機械翻訳が進化したことは認める。下訳の役にも立ってくれる。日本語の主語を明確化すれば、より正確な英語にしてくれる。しかし、稽古場的表現をどのように翻訳してくれるのだろう。ちょっと試してみる。例えば、こんな具合。上段が日本語、下段がgoogle翻訳。
後頭部から目を入れて、その目を顔の裏側に届かせてください。
Put your eyes on the back of your head and bring your eyes to the back of your face.
実際、このような日本語をぼくらは違和感なく使っている。しかし、よくよく考えると、日本語ネイティヴにとっても、なかなかすごい日本語なのだ。翻訳された英語の文章を読んで、さほどの違和感を感じないところがぼくらの問題であるといえなくはないのだが、これを字義通り解釈しようとすると、とんでもない情景が浮かんでくる。極端な話、目をえぐり取って、それを後頭骨に押し付け、頭部を貫通させて目の奥に押し込む、といったホラーな風景を想像する人が現れたとしても不思議ではない。
それはあんまりなので、日本語を変えてみる。
後頭部に風を感じ、その風を顔の裏側まで届かせてください。
Feel the wind on the back of your head and let it reach the back of your face.
Feel the wind on the back of your head and let it reach the back of your face.
この方が、だいぶマイルドで、日本語ネイティブにとっても、こんな日本語だと、きっとわかりやすい。英文もだいぶましなかんじ。でも、ここでfeelという動詞を使ってしまうと、この先、厄介な問題が出てくる。万事がこんな調子。考えてみると、ぼくらは、長い時間をかけて内観的身体語という言語空間をつくりあげ、この言葉が通用する範囲を広げようとしてきたのだ。もちろん、「古典」を参照しながら。