小さな家に住むのが理想だ。田舎にちっちゃなオフグリッドの家などを建てて、エネルギー自給自足で暮らすなんて素敵じゃないか。中村好文や伊礼智の小さな家について書かれた本を読んでいると飽きない。無論、その先には、あこがれのバックパッカー生活がある。以前、このブログにも書いたことがあるが、バックバックひとつで日本とアジアをここ十年くらい行き来している知り合いがいるのだが、その自由さに憧れてしまう。
小さな家に、もの少なめに暮らしているつもりでいた。引越し屋さんが見積もりに来てくれた時、そのように話したら、いや普通にあるでしょと言われ、ちょっとがっかりした。実際、荷造りをはじめてみると、この小さな家にいったいどれだけのものがつめ込まれているのだと思うくらい荷物は多かった。ことに台所用品の量の多さには目を剥いた。大きな家具は処分し、捨てられるものは捨ててきたのだが、それでもダンボールの数は予想以上に多かった。
そんな私が、これまでになく大きな家に住みはじめた。収納はたっぷりあるから、今なお床に置かれているダンボールの箱を押し入れに放り込んでしまえば、あっという間に片付いた風にはなるだろう。でも、まだ、僕の片付け生活は終わっていないというか、これからだ。「京都5年間ロングステイです」と書いたが、契約がそうなっているからでもあるが、まだ旅の途中という気持ちが強い。京都でなくてもチェンマイでもキャンディでもよかった。ただ、稽古人としての人生を追求するとなれば、京都しかなかったということだ。
こんな贅沢に暮らしてよいのだろうか、と思うくらい、静かで広々とした住空間である。カミさんには後ろめたい。きっと彼女はこんな環境で暮らしたかったに違いない。花を育てる庭もあるし。父が残してくれた花器もはじめて自分たちの居場所を見つけた。江戸川のワンルームも、その前の岡山の実家も、花器が活躍する場はなかったのだから。オヤジの審美眼などまったく信用してなかったのだが、桐箱から取り出した壺を観たダン先生に「お父さんいい趣味してるね」と言われ、あれれと思ってしまった。妻や父が実現できなかった理想がここにある。なんだかね〜。
大きな家経由バックパッカーというのが、いま思い描いている私の未来です。