2013年9月24日火曜日

day -3 稽古場の25年

 パリでも稽古会をやることになったことはすでに報告済みですが、その会を準備してくださっているNさんから、当日どんな話をするのか、どんな稽古をするのか、事前に教えてほしいというリクエストが届いている。「doho」がはじめてフランスで紹介される会になるわけで、たしかに、事前にある程度の情報がないと主催者・通訳者としては困るにちがいない。この点、ドイツの会は長年の積み重ねがあるから楽ですね。
 さてどこから書いていくべきか。まず身体教育研究所25年の歴史からとき起こすことで、自分たちがどこを目指しているのかが明らかになるのではないか。そうすれば、自ずと当日の稽古の中身も定まってくるのではなかろうか。以下は試稿。

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 整体は割に早い段階からヨーロッパに入ってきているようです。整体協会の古い機関誌ーzenseiといいますーなどを読んでいますと、40年くらい前、整体協会の創始者である野口晴哉先生ご存命の頃から、すでに、津田さんという方を中心にヨーロッパで整体が広がっていた様子が伺えます。津田さんは合気道もよくされた方のようですが、それ以外にも、ヨーロッパに留学していた音楽家を通しての広がりもあったようです。その晴哉先生は1976年にお亡くなりになり、その後を、晴哉先生のご子息たちが引き継ぎ、今日に至るまで整体協会の活動は続いています。

 私の師匠は野口裕之(Hiroyuki)先生ー晴哉先生の次男にあたられる方です。晴哉先生がお亡くなりになった後、三男の裕介(Hirosuke)先生と一緒に、本部講師として指導者育成、会員指導に当たられてきました。今からちょうど25年前、1988年のことになりますけれど、裕之先生は本部講師を辞め、「整体法研究所をはじめます」と宣言しました。この整体法研究所は何年かあとになって、「身体教育研究所」と名前を変えることになります。この研究所が創設されたとき、たまたま私が一番身近にいたものですから、身体教育研究所の運営・マネージメントを任されることになってしまいました。以後、4年前に指導者として独立するまで、身体教育研究所の運営に携わってきました。

 じゃあ、どうして、裕之先生は身体教育研究所なるものをはじめたのか? 野口晴哉という人は「天才」と呼ばれた人です。天才というのはやってみせることはできるが、それを説明できないーあるいは敢えてしない。学ぶ側は大変です。つまり、弟子たちは、見よう見まねで真似しようとするが、自分がやっていることに確証がもてない。これは、私なども整体を学び始めて30年以上たってしまいましたが、確証の持てなさ加減は同じです。指導者を育てる立場だった裕之先生にとって、これは切実な問題であったに違いありません。裕之先生は晴哉先生の技を理論体系化する役割を担わされていた訳で、それが、身体教育研究所の出発点です。

 整体というと、活元運動、愉気、整体操法といったものを思い浮かべることが多いと思いますが、身体教育研究所の活動が始まって、これらに「動法(doho)」と「内観(naikan)」が加わります。動法とは「身体を動かしていく理(ことわり)」です。1911年生まれの晴哉先生と、戦後生まれ(1945〜)の我々は、身体の捉え方=身体観が異なっているのではないか、故に、異なった原理で体を扱っていたのではないか、という仮説からこの動法研究ははじまりました。年数にして一世代、僅か30年ほどの違いに過ぎませんが、この間、社会環境は大きく変化し、日本でいえば、戦後ー高度成長期を経ることで生活環境そのものが大きく変わりました。伝統的なものが打ち捨てられ、いわゆる生活の西洋化が進んだ時代でもありました。時代によって身体観は変化し、身体観の変化によって、身体の使われ方は変化する。野口晴哉研究からはじまった動法研究は身体観の研究に転じていきます。

 現代を生きる人間にとっての身体観は科学的医学的身体観と呼びうるものでしょう。これはフランスにおいても日本においても共通しているのではないでしょうか。国民国家の誕生以来、そして工業化の進行とともに、外からの物差しで人間を測ることが常態化し、人はその客観的とされる数値によって形成される姿を内面化してきました。人は自由に感じることができるといわれても、その感じることが既に社会化されているのです。科学的思考の本家ともいえるフランスではどうなのでしょう? 文化の伝承というものを考えたとき、それを支えているのは共有された身体観ということになります。この「身体観」「動法」研究の成果は裕之先生の論文にまとめられていますので参照してください。 

