2012年5月12日土曜日

村中裕季ソロ

とりふね舞踏舎からお知らせをいただいたので紹介
三年前だったか、ここのワークショップに呼ばれていったことがある
村中さんとはその時が初対面だったと思うけど、以来、彼女のファンです
ところで「ぼっけもん」はどういう意味なんだろう

























引き受ける

やっぱりボクはお遍路しているのかもしれない
妻の入院に付き添って一月半、そんな風に思う

付き添うといっても、なにかをやってるわけではない
家事をして、洗濯物を届けに病院に行く
そして2時間か3時間一緒に過ごす
だらだらと話し、場合によっては、傍らで持ち込んだ本を読んでいる
これまで関わることのなかった病院という空間に身を置き、
そこで展開される人間模様の可笑しさ、哀しさをみているだけである

妻は入院以来、点滴だけで生きのびた
どんどんアクが抜けていき、少女のようになっていった
ひょっとして、こいつ本当にいい人だったの?と思えるほどに

手術前には輸血され
それでも気丈に振るまっている妻をみて
ぼくはプライドを捨てることにした
つまらないプライドだけど...
点滴しようが手術しようが、生きてくれさえすればいい
そんな風に思うようになった
術後は大変だろう
その大変さもまとめて引き受けることにした

そう、「引き受ける」ってことを、ぼくはこれまでしてこなかった

入院して45日目の午後、妻を手術室に見送った
小学校の修学旅行のように、ひとつひとつ名前を書き込んだ荷物と一緒に
娘と二人、殺風景な病院のロビーで待った

6時間半後、ようやく呼ばれICUに通された
ここは宇宙基地か?
SFじみた空間がそこにあった
隊員に導かれるまま、妻の横たわるベッドに行った


ぼくはもう土佐の国を抜け、伊予の国を歩いている頃だろうか

2012年5月6日日曜日

ベイビーズ

DVDで観たがよかったです
劇場公開されるらしい

2012年5月4日金曜日

受け身の参加感覚

1)昨日の稽古で体験した「受身の参加感覚」の発現というのは稽古場でやろうとしてきたことのひとつの到達点のように思える。

2)稽古場で育てようとしているものは、よき「演奏者」ではなく、よき「聴衆」なんだろうと思いながら20年間稽古を続けてきた。つまり、出来なかったことが出来るようになる技の追求よりも、出来なかったことがなぜか出来てしまうようになる技の追求と言い換えてもよい。

3)「技」といってしまうと個人の技になってしまうから、むしろ「稽古法」と呼ぶべきだろうし、実際そう称してきた理由もこれで納得できる。

4)よき聴衆となったとして、それは職業にはなりそうもない。職業として成り立てば面白いのだろうが、それは当面難しそう。しかし、これが教養として多くの人たちに共有されれば、おそろしく強靭な文化力となる。

5)かくして、これを職業にできるのは稽古法を編み出せる者ということになる。

6)なぜ古典なのか、という問いに対する答もここにある。古典は稽古法の宝庫である。

7)振りかえって我が身を見れば、「出来なかったことを出来るようにさせる」教師的役割に堕し、稽古法を編み出す努力が決定的に足りてない。還暦を前にしての壁は、このような壁でもあったのだ。

30年の後

4月の下旬、Facebookで30年ぶりに繋がったインド人の知り合いRから
メッセージが届いた
「あなたの師匠の英語論文を読んだ。いま、京都に来ているから教えにきてくれ」
おいおい、そう簡単にはいかないよ〜
「いま身動きとれないから、京都の同僚を紹介しようか?」
と返事したら、「是非」との答え
京都で稽古場を担当しているTに電話してみると、
「うまく説明できないと思うけど、いいですよ」と快諾を得た
「了解はもらったから、一度訪ねてみたら。ただし、英語は通じないよ」
と折り返し伝言する
単純に右から左へ振っただけで、無責任のそしりは免れないが、
かといって、これ以上出来ることもない
稽古場の空気だけでも体験してもらえればそれでいいか

