2016年10月16日日曜日

集団のちから

白山稽古会がはじまってから7年経った
7年というと、そう長い期間とも思えないが、
それぞれが7歳年取ったと言い換えるといささか感慨深いものがある
7年のうち6年は関東から毎月通ってたわけで、まあ、よく続いたものだ

今回はなぜか古いけど新しいひとが参加したり、
最近になく大人数が集まった
といっても10人くらいなのだけれど、いつもよりは多い
それだけで、会の密度が大分増し、「ひとにもまれる」という感じが生まれてくる

普段、等持院ではほんと少人数で稽古している
丁寧といえば丁寧な稽古になるが、「ひとにもまれる」という感じはない
もっと集団のちからを活用したほうが、ひとりひとりのレベルも上げられるかもしれない
そんなことを思った

2016年10月11日火曜日

岡山行き 3

▪️岡山駅がお洒落に生まれかわっているにには驚いた。まずは腹ごしらえと、駅ナカの寿司屋で昼食。さてどうするか。このまま帰ってオーストラリア戦に備えるか、それとも倉敷まで足を伸ばすか。■大原美術館を訪れるのは、いったいいつぶりなんだろう。津山への帰省に合わせてアイビースクエアに行った記憶はあるのだが、まだ母が生きていた頃のことだから20年も前のことかもしれない。大原美術館はコレクションといい見せ方といい、スタッフの対応といい、押し付けがましさがなく、気持ちよく過ごせる。■帰路は相生、姫路と山陽線を乗り継いで京都に帰り着く。学校帰り、仕事帰りの人たちで車内はずっと活気がある状態が続く。内陸側のさびれ具合とのコントラストが著しい。▪️これで西に向け風穴が少し空いたな。




 


岡山行き 2

■津山は次回に回すことにして、岡山に向かうことにした。意地でも往復運動を回避。ホテルが岡山駅まで無料バスを出しているというので、それを利用することにした。出発は11時。それまでの時間を使って、生まれ育った町を散歩することにした。■おそらく20年も前のことになるが、同じようにこの町を歩いたことがある。子供の時の記憶に比べ、町は思っていたよりずっと小さく狭かった。その20年前よりも、さらに町はゴーストタウン化していた。夏草や強者どもの夢の跡。廃墟ツアーができそうなくらいだ。半世紀経つと、町はこのように変貌してしまうのか。日本の津々浦々で見られる風景に違いない。■河原に出てみた。この河原で遊んだのが、ボクの一番古い記憶。母親は他の女たちと一緒に、河原で洗濯をしていた。そんな記憶である。昭和30年−1955年前後、つまり60年前の記憶だ。水遊びして溺れかけたのも、この川だし、平らな石を向こう岸に向けて投げたのも、この河原だった。町の風景は変わってしまったが、川は同じように流れていた。▪️さて、もうすぐ岡山駅だ。


岡山行き 1

■岡山行きを思いついたのは朝起きて空が青かったから。湯郷温泉のホテルが予約可能なことを確かめ、叔母に「これから行きます」と電話し、それから旅支度を10分で済ませ家を飛び出した。京都駅からも津山便のバスはあるのだが、朝いちに1本、あとは夕方に3本。この時間帯(9時)だと大阪駅発の便に乗るしかない。■まずはお土産と、北野天満宮脇の和菓子屋さんに行くが、買いたいものはどれも賞味期限が本日中なので、しかたなく日持ちするお菓子を買ってバス停に戻ろうとすると、今度は、目当てのバスは行ってしまう。なんだか行手を邪魔されているようだ。早足で白梅町のバス停に戻り、西院行きのバスを待つ。大阪駅の雑踏を抜けるのはいやなので、結局、阪急と地下鉄を乗り継いで新大阪。津山行きのバス待ちしている間にホテルに電話してピックアップを依頼。ところが、下車する停留所が近づいたころで、時刻表を一列読み間違えていたことに気づく。美作インターでバスを降り、ホテルに「1時間早く着いてしまいました」と電話すると、15分ほどで迎えの車が来る。■津山の家を畳んだのが6年前の春。以来、岡山の地に足を踏み入れることはなかった。震災後の混乱期と重なり余力がなかったことも確かだが、西に向かおうとすると必ず拒絶された。去年の夏もそうで、石川から岡山に行こうとしたのだが、叔父さんの都合が悪く、結果、京都に向かうことになった。あの時、岡山に行っていたら、京都への引っ越しもなかったかもしれない。■京都に引っ越してきても、まだ西に向かえなかった。妙に、南方向にばかり足が向いた。一年経って、やっと見えない壁を通り抜けた。■ボクが生まれ育ったのが今の美作市林野という町で、湯郷はそこから数キロ南。たまに温泉に入りに来ることはあったが、泊まるのは今回がはじめて。つまり、それだけボクが異邦人になった証拠だ。叔父叔母たちと再会し、宿に戻って温泉にも入り、明日は津山に出てから帰ろうかと思ったのだが…。

