ
映画館で一度しか観てない映画を何十年経っても覚えているということは、
それだけ集中していたということなのだな

2016年10月16日日曜日

集団のちから

白山稽古会がはじまってから7年経った
7年というと、そう長い期間とも思えないが、
それぞれが7歳年取ったと言い換えるといささか感慨深いものがある
7年のうち6年は関東から毎月通ってたわけで、まあ、よく続いたものだ

今回はなぜか古いけど新しいひとが参加したり、
最近になく大人数が集まった
といっても10人くらいなのだけれど、いつもよりは多い
それだけで、会の密度が大分増し、「ひとにもまれる」という感じが生まれてくる

普段、等持院ではほんと少人数で稽古している
丁寧といえば丁寧な稽古になるが、「ひとにもまれる」という感じはない
もっと集団のちからを活用したほうが、ひとりひとりのレベルも上げられるかもしれない
そんなことを思った

2016年10月11日火曜日

岡山行き 3

▪️岡山駅がお洒落に生まれかわっているにには驚いた。まずは腹ごしらえと、駅ナカの寿司屋で昼食。さてどうするか。このまま帰ってオーストラリア戦に備えるか、それとも倉敷まで足を伸ばすか。■大原美術館を訪れるのは、いったいいつぶりなんだろう。津山への帰省に合わせてアイビースクエアに行った記憶はあるのだが、まだ母が生きていた頃のことだから20年も前のことかもしれない。大原美術館はコレクションといい見せ方といい、スタッフの対応といい、押し付けがましさがなく、気持ちよく過ごせる。■帰路は相生、姫路と山陽線を乗り継いで京都に帰り着く。学校帰り、仕事帰りの人たちで車内はずっと活気がある状態が続く。内陸側のさびれ具合とのコントラストが著しい。▪️これで西に向け風穴が少し空いたな。




 


岡山行き 2

■津山は次回に回すことにして、岡山に向かうことにした。意地でも往復運動を回避。ホテルが岡山駅まで無料バスを出しているというので、それを利用することにした。出発は11時。それまでの時間を使って、生まれ育った町を散歩することにした。■おそらく20年も前のことになるが、同じようにこの町を歩いたことがある。子供の時の記憶に比べ、町は思っていたよりずっと小さく狭かった。その20年前よりも、さらに町はゴーストタウン化していた。夏草や強者どもの夢の跡。廃墟ツアーができそうなくらいだ。半世紀経つと、町はこのように変貌してしまうのか。日本の津々浦々で見られる風景に違いない。■河原に出てみた。この河原で遊んだのが、ボクの一番古い記憶。母親は他の女たちと一緒に、河原で洗濯をしていた。そんな記憶である。昭和30年−1955年前後、つまり60年前の記憶だ。水遊びして溺れかけたのも、この川だし、平らな石を向こう岸に向けて投げたのも、この河原だった。町の風景は変わってしまったが、川は同じように流れていた。▪️さて、もうすぐ岡山駅だ。