一週間ほどして思わぬ人から電話をもらったーKさん
そうか、英語教師だったKさん、京都の稽古場に通ってたんだ
Tに乞われてだろうと思うのだが、Rが稽古場を訪ねていったとき同席したとのこと
顛末を聞いて笑ってしまった
Rが「インドでも近代化が進んで、伝統との乖離が進行中で、これは問題だと思う」
と話したというのだ
私がDに紹介したのは裕之先生の
"The Idea of the Body in Japanese Culture and its Dismantlement"
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ijshs/2/0/2_0_8/_article
つまり明治維新によっていかに日本人の身体観が変容していったかという内容

Rと私はアメリカ系ヒッピー大学(と呼ばれていた)FWCの同窓生
伝統的なるものからの脱出を30年前は目指していたのだ
それが30年の時を経て、「伝統的文化を・・・」などと二人とも話している
笑っちゃうではないか
しかも、筋が一本通っていると感じている
これは、Tも同様で、Tの「身体教育研究所に入らなければ、この歳でお茶やってませんよ」
という言葉は、そのまま私にも当てはまる
前述のKさんは、奇しくも30年前のFWCを知っている方
不思議な縁ではある

その後、RからもTからもナシのつぶてである
まったく・・・ 
本人たちの印象はどうだったんだろう

身体教育研究所HPの英語版の充実を切に望みます

2012年5月3日木曜日

禁糖メニュー

料理写真を楽しみにしている人が若干名いる(?)ようなので、
禁糖に入ってからの「作品」をアップ
禁糖をはじめたのはよいのだけれど、どうも今年はしくじってばかり
6日目に買ってきたしめ鯖、一切れ口にして甘酢であることに気づく始末
でも買っちゃったし、美味しいし、独りだし、食べるしかない
自炊派になってしまった今年は禁糖はやりやすいはずなのに・・・
「なんちゃって禁糖」になりそうな予感

鶏肉アボガドのわさび醤油炒め+トースト

海鮮アボカド丼

鶏肉の塩麹焼き+小松菜の炒め物+新タマネギと卵の味噌汁

禁糖の味方はホームベーカリー
砂糖なしフランスパンが定番

2012年5月2日水曜日

5月

■4月30日の夕方、汐留で催される知人の音楽会に向かう途中、大井町駅に降り立った。ずいぶん懐かしく、数えてみるとなんと5週間ぶり。乗り換えは東急の改札を出て、そのまま数十歩でJRの改札にたどり着くのだが、いったん外に出て、横断歩道を渡り、コンコースを通って、アトレ側のJR改札を抜けることにした。なじみのある風景、なじみのある空気。でも、自分の感覚が微妙に変わっていることに気づいた。いい感じではないか。

■4月はほとんど自宅から3キロ圏内で過ごした。もちろん、その3キロ圏から離れることはあったけれど、気分とすると3キロ圏内、もっといえば、自宅に引きこもって主夫をしていた。四国遍路の対極、と言えなくもない。自分の中では、四国遍路は生きている。ほんとなら今頃愛媛を歩いているはずだ、などと思うこともある。ただ、ひとに訊かれると「故あって延期です」と答えるほかない。四国にでかける前に、やるべきことがあった、という話である。

■人の生活とはこのように成り立っているのか。これまで人まかせーつまり妻まかせにしていた衣食住のこまごまとした家事を自分でやってみて多くの発見があった。「主夫とは百姓に似たり」と書いたが、予想以上に天気等々外の変化と呼応してことが進んでいく。基本手仕事で、洗濯、料理などなど「水」との付き合いも多い。ずいぶん創造的だし、段取り命、という意味では万事に通じる。理念に殉ずる感のあった自分の仕事観をちょっと反省。

■カレンダーは5月。この月をどのように過ごすか思案中。妻の入院生活はまだしばらく続き、一方、稽古会は再開される。それこそ、稽古と主夫業を両立させなくてはならない。これほどの期間稽古から遠ざかったことはないから不安もある。でも、大井町駅に降り立ったときの感覚の変化、それを取っ掛かりにして、これまでとは違った切り口でやれそうな予感がする。

■四国? 通し打ちが難しければ、区切り打ちという手もあるし…。