2026年3月16日月曜日

戦争鬱

朝刊の一面が戦争の記事だと、それだけで気が滅入る。
政治家は自己保身のために戦争を始め、無辜の市民の命を奪う。
トランプはエプスタイン文書から目を外らせるためにイランを空爆し、日本の首相は、TM文書の追求を恐れ国会を解散させた。権力者は陰謀論の犬笛を吹き、愚鈍な市民は、その犬笛に踊らされる。

僕が育ったのは昭和30年代ということになるが、まだ、周りの大人たちの間では、先の戦争の記憶は色濃く残っていて、戦時中のひもじさを語る年若い叔母もいた。神社のお祭りには軍服を着た傷痍軍人の姿もあった。僕など、このような風景を目撃した最後の世代になるのだろうか。

さすがに、朝鮮戦争の記憶はない。十代も半ばに入ってからはベトナム戦争。20代になってすぐ合衆国にいったとき、ベトナム戦争はまだ続いていた。アメリカという国は戦争をしていたが、その国家に刃向かう若者の姿は輝いて見えた。ニクソンが大統領だった時代だ。そのニクソン辞任のスピーチをニューヨークで見た。夜中に酒を飲んで暴れまわるベトナム帰りの元海兵隊の男もいた。PSTDという言葉はまだ知らなかった。インドから、バンコク経由で日本に帰る途中、サイゴン陥落のニュースを知った。

戦争難民という存在を目の当たりにしたのはベナレス(バナラシ)からカルカッタ(コルカタ)へ向かう列車の中。脚の不自由な中年女性が物乞いをしていた。第三次印パ戦争による難民だったと気づいたのは、大分あとになってからだ。

ここまで書いてきたことは、半世紀前の思い出話。
いま、僕らが享受している平穏な暮らしなど、爆弾一発で崩れてしまう。

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キャロル・ギリガンの『抵抗への参加』を読んでいる。サブタイトルは「フェミニストのケアの倫理」。思春期の少女たちへのインタビューを通して、少女たちが家父長的社会へ入っていくときに何を諦めさせられているかを解読している。僕が心理学の本を読みはじめたころ、ギリガンは、すでにフロイドの心理学に内在する家父長的なるものへの批判をはじめていたのだ。

1950年代に生まれた僕など、戦後育ちとはいえ、家父長的な価値観を内面化して成長してきた。それでも、マチズモ的な価値観と比較的(あくまで比較的でしかないのだが)距離を置いて成人していったのは、いま振り返ると、母方の大家族のもとで育ったことが影響していることがわかる。貧乏人の子沢山の次女だった母の周りには、年下の弟妹が大勢いて、僕は二十歳前後の叔父叔母に囲まれて育った。左官だった祖父が威張っているのを見たことがない。むしろ、怖かったのは祖母の方だ。西日本の農村地帯に残る母系的な文化風土もあったことだろう。

1970年代80年代、京都で暮らしていた十年、周囲には当時のウーマンリブ系の女性たちが大勢いた。考えてみれば、不思議な十年間。岡山の田舎で育ち、数年の海外放浪期間を経て、京都の租界地に着地したようなものだ。黒川創が『この星のソウル』で描写しているような、アメリカのリベラル思想と日本、東アジアの社会運動が交差する不思議な空間に身をおきながら、いわゆる「運動」とは距離をとっていた。

そんな頃、野口晴哉の教育論と出会う。

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野口晴哉の教育論において、人生の出発点は胎児期におかれる。つまり、受胎と同時に教育が始まる。潜在意識教育論法講座と銘打たれた一連の書籍は、人がどのような道筋を通って成長していくのかを丁寧に説いている。この延長線上に、裕之先生の「育児講座」があり、その後、「双観法」「独観法」という整体の技法へと繋がっていく。つまり、人間にとって、他者とともにある状態がデフォルトなのか、それとも、一個の独立した人間である状態がデフォルトなのか、どちらを出発点に置くかという問題である。

