2020年11月7日土曜日

学ぶということ

1
いまここで、こういうことをしていることの始まりを探っていくと、1973年から75年にかけての海外での経験にたどり着く。岡山の田舎から、ポッとアメリカに飛び、次、インドで過ごし、日本に戻ってきて京都で暮らしはじめた。この数年の間に自分自身が攪拌され、ぐちゃぐちゃにされた。このような状態から、どのように自分自身を再構成していくかという試行錯誤が半世紀近くたった今に至るまでつづいている。つまり、テーマが、その時の自分の能力では解決するに大きすぎ同化吸収できなかったものがライフワークになっていく。きっとそういうことだ。

 2 
もっとも、なにかが毀されるためには、まず毀されるべきなにかが形成されていることが前提になる。ひとはどのように、自分自身を形成していくのだろうか。そのような疑問を抱いていたときに出会ったのが、野口晴哉の育児論。おそらく、この育児論・成長論と出会っていなければ、ここまで整体に深入りすることはなかっただろう。僕が整体協会の事務局で働きはじめたのは1986年のことなのだが、最初に任されたのが、裕之先生の育児講座の受付だった。妊娠期に始まり思春期に至るまでの子どもの成長を、整体的視点で講義された。1日3時間x14日間というマラソン講座だった。 

 3 
身体教育研究所が誕生したのは1988年。当初は整体法研究所と呼んでいた。整体の技術を伝承していくには、なにが必要なのか、それを追求するために設立された。追求には稽古というスタイルが採られた。つまり、「いにしへについてかんがえる」。稽古は、とりもなおさず、学びというものが、どのような過程を経て生成されていくのかの追求でもあったといえるだろう。そして、整体の体っていったいなんなんだ、という問が最初に置かれる。 

 4 
このように、自分自身の半世紀をふりかえってみると、異文化教育ー育児講座ー身体教育という流れに乗って、いまにたどり着いている。もちろん、これは私のたどってきた道筋がそうであったというだけのことで、いま一緒に稽古している人たちは、またそれぞれの流れの中に身をおいた結果、それぞれの今にたどりついたということになる。生きるというプロセスに身体というものが不可欠である以上、身体教育はだれにとっても開かれているジャンルといえる。

 5 
これまで、このブログで書いてきたことは、多かれ少なかれ、上に挙げた事柄とリンクしている、というか一断面を切り取ったものの集合体が、このブログであるといえる。ただ、それぞれの断片がどのように繋がっているのかは見えづらいし、僕自身、ちゃんと見えてなかったように思う。しばらくの間、この断片を繋げていく作業をやってみようと思う。

2020年11月6日金曜日

糸魚川ヒスイ展

盟友、山田修さんが、来週、東京谷中で個展を開くそうです
開催中は在廊とのこと
東京の方は是非

2020年10月31日土曜日

走ってる

日曜日に千葉から戻り

月曜と火曜は静かに仕事

水木金はダン先生の稽古で

稽古会が終わった金曜日の夕方石川に移動

なのにサンダーバードは100分の遅延

土曜日の白山稽古会を終えて

帰りの電車の中で連句の宿題に取り組んでいる

来週一週間京都で仕事して、その次の週はまた千葉

転ばないように気をつけなきゃ

2020年10月30日金曜日

10月の読書

アナーキスト人類学のための断章* デヴィッド・グレーバー 以文社 2006
民主主義の非西洋起源について* デヴィッド・グレーバー 以文社 2020
また、桜の国で* 須賀しのぶ 祥伝社文庫 2019
荒城に白百合ありて* 須賀しのぶ kadokawa 2019
網野善彦対談集2 多様な日本列島社会* 岩波書店 2015
網野善彦対談集3 海と日本人* 岩波書店 2015

2020年10月2日金曜日

眠り

小さな男の子二人(43ヶ月、2才8ヶ月)と何日か一緒に寝たら、劇的に眠りの質がよくなった。男の子というのは、いっときたりともじっとしていない。それでも、まるで電池が切れるように、寝るときはコトっと寝てしまう。それで、翌朝にはフル充電されて蘇ってくるのだから、付き合っている大人は大変だ。一緒に寝てみると、奴らの寝相はすざましい。こっちが目を覚ますごとに違う場所にいる。二人遠く離れて寝ていると思ったら、数時間後には、重なり合うように眠っていたりする。一緒に寝ていても、数時間ごとに目を覚まし、子供たちの様子を見て布団を直したりする。こんなふうに眠りが細切れになっても、短いながらも眠りの質は良いらしく、ぐっすり眠った感はあるし、子供たちが起き出す前にちゃんと目が覚める。子供たちの眠りの深さにつられてしまうからにちがいない。この眠りの質の良さは、京都に戻って来てからも続いていて、夜中の12時になると眠くて布団に潜り込む。本を読もうとしても、ものの10分で灯を消して眠りにつく。そして、翌朝にはスッキリ目が覚めるのだ。

2020年9月30日水曜日

9月の読書

帝国日本の植民地を歩く* チェキルソン 花乱社 2019
街場の日韓論 内田樹編 晶文社 2020
女と文明 梅棹忠夫 中公文庫 2020
地球にちりばめられて* 多和田葉子 講談社 2018
星に仄めかされて 多和田葉子 講談社 2020

2020年9月25日金曜日

コロナにかかる自由

この疲労感、そして安堵感はどこからくるのだろう。

子ども疲れ、移動疲れ、理由はもろもろ考えられるけれど、最終的に、ここ5ヶ月間、僕には「コロナにかかる自由」がなかったのだという一点にたどり着いた。そう、僕はコロナにかかってはいけなかった。妊娠中の娘のところにコロナを運んではいけなかった。妊婦がコロナ感染した場合、帝王切開となる、そんなニュース記事がインプットされてしまっていたのだ。


コロナの最中は引きこもっていればよい、そのようなスタイルでコロナと向き合うつもりでいたのに、思わぬ出来事のため、移動自粛のさなか移動を余儀なくされてしまった。基本僕のスタンスは、「病気は必要な人がかかる」「病気によって、その人の体は改革される」というものなのだが、娘の出産に関しては、医療機関と関わらざるを得ないから、そっちの土俵に上がるしかない。つまり、全力でコロナに感染しないように努力するしかなかったわけだ。


そしてようやく、ぼくは「コロナに感染する自由」を取り戻した。