2016年11月2日水曜日

網戸

快晴
冬が来る前に網戸を洗っておこうと、
広縁のガラス窓の先にはまっている網戸を外した
洗剤をつけたタワシで洗い、散水用のシャワーで洗い流した

乾かしている間、広縁の椅子に座ってみたら、随分と明るい
そうか、窓の半分を網戸が覆っていたのだ
冬の間は、網戸なしの方が、陽がたくさん入ってくるんだ
乾いた網戸は押入れの奥に滑り込ませた

六畳間との間の障子戸を閉めればサンルームの完成だ

2016年11月1日火曜日

錐体外路系

10月末の公開講話でいきなり「錐体外路系」の話が出てきてびっくりした。活元運動の説明のときに、この錐体外路系という言葉は用いられてきたが、だれも実感を持って使えない、こそばゆい感じがいつもつきまとう、そんな単語だった。医学界では死語扱いされているそうだ。その錐体外路系という言葉がダン先生の手によって、ゾンビのように蘇ってしまった。なんちう人だ。帰宅して、思わず、公益社団法人になって手を入れられた定款を読み直してみたら、ちゃんと錐体外路系という単語が使われている、というか最重要ワードとして扱われている。

(目的)
第3条 この法人は人間行動における無意識領域を錐体外路系運動という身体運動 の不随意相から考究し、それらの関連機序を視点とした身心関係の調和を促す身体 技法及び生活法の開発と実践に努め、以って、当来の教育学・体育学・人間学をは じめ人間に関わるあらゆる学術研究の発展に寄与すると共に国民個々の身心の人間的基盤を豊穣たらしめんとすることを目的とする体育団体である。

医学界に打ち棄てられた単語を整体協会が後生大事に守ろうとしているわけだが、今回の公開講話では、「錐体外路系」が「前近代的身体」を表現するものとして再定義されてしまった。ゾンビして蘇ったというより、新しい息吹を吹き込まれて再降臨した感じ。これなら、実感を持って「錐体外路系」という単語を使えそうではないか。

活元運動の「元」とは、前近代のことなのです、となれば、自ずと、いま活元運動として行われているものの大半が「近代」の動きであり、「元」にたどり着いてないことも明らかになっていく。裕之先生、晴哉語に新しい意味=感覚経験を付け加えることで、あたらしい「土俵」を作ろうとしている。なんと野心的な。

2016年10月31日月曜日

冬支度

よい季節というのは意外に短い
4ヶ月の冬があって、4ヶ月の夏があって
間に2ヶ月づつの春と秋がある
そんな感じではないか
それでも北陸の人が関西で暮らしはじめたとき、
秋が12月の初めまで続いていたので羨ましかったという話をしてくれた

夏が終わったと思うと、一気に寒さがやってきた
去年は、寒くなって慌てて暖房器具を買いに走ったので、
今年は先回りして準備することにした
ホットカーペットを引っ張り出し、ガスファンヒーターも出してきた
とにかく台所が寒いので、勝手口を引越し時の残りもののポチポチで封じ、
床用にラグも注文
屋内防寒用にオーバーパンツまで頼んでしまった

テレビで昨年は暖冬だっと気象予報士が話している
おいおい、暖冬だったっけ?
結構寒さ厳しかった記憶があるのだが、この冬は平年より寒いという
これから年末年始に向けて、行事催事も予定されているので、
もう一度暖房を見直す必要があるのかもしれない

そうだ、火鉢用の炭も買いに行かねば

2016年10月30日日曜日

10月の読書

アグルーカの行方* 角幡唯介 集英社文庫 2014
武玉川・とくとく清水 田辺聖子 岩波新書 2002
電気は誰のものか* 田中聡 晶文社 2015
脱出老人* 水谷竹秀 小学館 2015
徳は弧ならず 木村元彦 集英社 2016
わたしたちが孤児だったころ* カズオ・イシグロ 早川書房 2001
この国はどこで間違えたのか-沖縄と福島から見えた日本* 徳間書店 2012
トルコ-中東情勢のカギをにぎる国* 内藤正典 集英社 2016

