ラジオから流れてきた
デートリッヒの「花はどこへいった」
ちょっとゾクッときた
2015年8月11日火曜日
2015年8月9日日曜日
2015年8月8日土曜日
前にすすむ 6 - 呼ばれる
5月の公開講話でのお話の中に「呼ばれる」というのがあった。ある大工さんにお茶室を頼んだのだが、適当な床柱となる木がなかなか現れず、工事が進まない。大工さんをせっついても、「木に呼ばれない」という答えが返ってくるだけで、積極的に木を探している様子もない。2年経ったとき、ようやく向こう(どこだ?)から木はやってきて、以後、工事はすらすらと進み無事お茶室は完成した。めでたしめでたしというお話。ダン先生にはこういう寓話的な、ありそうもないけど、あるかもしれない、いやきっとあるだろうというものが多い。究極の受動性というお話です。
月始め、稽古会のため石川に行った。二年前、フランスでお世話になった西田昭博さん一家が帰省中だったので、稽古会のあと合流して晩御飯をご一緒した。翌日も都合が合えば一緒に遊びましょうといって別れたのだが、翌朝電話してみたら、お墓の掃除等々やんなきゃいけないことを沢山抱えてそうなので、西田さんと遊ぶことは諦め、京都に向かうことにした。6月末の京都での稽古会に参加して以来、京都に戻ることを考えて始めていた。来年5月で私の東京暮らしも30年になるし、カミさんもオヤジも居なくなって、東京にいる理由がなくなってきた。金沢移住という案も温めてきたのだが、いかんせん横つながりの人間関係がとぼしいから、きっと淋しすぎる。その点、京都なら昔の繋がりがわずかながら残っている。
降り立った京都は暑かった。おお、これが京都の夏だ!と懐かしさを覚えたのは自分でも意外だった。前日、39.2度という最高気温を記録したとか。予め連絡してあった池田先生と合流して、蕎麦屋で昼食。あとは、コーヒーでも飲んで、その日のうちに横浜に帰るつもりだったのだが、ふと思いたって、旧知の知り合いである新海みどりさんに電話することにした。電話は通じなかったのだが、しばらくして返信があり、いま京都に来てるんだけど、と話したら、「今晩、片桐ユズルさんの話を聞く会があるから是非来てくれ」とのこと。でも、宿ないんだけどというと、私の仕事場に泊まれるよとのこと。これはもう参加するしかない。
午後7時、高野にある新海さんの仕事場にお邪魔したら、神田稔さんの顔もある。一気に1980年前後にタイムスリップ。そもそも、私を整体と結びつけた張本人が片桐ユズルだったりするわけで、このタイミングで京都に来てしまったというのは、もう「呼ばれた」と思うしかない。夕食に連れてってもらった花見小路の小料理屋さんで、久方ぶりに鱧を食べ、翌朝はこれまた、うん十年ぶりに北白川のドンクで朝食をとり、最後は、鞍馬口のカフェで戸村さんとお茶して(「臥法が先」はこのときの会話から)横浜に帰ってきた。まあ、手応えありという感じかな。
月始め、稽古会のため石川に行った。二年前、フランスでお世話になった西田昭博さん一家が帰省中だったので、稽古会のあと合流して晩御飯をご一緒した。翌日も都合が合えば一緒に遊びましょうといって別れたのだが、翌朝電話してみたら、お墓の掃除等々やんなきゃいけないことを沢山抱えてそうなので、西田さんと遊ぶことは諦め、京都に向かうことにした。6月末の京都での稽古会に参加して以来、京都に戻ることを考えて始めていた。来年5月で私の東京暮らしも30年になるし、カミさんもオヤジも居なくなって、東京にいる理由がなくなってきた。金沢移住という案も温めてきたのだが、いかんせん横つながりの人間関係がとぼしいから、きっと淋しすぎる。その点、京都なら昔の繋がりがわずかながら残っている。
