2012年12月3日月曜日

方位

今回のタイ旅行に持参したiPod touchも乾電池駆動のデジカメもお遍路用に用意していたものであることに気がついた。ひょっとしたらと思って、横浜とチェンマイを直線で結んでみた。帰国したらちゃんと確かめたいと考えているのだが、その線は、四国の上を通っている。どうやら四国遍路の延長線上、或いは代わりとして、今回のタイ旅行はあるらしい。方位学とか興味をもったことないのだけれど、この符合には吃驚だ。


*帰ってきて、横浜ーチェンマイで結んでみたら、四国の北の端(高松、今治あたり)をかすめるようです。12/5

2012年12月2日日曜日

チェンセン

ラオスとの国境の町チェンセンを案内してくれるという。歴史の専門家のガイド付きツアーとは贅沢の極み。メコン川も見られる。ゴールデントライアングルという名称はもちろん知っていたが、チェンセンに着いて、高台に登り、ここがゴールデントライアングルですと告げられた時には、ちょっと拍子抜けした。もっと山を踏み入った少数民族の住むエリアのことを想定していたのだ。たしかに眼下見えるのはミャンマーでありラオスであった。ミャンマーの土地にはカジノがつくられ中国人も川を下ってやってくるという。タイ人にとっては、文字通り向こう岸にすぎず、実際客を乗せた小舟が頻繁に出入りしている。



Hall of Opiumは王室関係の財団が運営するアヘン博物館。古代から現在までアヘンがどのように使われ、どのような歴史をたどってきたかが、ジオラマ、映像を駆使して多面的に展示されている。当然、東インド会社の行っていた三角貿易のはじまりからアヘン戦争に至る部分は大きく扱われている。アヘン戦争が1832年で明治維新が1868年。明治維新をどう評価するには、アヘン戦争がどのような戦争であったか、まず知る必要がある、と今更ながら思う。アヘンと軍隊は深く繋がっている。ガイド役のイギリス人である友人は、ベトナム戦争時の米軍、CIAのアヘン取引への関与がどうして触れられてないのだと不満げであった。



ロイカトーン

あてがわれた部屋の窓から空をながめていると、赤い点がいくつか光っている。タイでは星は赤く輝くのか。火星ではない。その赤い点はゆっくりだが動いている。しかし飛行機ではない。とうとうUFOと遭遇してしまったか?

すっかり暗くなってから、お祭りをやっているからと連れていかれたお寺で、ようやく赤い点の正体が判明した。紙で作った熱気球である。直径1メートル弱、高さ1.2メートルくらの上部が閉じられた円柱状の和紙の下部に、ドーナツ状の燃料を針金で固定し火を点ける。その炎で熱せられた空気で舞い上がるという仕組み。

さらにこの熱気球に導火線つきの花火を結びつけ、舞い上がった時点で着火し、光音煙を発生させる。水に舟を浮かべる精霊流し(これもやっている)の気球ヴァージョンである。気球は次から次へ打ち上げられ、編隊を組んで上昇していく。随分賑やかな精霊流し。燃料が燃え尽きる前に民家に着陸し、屋根を焦がすこともあるらしい。

この祭りのことをロイカトーンというそうだ。

2012年12月1日土曜日

チェンライ

チェンライに無事到着。空港に現れた友人の車はメルセデス。余裕の隠居生活だな。市内の名所を案内してくれる。といっても、特別なものがあるわけではない。Mae Fah Luang公園とホワイトテンプルの名で知られているワットロンクン(写真は帰国後にupします) 。前者は北部タイからミャンマーに広がるラナ地方の文化財を集めた公園・博物館。後者はビジネスマインドあふれるアーティストー村上隆を思い起こさせるーが再建したテーマパークのようなお寺。両者とも、まあ普通の観光スポット。



昼食に連れてかれた自然食のレストラン。野菜の炒め物と魚のフライというごく普通の料理が出てきたのだが、これが美味しかった。食べ終えた時には長旅の疲れが抜けていたのには自分でも驚いた。それとも女主人がチャーミングだったせいか。友人が「seitaiの先生」と私のことを紹介してくれたのだが、seitaiという言葉をどこかで聞いたことがあるようで、いたく興味をもたれてしまった。「自己完結的でない調和」という話も通じたようだ。