二年前、近所のカフェで整体入門的な講座をやった時、整体の育児論を軸に話を進めることにした。その会の直前、『ケアの倫理』という本を偶然手にし、この講座に「整体育児論はフェミニズムと出会えるのか?」という隠れテーマがあることに気づいたのだった。僕はここまで、いろんなテーマで書き散らかしてきたけれど、家父長制という言葉も、フェミニズムという単語もまったく出てきてないのに、ここにきて、こんな壮大なテーマと出会うのかと、自分でも驚いた。

フェミニズムが「ケア」というものによって、家父長制を解体しようとしてきた試みと、「双」という集注を起点にした人間の探究は、どこかで出会うべきではなかろうか。僕がずっと所属してきた身体教育研究所という組織は、どちらかというと、ホモソーシャルな関係性の中で運営されてきた。それを下支えしてきたのは女性たちなのだが。もし、整体が権力に靡かない存在であり続けるのであれば、それはおそらく、内なる家父長的なるものと向き合わざるを得なくなる。これは、大きなテーマだ。

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いまのこの不機嫌に名前をつけるとすれば、戦争鬱しかない。

2026年3月13日金曜日

消滅する調和

 晴風学舎への移行準備の一環としてパソコンの中を整理していたら、本来、 僕のところにあってはいけないはずのファイルを発見。20年前の身体教育研究所の課題答案。紙で提出されていた答案60人分を夜鍋仕事で入力していたものらしい。はたして、これは仕事としてやったのか、それとも自発的にやったのか。今となっては不明。

 しかも、その課題というのが、昨秋の資格更新時に課題で出されたのと同じ、「稽古場で追求すべき整体とは、反対を与えない調和、根拠なき調和、消滅する調和のことであると表現されていますが、それらを解説しなさい」というもの。

 まずは、20年前の自分の答案と昨秋提出した答案とどれほど違っているのか比べてみる。結論からいうと、表現において、多少の進歩のあとは見られるが、内容的には同じ。進歩してないというべきか、ぶれてないというべきか。つまり、20年間、ずっと同じところにこだわりながら稽古してきた。進化せずとも、深化ありというところ。

 あらためて、他の人の答案に目を通してみる。結構、みなさんちゃんと書いている。稽古のことを言葉にする作業は難しい。上っ面な理解で書けば、人には伝わらないことを日々経験しているのが指導者という立場にいる人間だ。答案提出者の三分の一は、すでに故人となっている。歴史を紡ぐとはこういうことなのだ。きっと。

 このファイルは、ゴミ箱に放り込んでおくことにしよう。

2026年3月3日火曜日

辞表

整体協会に辞表を出す日が来るとは思わなかった。
整体協会に入会して48年、本部事務局に入社して40年、技術研究員となって18年。
ともかく、長い付き合いであることだけは確かである。

昨夏、師匠が突然、整体協会からの分離独立を宣言した。
おれになんの相談もなく、というのは、そもそも無理な相談だろうけれど、
一緒に闘ってきた自称同志としては、まったく青天の霹靂。
この感情を腹に納めるのに半年かかった。

こういう時は、先に逝ってしまった仲間たちに訊いてみるしかない。
それぞれの顔を思い浮かべながら、
「おまえさんたちが、オレの立場だったらどうする?」と声をかけてみる。
返ってくる答えは判で押したように皆同じで、逆に尻を叩かれる始末。

で、4月から新組織「晴風学舎」に加わることにした。
活動の中味はこれまで通りなのだけれど、一応、会員制の組織なので、
稽古してきた方たちにも、新組織への加入をお願することになる。