 私たちが行っている「動法」というのは、狭義には日本人の間に伝わってきていたであろうとされる「身体観」を学ぶことと言えるでしょう。同時に、それは科学的医学的身体観以前のー前近代の「身体観」を学ぶことでもあります。私たちが25年間稽古してきた「動法」がフランスで紹介されることにどのような意義があるのか私にはわかりません。ただ、Nさんとのご縁で今回パリで稽古会が実現することのなったことを私自身とても嬉しくおもっています。これまで自明と思ってきた自分の身体の見方を問い直す機会になればと思います。


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と、ここまで書いてはみたものの、言葉足らずというか、トンチンカンな感じは否めない。少人数の会なので、ここまで大上段に構える必要もないのかも。続きはドイツで考えることにしよう。

2013年9月21日土曜日

day -6 折鶴

菊名お茶室の脇に二重の折り鶴が置かれていた
尾っぽと繋がっていたり、くちばしから、もう一つのツルがぶら下がっていたり…
こんな事できちゃうんだと感心
肝腎のお茶は、夏の間さぼっていたせいでシドロモドロ
どうしてお茶の手順って僕の中で定位してくれないのだろう
客の座でお茶をいただき、遠征用のお干菓子をもらって帰ってきた
遠征荷物にお茶碗と茶筅を加えることにしようか

2013年9月18日水曜日

day -9 台風一過

出発まであと9日
台風一過で涼しくなったとはいえ、ドイツはすでに晩秋モード突入で、
最低気温は10°Cを切っているとのこと

出発までの予定表をみると、毎回のことながら、やけに行事が詰まっている
金曜日は休みだが、恐怖の音楽会が待っている
 なぜ恐怖なのかというと、これがオヤジにとって311のリベンジであるということ.
 僕の中では、ミーハーオヤジx辻井伸行=大地震+帰宅難民という図式で記憶されてしまっている
   今回はみなとみらいでなく渋谷だけれど...
土曜日は動法基礎 その前に、先月お休みしたお茶の稽古もお願いしてある
日曜日から一泊二日で白山稽古会
火木も稽古が入っているから、出発準備に費やせるのは水曜日だけだ

はたして4週間分の荷物を機内持ち込み可のバッグに納められるのか?
ブラジルからの帰途、パリで日本行きの飛行機に乗り継ぐのだが、乗り継ぎ時間3時間。身ひとつなら多少遅れても大丈夫なはずだが、荷物の引き取りに手こずって乗り継ぎをしくじると、寒いヨーロッパで越年ということにもなりかねない(そんなわけないか)。そういう理由で機内持ち込みにこだわっている。おみやげどうしよう。

2013年9月15日日曜日

諦める

内観とは諦めることではないか
刺戟することを諦め、相手を変えることをあきらめる
諦めの集注に入るところから内観がはじまる
これが25年目の真実
結局ここに立ちもどる










野口裕之1990

ふと口ずさむ歌

ふと口をついて歌が出てくることがある
脈絡もなくいきなり音楽が聴こえてきたり、いったいこれはなんなのだ
街の雑音に紛れたなにかの音が引き金になっているような気もするのだが、
実際のところどうなんだろう?
場所、時間、浮かんできた歌を記録してやろうと思っているのだが、
なかなかデータの数が増えない
今日は、電車を降りたらいきなり「マイ・スウィート・ロード」
なんでジョージ・ハリスンなのって感じ

wikiで見てみたら、盗作騒動があったのね

He is So Fine

2013年9月9日月曜日

四十肩

還暦なのに四十肩なった
二十歳若返ってしまったぞ
ところで、四十肩と五十肩どっちがポピュラーなのかと調べてみたら
五十肩に軍配が上がるらしい
google検索で、四十肩175万件に対し五十肩185万件
大辞林ではどうかというと、五十肩の項目はあるが、
四十肩だと、→で五十肩を参照しろと出る
せっかく20歳若返ったつもりでいたのに、これは意外かつ残念な結果だ
世の中的には五十肩って疾病として扱われてるらしいのだが、
整体的には肩の痛みとか、膝の痛みとか、触らないのが原則
腰痛も場合もそうだが、動法的摂理に沿って動くと不思議なことに痛まない
動法を学ぶよい機会と観念するのみ

2013年9月5日木曜日

Istanbul to Kathmandu for $50 - 1974

ニッポンの海外旅行』(ちくま新書)という新書を読みはじめたのだが、これがなかなか面白い。「若者と観光メディアの50年史」という副題の通り、「なんでも見てやろう」から「地球の歩き方」まで、ここ半世紀の若者の海外旅行のスタイルの変遷をメディアに絡めて通観している。その流れを現在進行形で体験してきた一人として、膝を打つ箇所も多い。思い出したのが、"Istanbul to Kathmandu for $50" という僅か36頁だての旅行案内本。これを頼りにパリからイスタンブール、そしてインドまで旅したのだ。PDF化してみたので興味のある方はこちらから。