2016年10月27日木曜日

回り稽古

回り稽古の募集要項が出てることを教えてもらい、身体教育研究所のお知らせページを開いてみた。今回の全体テーマは、「動法における身体感覚の活用」。十日ほど前に、このテーマで関西版の回り稽古をはじめたいという連絡が事務局があったばかり。この全体テーマに、担当者がそれぞれ自分のサブテーマを返し、それがリストになって戻ってきたわけだが、その一覧を観て感動してしまった。担当者同士の横の連絡は当然だがない。なのに、こんなリストが出来上がっている。オレたち文学するのか? 戸村氏のサブテーマを読んだときには、もう身悶えしてしまった。


関西より一足早く、同じ全体テーマではじまる関東版回り稽古を見てみた。皆さん真面目だ。松井さんは何も考えずに返事してる風なのが実に彼らしい。それにしても、この地域差はどこから来るんだ。

2016年10月25日火曜日

一周年

日記を読み返していたら、一年前の10月25日が稽古場開きとある。この場所で稽古をはじめて一年が経ってしまったのだ。順風満帆とまではいわないけれど、予想通り〜何を根拠に予想してるのか自分でもわからないけれど〜のペースで来てる。30人の人が、それぞれ月一回の割で来てくれるような、そんな稽古場になればよいと思っていたのだが、一年でその半分くらいにまでにはたどり着いている。

この一年、いろんな人にお世話になった。まず、最初に名前を挙げるとすれば池田先生。もう、相棒ですね。一緒に飯食った回数は文句なく一番多いし、車でしか運べないものの買物等々よく付き合ってもらった。最近、料理をはじめたとのことで、この変身ぶりは一年前には想像もできなかった。次に挙げるとすれば、木田さん。彼の小さなレストランが近所にあってくれたおかげで、どれだけ僕の食生活が豊かになったか。どこで買物すればよいか等についてもご教示いただいた。熱心に稽古にも参加してくださっている。三番目はユズルさん。不思議なひとたちが、ユズルさん経由でこの稽古場にやってきた。京都に引っ越すきっかけにもなった「片桐ユズルに聞く」という月例の会には極力参加するようにしている。もちろん、稽古に来てくださっている人たちがいて、この稽古場は成り立ってるわけで、その方たちにも感謝。

回り稽古があって、せうそこもやって、連座基礎もあって…。こうして振り返ると、随分、充実してる。二年目はどうなっちゃうんだろう。ついでに、稽古関連のアナウンスをしてしまうと、今月31日に安森さんの筆動法(残1名)、来月30日にはせうそこの2回目で、鎌倉稽古場の大松さん登場。そして、12月から関西版回り稽古第2弾がはじまり、ここ等持院稽古場は1月に順番が回ってくるとのこと。なんだか、もう来年の足音が聞こえてきてる。

2016年10月22日土曜日

腰痛

腰痛になったことは一度や二度ではない
しかし、今回の腰痛といったら…
そうとうに痛い

夏の終わり頃から、
骨盤が後傾して歩いてる自覚はあった
つまり老衰の兆し
ちょっとまずい

そして、この腰痛
タイムリーとしかいいようがない
このまま老いさらばえていくのか、もうひと踏ん張りするのか
人生のわかれ道
というのは、ちと大袈裟か

静止しているときは問題なし
動いているときも問題なし
止まった状態から動き始めるときが大問題
ちょっと間違うと、ぎゃ〜、と悲鳴をあげることになる

動法で動けばよい
これが稽古者の鉄則
実際、動法の身につき具合が日々試されている
動法の甘さが日々露呈しているというべきか
もとより、自分の体を素材にして技を磨いていくのが整体指導者
悲鳴は上げても弱音は吐かない
いや、その悲鳴も封じ込める

そういう時に限ってひとはやってくる
しかも、これから稽古をはじめよう、などという人がやってくる
みっともないところを見せるわけにはいかない
日々試練