2017年2月4日土曜日

禁糖2017

禁糖をやるとなると2週間ほぼ外食ができないので、自分の日程と照らし合わせて、禁糖計画を立てることになる。でもそれでは、本当はどのタイミングではじめればよいのかが怪しくなる。今回は、その始まりを確かめるべく、「プレ禁糖」と称して、1月の下旬から、お菓子、コーヒー断ちをはじめてみた。外食は許容。プレ禁糖とはいえ、おそらく量的に言えば、限りなく禁糖に近いもので、実際にすこぶる体調もよい。なのに、腹部をみると、中指から薬指に動いていく。薬指に移り切った時が、本当の開始時期になるのだろう。プレ禁糖1週間目で薬指に移った。つまり禁糖開始。残念なことに、突発的な行事が飛び込んできて、そのタイミングで禁糖に入ることはできず、かろうじてプレ禁糖を継続中。禁糖は明日の日曜日からはじめることにします。ど真ん中に白山稽古会が入っているのですが、おにぎりとフランスパンで乗り越えられるでしょう。この時期、尾骨焼塩もやっておきたいところだが、稽古に組み込むわけにもいかないし、さてどうしよう。

2017年1月31日火曜日

2月の稽古

*2月3日(金)の稽古はお休みになります
*夜(18時〜20時)の個人教授枠を新設します

2017年1月30日月曜日

1月の読書

精霊たちの家* イザベル・アジェンデ 河出書房新社 2009
聖地巡礼rising* 内田樹x釈徹宗 東京書籍 2015
寄生獣* 7.8 岩明均 講談社文庫 2015
国宝消滅* デービッド・アトキンソン 東洋経済新報社 2016
この経済政策が民主主義を救う* 松尾匡 大月書店 2016

2017年1月28日土曜日

月末

なんと旧暦新年。そして、稽古会の初日。あっという間の月末です。1月は寒さに震えて等持院で過ごしていました。

年明け早々にあった回り稽古には、9名の参加者があり、それにスタッフの方たち3名を加え、私も入れれば総勢13名が、この狭い稽古場に集まりました。なるべく地味な稽古をやろう、と思っていたのですが、目論見どおりの地味な稽古で終始。

中旬の白山稽古会は、寒波がやってくるとのことだったので、覚悟して出向いたのですが、雪はそれほどでもなく、むしろ、帰ってきた京都の方が積雪は多く、15センチも積もっていたでしょうか。京都もふた冬めになると、寒さに対する感受性もだいぶ変わってきたようで、朝起きて、一番寒い台所の気温計が3度を示していても、驚かなくなりました。年明けてから、湯たんぽを使いはじめたのですが、一度使いはじめてしまうと、もう手放せません。

禁糖も間近ですね。5日ほど前から、プレ禁糖と称して、コーヒーとお菓子を断っているのですが、すこぶる快調。ほぼ、88%くらい禁糖している感じ。それでも、まだ、腹部第二のなじみ具合は、中指薬指五分五分といったところで、まだ、はじまりではない様子。

稽古会の方はぼちぼち。体の方はもう春満開って感じなので、ひさしぶりに一息脱力をやってみたり、そうだ、竹ひごを使おうと、東急ハンズに走ったり、少しづつ、エンジンがかかってきています。2月からは、夜枠の個人教授も始めようと思っています。

2017年1月18日水曜日

2017年1月8日日曜日

公私混同

稽古場をつくるときは、公私の別をつけるのが原則。自宅と離れた独立した稽古場が理想で、自宅に稽古場を設けるときは、一階と二階で機能を分けるといった工夫をして、住の部分と稽古の空間に分別をつけるのが望ましい。

ただ、この等持院稽古場は平屋なので、空間で分けることはむずかしい。職住近接どころか職住一体、公私混同の極みである。唯一、「私」の空間は書斎ということになるが、トイレに向かえば、書斎の前を通るし、その散らかり具合も目にすることになる。ドアを閉めておくことで「私」を保つやり方は採らない。そもそも、男子の更衣室となることもある。やり方とすれば、私自身が稽古場化する、あるいは備品化するしかない。透明人間化するといってもよい。

それにしても、ブログタイトル通りの稽古場になるとは、ブログをはじめた2004年には予想もしなかった。当時は、仕事がどんどん私生活を蚕食していくような公私混同だったが、ここでは公私の別さえも消えている。

2017年1月3日火曜日

今年の稽古

あけましておめでとうございます。
1月~3月分の日程表出しました()。
特に変わった点はありませんが、「カタと同調」を分割し、「合掌行気以前」「活元運動以前」の枠を設け、連座とともに「5」に日に入れることにしました。百通りの合掌行気があり、百通りの準備運動があるといったことを追求する稽古になります。稽古場も30年続いていると、稽古場で入会した人には活元運動を知らない世代が多くなってしまい、「活元運動以前」の稽古は成り立つのか?という疑問はありますが、動法的、内観的に活元運動の準備運動を捉え直していくという作業はあってもよいと思います。稽古の途中で脱線していくことは必至の稽古ともいえますが、多方向から攻めていくのが稽古のスタイルですから、けっこう面白い展開になるかもしれません。「合掌行気以前」は「愉気以前」でもあるわけで、人に触れられるためのカタがどのように「生成」されていくかを稽古できればよいなと思っています。