2016年4月27日水曜日

撮影所前駅

京福電鉄に撮影所前という駅が開業をはじめているそうだ
http://news.mynavi.jp/news/2016/04/03/058/
JR山陰本線の太秦駅から徒歩3分ということなので、京都駅方面から等持院稽古場を目指す人には便利になる
google map等にはまだ反映されていない
以前、京都駅に向かうとき、京福電車で帷子の辻に出て、そこからJR太秦駅を目指したことがあるが、予想より遠くて、以来、このルートは使ってなかった
ここから京都駅に出るときにも使えそうである
 京都駅→(山陰線)→太秦→(徒歩)→撮影所前駅→(京福北野線)→等持院
 京都研修会館に行く場合は、宇多野駅下車

2016年4月25日月曜日

自転車

京都で自転車を乗りはじめたときに決めた自分ルール三つ
 1)暗くなったら乗らない
 2)自転車からすぐ降りる
 3)立ち漕ぎをしない
年寄りの冷や水と言われないための自衛策

2キロ圏内は基本徒歩
それを超えると自転車にしようかなという感じ
ただし、買物に行くときは、自転車を使う場合もある

日が長くなって、自転車に乗る機会も増えてきた
ただ、今日など、漕いでいると汗をかくくらい
目的地は北大路駅近くのタバコ屋さん
地図アプリが示す最短距離が必ずしも楽なルートとはならない
少々遠回りしても、起伏のないほうが楽である

西大路を上がって、鞍馬口通に入ると緩やかな下り坂
大宮通に来たところで左折して北上
北大路に出たら再び東進

随分品揃えのよいタバコ屋さんだった
ななめ向いにドーナツ屋さんがあったので、ちょっと立ち寄ってみる
北大路駅ビルの中にある本屋さんをのぞき、帰りも同様のルートで帰ってきた

2016年4月24日日曜日

みやこわすれ

庭に咲いている花の名前がわからない
というのはもどかしい
むらさき色のかわいい花
みやこわすれというらしい
稽古に来てくれた方に教わった

ここでいうミヤコとは京都のことだが、
自分に引きつけて考えれば、普段東京のことは忘れている
ときおり連絡をくれる娘の声を聞いて、
ああ、30年の関東暮らしは幻ではなかったのだ
と思い出す


2016年4月22日金曜日

音読

ひとりで暮らすことのメリットは、
自分が音を発しても咎められないということである
ゲップをしてもオナラをしても文句を言われる心配がない
ただ、大きな叫び声を上げると、その声がお向かいの家まで届いて、
様子をみにくるか、110番される可能性がないわけではない

多和田葉子のエッセイのなかに、作者が自らの作品を朗読するという話が出ていて、
そういえば、本を声に出して読むという習慣から随分離れていることを思い出した
黙読自体、明治以降に広まった読み方で、それ以前は音読が主であったようだ
でも、貸本文化のあった江戸期、黙読がなかったわけではないだろうとは思う

夜中思いついて、読みかけの『雪の練習生』(多和田葉子著)を声に出して読んでみた
漢字の中から、ひらかなが破片となって飛び出してきた
紙に定着していた活字が、空中で舞いはじめた
吃驚したが、ほんとそんな感じなのです
マティアス、クリスティアンといったカタカナ名も声にすると角が取れて丸く感じる
調子に乗って、どんどん声にして読みすすめていった
なかなか先には進めないが、黙読とはちがう経験

いったい一頁読むのにどれくらいかかるのだろう
測ってみたら一頁3分
250頁の本なら12時間30分で読み終えられることになる
一回で読める分量にも限りがあるだろうから、黙読の二倍三倍の時間がかかるだろう
でも、「文章を味わう」ことが本を読むことであれば、音読という行為によって定められた速度こそが、適度ということになる

乱読家という呼び名を返上しよう

2016年4月19日火曜日

ワーク考

ユズルさんの紹介もあったりしたせいか(べったりか...)、いわゆるボディワーク系の人たちがポロポロと現れはじめた。その人たちの言葉の使い方が面白い。たとえば、「ワークを受けたい」とおっしゃる。「稽古したい」「操法を受けたい」と比較すると、どちらかというと後者に近いニュアンスのようだ。workは仕事であり作品でもある。語感もイヤではない。ただ、英語のworkと、ここで使われてる日本語としてのワークは、意味合いがだいぶ違っている。意味のズレに注意がいってしまうのは、このところ読んでいる多和田葉子ののせいなのだけれど、はたして、「稽古」を他の言語で表現するとして、それはいったい何になるのだろう。稽古の原義である「いにしえについてかんがえる」というところまで遡らないと、ふさわしい言い回しにたどり着かないのではないか。さて、ぼくらは、原則的に受ける人にも坐法臥法というものをリクエストしている。つまり、「ワーク(?)の半分は貴方が担うんですよ」と言ってる。なぜぼくらが、自分たちの場所を稽古場と呼んでいるのか、新しい人たちと話すことで、その立処が少しだけはっきりしてきたような気がする。

2016年4月15日金曜日

サンダーバード

京都駅から2時間と少々、月例の白山稽古会行きは随分と楽になった。飛行機で、あるいは上越北陸回りで、よく5年間通っていたものだと思う。

サンダーバードの車窓から眺める琵琶湖は春模様。

























15時に松任に着いてしまったので、ワンネススクールの森さんの連絡してみると、夕方には鳥越から金沢に戻るとのこと。まだ行ったことのない金沢校を訪ねてみることにした。広い道路沿いのちょっと「西部」感の漂うエリアで、松任のころとはだいぶ趣が違う。「制服を稽古着にしなさいよ」と無責任かつ素晴らしい提案をして帰ってきた。

2016年4月13日水曜日

たそ彼の妖怪たち

『たそ彼の妖怪たち』(水上勉 幻戯書房 2003)という本を読んでいる。水上勉は13歳から数年間等持院で小僧だった。この本は、同時期小僧をしていた二歳年上の衣斐陽三という少年への追悼として書かれたものである。ただ、等持院の新住民としては、昭和初期のこの地域についての記述により興味をそそられてしまうのは、いたしかたのないところ。

日夏耿之介、金子光晴らが震災後、関東から避難してきて滞在していたという伝聞が述べられ(p.100-101)、更に、「私が入った頃は境内に東亜キネマ撮影所があったので、間借りする映画人が多かった」(p.116)とある。このことは、立命館大学のマキノプロジェクトというサイトで知った。記述はさらに続き、「尾上松之介や河部五郎や嵐寛寿郎が撮影に来ない日がないほどで、境内での撮影があると小僧も借り出された。...石田民三などは、門前の鳥原というタバコ屋の二階からどてら姿で来て、小僧に銀紙を貼った板をもたせてライトがわりに俳優や女優の顔を照らさせたものである。」石田民三という映画監督のことはしらなかったが、鳥原というお店はいまでもあって、時々、等持院饅頭を買いに行く。

マキノプロジェクトには、「当初、等持院山門をくぐると参道の西側部分にステージ1棟、倉庫、俳優部屋、事務所があった。」という記述がある。つまり、ここ等持院稽古場は、旧東亜キネマ撮影所跡に建てられたと考えてよいだろう。1932年10月、東亜キネマ撮影所閉鎖とあるから、この場所が宅地になったのは、1932年(昭和7年)以降のことだと思われる。つまり、古都京都とはいえ、この場所に人が住んでいるのは、たかだか80年ということになる。もっとも、もともとがお寺の境内だったわけで、ずっと以前は墓地だった可能性がないわけではない。