2021年7月6日火曜日

白誌を稽古する

本部稽古場で稽古していた頃、最後の方は、年長者のお相手をすることが多かった。年長者というのは手ごわくて、稽古の実習に入っても、ダン先生の話されている手順をずんずん無視して、どんどん自分勝手に稽古を進めていくので、困ってしまう。いまから思うと、あの強引さは、単純に耳が遠くなって、ダン先生の声が聞こえてなかったからではないかと思うのだが、実際のところはどうだったのだろう。ここ数年、僕自身、耳が遠くなり、月末三日間の稽古会に出ているにもかかわらず、裕之先生の話が聞き取りにくくなり、いまや、かつての年長者のようにトンチンカンなことばかりやっている。マジで「引退」という言葉がちらついている状態。でも、このまま引退するのはくやしいではないか。聴力リハビリをやろうとか、補聴器を使ってみようかしら、などと思わないではないが、同時に、それもちょっと違うな〜と思うのだ。

白誌は身体教育研究所の有料機関誌。一年遅れで京都稽古会の記録がまとめられてやってくる。昨年はバタバタしていて、まともに読み直す余裕がなかった。春頃なって、一年分12回分のPDF(昨年はPDF購読)をプリントアウトしてみたら、とんでもない厚さになったので驚いた。ここまでの形にするために投入された労力を思うと、これに関わっている人たちには敬意しかない。裕之先生の講義・稽古録を活字化していくというのは、僕が事務局にいた時代からの懸案事項だったけれど、それが白誌というかたちで軌道に乗ったことを素直に喜びたい。

はじめに書いたように、近年、裕之先生の講義をリアルタイムでフォローできないという焦燥感に囚われている。そのくせ、その場に居るだけで、他の参加者に釣られて一緒に笑っていたりするのだから不思議だ。一年という時差があるものの、白誌を通して講義を「読める」ことはありがたい。京都三日間でやっている内容と、ここ等持院でやっている稽古の乖離には、いつも呆然とするのだけれど、この先、白誌に収められている内容をもとに等持院で稽古していくというスタイルもありのような気がする。白誌「で」稽古するではなくて白誌「を」稽古するがふさわしいだろう。うん、やってみよう。