そういえば、初詣(3日)に出かけた時、龍のような雲が出ていた
2012年1月8日日曜日
大井町筆動法初回
独り稽古を覚悟して墨すりを始める。で、何を書こうか。書棚から芭蕉の七部集を取り出す。冒頭にあるのは「冬の日」の巻で、発句は「狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉」とある。いきなり意味不明。そういえば安東次男の『風狂始末』もあったはず、と再び書棚に当たり『風狂始末』を見つける。この発句の解説に五頁を費しているが、その解説を読んでも理解不能。仕方なく声に出して読む。一通り読んだところで半折に発句を三行に分けて書く。次は脇。「たそやとばしるかさの山茶花」。これまた意味不明。こんこんと山茶花とはどのような花なのかを、これまた五頁かけて解説している。読んでいるところに、Kさん到着して中断。ホッとする。ここから、書き初めモードに変更。更に遅れてUくんも登場。ウォーミングアップに続けて、「今年の一字」を探っていった。まずは、三人組で一枚の紙に書いてみる。「美」「溶」「空」。(デジカメ持ってきてなかったので携帯で撮影。後日、http://fudedoho.blogspot.com/ に載せます) 次に、時間的な「遠く」を想い浮かべて出てきた感覚に字を与えるという課題。私が書いたのは「是」。いまにも走り出しそうな「是」になった。これが私にとっての今年の一字、ということになる。
2012年1月7日土曜日
311以後
311で何が変わったかというと、つまりは「身体」が変わったとしか言いようがない。震災以来、私の中でずっと続いていた賞味期限切れ感、付焼刃感の源はここにあったのではないか。身体そのものが変わってしまった結果、二十年間追い続けてきた「近代的・医療的身体観」からの脱却ーひとつの規範としての「昔の日本人の身体感覚」という方法論もまた、その有効性に揺らぎが生じてしまった。そういうことだったのでないか。身体は世界と呼応する。時代と呼応する。放射能の影響で身体が変わったのではない。放射能の危機がここに在るという世界に転じたことで、身体もまた変わってしまったのだ。そして、新しい身体には新しい方法論が必要となる。明治維新や高度成長によって身体は変わった。パソコンやインターネットの出現によって身体は変わった。きっとその通りだ。しかし、それらとの比較によって震災後の身体は語れない。震災が起るまでは、あと20年これまでの延長線上でこれまでの路線で続けていけば、もう少し違ったものが観えてくるのではないかと進歩史観的に楽観していたところがある。しかし、そうは問屋が卸してくれなかった。まことに有難いことである。
2011年8月9日火曜日
Katsugen Undo
I remember a conversation with Jack Hasegawa who was the director of the East Asia Center of Friends World College in Kyoto in mid-70's. I was telling him about Katsugen Undo which I started to learn. And he responded with a laughter and said "As a Quaker college graduate, you found the right place." Until he pointed out I was not aware of such similarity between them. I always liked the way he laughed.
The Idea of the Body in Japanese Culture and its Dismantlement
Before proceeding to Keiko(稽古)- practice, I would like to introduce the paper titled "The Idea of the Body in Japanese Culture and its Dismantlement" written by Hioryuki Noguchi, the director of the Shintai Kyoiku Kenkyusho. This paper was prepared for International Journal of Sport and Health Science in 2003.
登録:
コメント (Atom)