降り立った京都は暑かった。おお、これが京都の夏だ!と懐かしさを覚えたのは自分でも意外だった。前日、39.2度という最高気温を記録したとか。予め連絡してあった池田先生と合流して、蕎麦屋で昼食。あとは、コーヒーでも飲んで、その日のうちに横浜に帰るつもりだったのだが、ふと思いたって、旧知の知り合いである新海みどりさんに電話することにした。電話は通じなかったのだが、しばらくして返信があり、いま京都に来てるんだけど、と話したら、「今晩、片桐ユズルさんの話を聞く会があるから是非来てくれ」とのこと。でも、宿ないんだけどというと、私の仕事場に泊まれるよとのこと。これはもう参加するしかない。
午後7時、高野にある新海さんの仕事場にお邪魔したら、神田稔さんの顔もある。一気に1980年前後にタイムスリップ。そもそも、私を整体と結びつけた張本人が片桐ユズルだったりするわけで、このタイミングで京都に来てしまったというのは、もう「呼ばれた」と思うしかない。夕食に連れてってもらった花見小路の小料理屋さんで、久方ぶりに鱧を食べ、翌朝はこれまた、うん十年ぶりに北白川のドンクで朝食をとり、最後は、鞍馬口のカフェで戸村さんとお茶して(「臥法が先」はこのときの会話から)横浜に帰ってきた。まあ、手応えありという感じかな。
2015年8月6日木曜日
はじめに臥法ありき
先に臥法が発案され、
それだと、普通の座り方だと負けてしまうから、
次に坐法がつくられたのです
だから臥法坐法漫画も臥法を先に描いています
と戸村さんに教えられ、なるほどそうだったのかと腑に落ちた
いまでこそ、みんな普通に稽古着を着て、普通に坐法・臥法をしている
最近稽古をはじめた人など、この伝統が百年も前から続いていると思うかもしれない
しかし、本部稽古場がはじまる1988年以前、それらは存在しなかった
大勢の人間が繰り返し繰り返し行うことで、坐法臥法はひとつの伝統として定着しつつある
どの段階で坐法・臥法が発案され、
どの時点で僕らは稽古着を着はじめたのか
そもそも、みんな最初から足袋を履いていたのか?
28年も経つと、このようなことすら時系列で捉えられなくなってきている
はじまりを知る人間はやがていなくなる
そのとき、この坐法・臥法を行う風景が残っていたならば、はじめて
定着した、といえるのだろう
*本部道場で修養講座がはじまったとき、「臥法は稽古場にとっておいて下さい」などと了見の狭い意見を述べましたが撤回します。整体協会の共有財産として浸透させていきましょう。
*わけあって、独法講座冒頭の講話部分だけ音声で聞いた。身体教育研究所の公開講話と共通する部分が多かったのだが、この講話で述べられたことが、今後の整体協会の「標準」となる。と同時に、その「標準」たることを裕之先生は引き受けられたことになる。そういう意味で、エポックメーキングな講習会である。
それだと、普通の座り方だと負けてしまうから、
次に坐法がつくられたのです
だから臥法坐法漫画も臥法を先に描いています
と戸村さんに教えられ、なるほどそうだったのかと腑に落ちた
いまでこそ、みんな普通に稽古着を着て、普通に坐法・臥法をしている
最近稽古をはじめた人など、この伝統が百年も前から続いていると思うかもしれない
しかし、本部稽古場がはじまる1988年以前、それらは存在しなかった
大勢の人間が繰り返し繰り返し行うことで、坐法臥法はひとつの伝統として定着しつつある
どの段階で坐法・臥法が発案され、
どの時点で僕らは稽古着を着はじめたのか
そもそも、みんな最初から足袋を履いていたのか?