2016年10月9日日曜日

せうそこ、その後

6月末に等持院稽古場で開催した「せうそこ#1」を活字化する作業が進行中。はやければ今月末には地下出版物として出来上がってきそうです。その時の話者の安森さんに等持院稽古場で「筆動法」の稽古をやっていただけることになりました。→ 等持院稽古日程。但し、定員6名で、残2名です。更に、11月末にせうそこ#2を開催の予定。話者は大松美紀子(鎌倉稽古場)さんで、テーマは「育つ」。日時は11月30日、17時〜19時。会場は等持院稽古場になります。

合宿

円高になっても外国人観光客が減ってきた様子はあまりない
あいかわらず稽古会に通ってくる人たちは宿の確保に苦労している
等持院を月末の稽古会、あるいは修養講座の宿泊所として使ってもらうのは大いに結構
先月も、東京から修養講座にやってきたついでに等持院の稽古にも出たいという若者がやってきた
どこに泊まるの?と訊くと、ネットカフェという
ネットカフェというと、随分窮屈で不自由な印象があったから、泊めてあげることにした
でも、話を聞いてみると、ネカフェでもそれなりに快適に過ごせるようで、余分なお節介だったのかもしれない
温情をかける必要のない大人たちは逆に泊まりづらいようで、値段を言って下さいと仰る
それはそれで困ってしまう
結局、一泊2500円朝食付きという話になった
朝食つくるの面倒なら、近所の喫茶店のモーニングを食べに行けばよい

等持院稽古場も二年目に入ったので、ちょっと新しい試みもはじめようか
合宿形式の稽古会をやらないかという話もある
定員3名の集中稽古なら可能だろう
一泊二日でどれだけの稽古ができるのだろう?
食事はキダさんにお願いできそうだ
もっとも、キダさんのところでご馳走食べてしまうと、
稽古したことを忘れてしまうのではないかという懸念はある
等持院に稽古に行きましたが、一番印象に残っているのはキダさんのところの食事です
これは困るな
一泊二日一万五千円くらいでできるんじゃないか
稽古して、食事して、観光して...
昔の整体協会の地方講習なんて、温泉場の大きなホテルに何百人も集まってやっていたわけで、ある種の「のどかさ」はあった
まあ、古き良き時代の話ですが

2016年10月8日土曜日

二年目

9月は、夏の疲れと、一年前の引っ越し疲れと、その前の年の看病疲れが一気に押し寄せてきたようで不調の極み。何人かの人に「寂しそう」と声を掛けられたが、まあ、妻の命日が近づいてくると、あれこれ想い出すことも多い。急に涼しくなったので、扇風機を片付けたり、冬支度をはじめたのだが、その後、暑さが戻ってきてしまったのはご愛嬌。台風18号が通り過ぎ、これで、やっと秋になるだろう。旧暦ではもう晩秋なのに。

30年間書き続けてきたので、このブログももう閉じてしまおうかとも考えたのだが、稽古会の告知には使っているので、当面、継続することにした。ただし、以前使っていたseesaaブログは閉鎖し、このブロクの記事も京都引っ越し以前のものは読めない状態にしてしまいました。ただし、資料的に読めたほうが良さそうなものは順次復活させていきます。振り返ってばかりもいられない。

京都暮らしが二年目に入ってようやく次になにが起こるのか少しだけ予測がつくようになった。案の定、今月末の近所の神社のお祭りのための奉加帳も回ってきた。三ヶ月以上咲き続けていたムクゲもようやく終盤に近づいてきて、代わりに南天の実が色づいてきている。秋明菊も咲いている。植物についての知識が増えたのが、ここ一年のいちばんの成果かもしれない。