ゼロから立ち上げる組織。
前途多難の船出となりそうだが、幸いなことに、人材はいて、中味もある。
あとは、運営力。

これを機に稽古会費も上げようと思っている。
はい、便乗値上げです。

2026年2月27日金曜日

2月の読書

野生のしっそう* 猪瀬浩平 ミシマ社 2023
人間がいなくなった後の自然* カル・フリン 草思社 2023
わたしが誰かわからない* 中村佑子 医学書院 2023
ガラスと雪のように言葉が溶ける* 尹雄大・イリナ・グリゴレ 大和書房 2025
アナキズムQ&A*  栗原康 筑摩書房 2025
和室礼賛* 日本建築和室の世界遺産的価値研究会 晶文社 2022
ユダヤ人の歴史 鶴見太郎 中公新書 2025

2026年2月7日土曜日

禁糖2026

吉田神社の鬼やらいの神事に行った翌日、急遽思い立って禁糖を始めた。順調に行けば、旧正月には終えられるはずである。外食しづらい禁糖期間中に泊まりがけの行事を入れることはないのだけれど、今年は、ばっちり白山稽古会が入っている、というか、白山にやってきた。

そうなると、食料持参の出張ということになる。タッパーにカレーを載せた白米を詰め、もうひとつのタッパーにはサラダ。おにぎりにふかしさつまいも。さらには、バゲットにチーズ。果物、ティーバッグも入れた。ちょっと準備過剰という気がしないでもないが、これには理由がある。

この時期北陸に向かうと、天気予報と列車の運行状況と睨めっこすることになる。一年前の2月は、結局雪で来られなかった。来られないのなら諦めもつくが、問題なのは、来たはよいが帰れなくなるパターン。随分前のことだが、雪でホテルに48時間缶詰になったことがある。まだ、北陸新幹線が金沢までで、サンダーバード一本で通っていたころの話だ。

明日の天気予報は雪。交通機関もあやしい。
雪国に缶詰というのも悪くないとはいえ、今は禁糖中だ。

そう、禁糖の話でした。
今回、タイミングが合ったのか、変化が速い気がする。


 

2026年2月5日木曜日

映像公開

昨秋の「アイリッシュ・ハープと薩摩琵琶で巡る音楽の旅」の映像が公開されています。音も映像も素晴らしいです。

https://youtu.be/8gmYBGBNEZo

2026年2月1日日曜日

Quantum Body?

 As I continued reading Yoko Muronoi's “The Dancer Disappears,” I came across a conversation with an Italian journalist and researcher during Muronoi’s workshop in Rome. Searching the internet for this person, Maria Pia D'Orazi, I found an essay by her about Kasai Akira, one of the Butoh pioneers. In this essay, she mentioned Noguchi Hiroyuki's paper, 'The Idea of the Body in Japanese Culture and its Dismantlement'. I supposed she came to know of the paper through Muronoi. Surprisingly, the title of the paper was "Butoh Training and the Quantum Body". It made strange sense that she had put it that way.

Shintai Kyoiku Kenkyusho the successor to the Seitaiho Kenkyusho,was founded in 1988. Around the same time, the term 'Naikanho' emerged, and 'Kyakkanho' was conceived as its antithesis. Naikan literally means “see inside” and Kyakkan means “see objectively”. Initially, I thought this was rather blunt, but after practicing Doho for over 30 years, I believe the distinction between Naikan and Kyakkkan is valid. 

Changing one's view of the body is not something that can be done overnight. Through practices, one tries to shift one's mindset from Cartesian-Newtonian classical physics to quantum mechanics, so to speak. The real world is based on the former premise, so even if one briefly experiences the latter, one quickly reverts to the former. This cycle repeats. For someone as half-hearted as me, it took a long timen until everything made sense. Once it did, I just thought, 'So that's what it was all about,' and I didn't feel any particular sense of accomplishment. I simply 'understood' the meaning of the practice I had been doing up until then.

Reading D'Orazi's paper, written in English, I find it fascinating to see the struggles she goes through to express bodily activity in a way that breaks away from the Cartesian-Newtonian paradigm. I believe there is more to using quantum physics than analogy, but there is always the risk of it becoming too eccentric. This year, I plan to continue reading Karen Barad's "Meeting the Universe Halfway”