28年も経つと、このようなことすら時系列で捉えられなくなってきている
はじまりを知る人間はやがていなくなる
そのとき、この坐法・臥法を行う風景が残っていたならば、はじめて
定着した、といえるのだろう
*本部道場で修養講座がはじまったとき、「臥法は稽古場にとっておいて下さい」などと了見の狭い意見を述べましたが撤回します。整体協会の共有財産として浸透させていきましょう。
*わけあって、独法講座冒頭の講話部分だけ音声で聞いた。身体教育研究所の公開講話と共通する部分が多かったのだが、この講話で述べられたことが、今後の整体協会の「標準」となる。と同時に、その「標準」たることを裕之先生は引き受けられたことになる。そういう意味で、エポックメーキングな講習会である。
2015年8月5日水曜日
熱中症
金沢駅降りた時に、
「あっ、こっちの方が過ごしやすそう」と感じた
それで油断したらしい
翌日、稽古会の途中から、なんだか頭が回らなくなった
帰りの電車は、たった三駅なのに寝入ってしまい、
たまたま一緒になった会員さんに「着きましたよ」と
揺り起こされる始末
宿に戻ってシャワーを浴び、
ベッドに倒れ込んだ
気がついたら三時間経過していて、
食事のできそうなお店はすでに閉まり、
結局、コンビニのサンドイッチの夕食となる
こういうのを熱中症と呼ぶのだ
石川での稽古を終え、その翌日京都に移動
前日、39度超えの最高気温を記録し、あの熊谷よりも暑かったそうだ
たしかに暑い
実に懐かしい暑さ
京都に暮らしていた頃の記憶が蘇る
独法三日間参加される方、
くれぐれもお気をつけあそばせ
「あっ、こっちの方が過ごしやすそう」と感じた
それで油断したらしい
翌日、稽古会の途中から、なんだか頭が回らなくなった
帰りの電車は、たった三駅なのに寝入ってしまい、
たまたま一緒になった会員さんに「着きましたよ」と
揺り起こされる始末
宿に戻ってシャワーを浴び、
ベッドに倒れ込んだ
気がついたら三時間経過していて、
食事のできそうなお店はすでに閉まり、
結局、コンビニのサンドイッチの夕食となる
こういうのを熱中症と呼ぶのだ
石川での稽古を終え、その翌日京都に移動
前日、39度超えの最高気温を記録し、あの熊谷よりも暑かったそうだ
たしかに暑い
実に懐かしい暑さ
京都に暮らしていた頃の記憶が蘇る
独法三日間参加される方、
くれぐれもお気をつけあそばせ
2015年8月2日日曜日
魯山人展
部屋に届けられていた朝刊をめくっていると魯山人展の記事。今月23日までとのことだから、見に行けるとすれば今日、土曜日の午前中しかない。
慌てて身仕度して、普段は乗らないタクシーを奮発して県立美術館へ。そしたらタクシーの運転手というのが面白い人で、なんと78歳。タクシー歴50年、しかも運転歴59年で無事故無違反。なんとも天然記念物のような人で、去年、叙勲を受けて皇居に呼ばれたとのこと。そんな話を聞けただけで元取った気分。
この魯山人展、去年、世田谷美術館で開催されていたはずだが、去年はさすがに観に行く余裕はなかった。魯山人って、書家、篆刻家として、そのキャリアをはじめてるのね。そんなことも知らなかった。
もっとアクの強い人だと思っていたのにーこの先入主はどこからきたのだろう?ー作品はどれも素直で気持ちよかった。バター入れとか小さな作品がいい感じ。あと、志野の洋皿っぽいもの。
この展覧会を観て、ここ20年くらいの間に本部道場で2回やった野口晴哉展を思い出した。やはり晴哉先生の書は素晴らしいし、なによりも裕之先生のプロデュース力の凄さをあらためて感じる。
慌てて身仕度して、普段は乗らないタクシーを奮発して県立美術館へ。そしたらタクシーの運転手というのが面白い人で、なんと78歳。タクシー歴50年、しかも運転歴59年で無事故無違反。なんとも天然記念物のような人で、去年、叙勲を受けて皇居に呼ばれたとのこと。そんな話を聞けただけで元取った気分。
この魯山人展、去年、世田谷美術館で開催されていたはずだが、去年はさすがに観に行く余裕はなかった。魯山人って、書家、篆刻家として、そのキャリアをはじめてるのね。そんなことも知らなかった。
もっとアクの強い人だと思っていたのにーこの先入主はどこからきたのだろう?ー作品はどれも素直で気持ちよかった。バター入れとか小さな作品がいい感じ。あと、志野の洋皿っぽいもの。
この展覧会を観て、ここ20年くらいの間に本部道場で2回やった野口晴哉展を思い出した。やはり晴哉先生の書は素晴らしいし、なによりも裕之先生のプロデュース力の凄さをあらためて感じる。
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