旅先でのブログ更新って無理ですね。しかもiPodでは。今日で三日目なのだけれど、ここに書いたのは、初日の前半分ですw。


2012年11月29日木曜日

タイ再び

henroと名づけたiPod一台を鞄に入れて空港に向かう。カミさん連れてどこか暖かいところへと考えたのが発端だったのに結局一人旅。なぜタイだったのかというのもいい加減。たまたまFacebookで繋がった30年来の友人がチェンライという街に住んでいることを聞いたからだ。チェンライという音の響きに惹かれただけかもしれない。

夜行バスならぬ飛行機の夜行便で羽田発。防寒着は鞄に放り込み、そのまま荷物を預けてしまったはよいが、飛行機までバスで運ばれることになり、軽装のまま寒い外気に晒されることになる。翌朝バンコク着で乗継便まで3時間。入国手続きを済ませ空港内をウロウロする。コーヒーを飲もうとしたら円が使えない。店員の対応もぞんざい。日本の存在感って薄くなってるのかしらねなどとつぶやきながら待合室で待つ。

で、チェンライ到着。

2012年11月26日月曜日

11月の読書

今月は読みかけの『ピダハン』で手一杯だと思うので、ちょっと早めにup

ピダハン ダニエル・L・エヴェレット みすず書房 2012
 やっぱりサピア=ウォーフでしょう
ウェブで政治を動かす! 津田大介 朝日新書 2012
時速250kmのシャトルが見える 佐々木正人 光文社新書 2008
弱いロボット* 岡田美智男 医学書院 2012 
ガラスの煉獄* 壇上志保 新潮社 2010
日本を捨てた男たち* 水谷竹秀 集英社 2011
美の壺ー魯山人の器* NHK出版 2006

2012年11月24日土曜日

ぼくが企画書を書けない理由

発信力の時代だそうで、外に向かって発信していかないと生き残れない、と皆が言う。うん、そうかもしれない。大井町稽古場は存亡の危機にあるし、ここはひとつ自分たちに何ができるか企画書を書くべきでしょうとパソコンに向かうのだが一向に筆が前に進まない。

これまで頼まれて外で稽古会は何度もやってきているはずなのに、いざ積極的に外に向け発信しようとすると、どう書きはじめてよいかわからない。生きているということは身体と共に生きているということで、つまり、僕らの稽古は万人に応用できるはずのものだし、実際、普通のお母さんたちから芸術家まで幅広い層を対象に稽古会を開いてきた。

ところが、いざ「発信」しようと試みると、そこで止まってしまう。僕の文章力に問題があるのかなあとも思うのだが、それだけでもなさそうだ。よく考えてみると、頼まれて稽古会をやるという場合、その時点である程度参加者の層が決まっていて、その顔を空想しながら稽古を組むという手順を踏んでいる。つまり、あらかじめ対象が想定されている。あと、もう一つは、ことのはじまりは常に受身なのですね。これって結構、僕らの存在理由にかかわる根源的な問題のような気がする。

実のところ頼まれ稽古会というのはなかなか楽しい。「こういう人たちを対象にした会をやりたいので稽古考えて下さい」という話を持ち込んでくるのは多少なりとも稽古に触れたことがある人なのだが、「じぁあこんな感じでやりましょう」と応じて、いざチラシが刷り上がったのをみて驚く。僕との話やメモ書きをもとに出来上がったものであるはずなのに、相当にズレているケースが結構多い。この企画者の曲解というか誤解のしかたというのが素晴らしい。ある時など、若い母親の会だというので出かけていったら、会場入口に「整体で美しくなる」と大書された看板が立っていた。いったいどこから、こういう題が出てきたのか謎である。で、あの看板に偽りありかというと、二時間びっちり動法の稽古をしたのだが、皆さん美しくなって帰っていかれた。ただ僕らの理念を理解してくれたかどうかは別次元の話である。

そうか、汎用的であるが故に、そして受身である故に、企画書という形に向かって行かないのだ。でもこれって言い訳にしか聞こえないだろうな〜。それが問題だ。