2017年1月18日水曜日

2017年1月8日日曜日

公私混同

稽古場をつくるときは、公私の別をつけるのが原則。自宅と離れた独立した稽古場が理想で、自宅に稽古場を設けるときは、一階と二階で機能を分けるといった工夫をして、住の部分と稽古の空間に分別をつけるのが望ましい。

ただ、この等持院稽古場は平屋なので、空間で分けることはむずかしい。職住近接どころか職住一体、公私混同の極みである。唯一、「私」の空間は書斎ということになるが、トイレに向かえば、書斎の前を通るし、その散らかり具合も目にすることになる。ドアを閉めておくことで「私」を保つやり方は採らない。そもそも、男子の更衣室となることもある。やり方とすれば、私自身が稽古場化する、あるいは備品化するしかない。透明人間化するといってもよい。

それにしても、ブログタイトル通りの稽古場になるとは、ブログをはじめた2004年には予想もしなかった。当時は、仕事がどんどん私生活を蚕食していくような公私混同だったが、ここでは公私の別さえも消えている。

2017年1月3日火曜日

今年の稽古

あけましておめでとうございます。
1月~3月分の日程表出しました()。
特に変わった点はありませんが、「カタと同調」を分割し、「合掌行気以前」「活元運動以前」の枠を設け、連座とともに「5」に日に入れることにしました。百通りの合掌行気があり、百通りの準備運動があるといったことを追求する稽古になります。稽古場も30年続いていると、稽古場で入会した人には活元運動を知らない世代が多くなってしまい、「活元運動以前」の稽古は成り立つのか?という疑問はありますが、動法的、内観的に活元運動の準備運動を捉え直していくという作業はあってもよいと思います。稽古の途中で脱線していくことは必至の稽古ともいえますが、多方向から攻めていくのが稽古のスタイルですから、けっこう面白い展開になるかもしれません。「合掌行気以前」は「愉気以前」でもあるわけで、人に触れられるためのカタがどのように「生成」されていくかを稽古できればよいなと思っています。

新年点描

 橋本治の「義太夫を聴こう」とブレイディみかこの「ヨーロッパ・コーリング」を交互に読んでいるうちに大晦日が暮れていった。遠くからゴーンという鐘の音が聴こえてくる。いや遠くない。炬燵から出る気にはならず、今年はこのまま年越しかな~、などと思っていたが、体は勝手に動きだし、稽古袴の上にオーバーパンツをはき、羽織の上に着物用のコートを着て、頭にはウールの帽子、手袋もはめ、足元はブーツという完璧ないでたちで等持院を目指していた。87番と書かれた紙切れをもらい行列に加わる。空を見上げると星が綺麗。オリオン座がよく見える。鐘をつかせていただき、そのまま六請神社に流れ、お神酒をいただいて家に戻れば、もう1時近い。読書に戻る。

 布団に入ったのが3時なのに9時前には目が覚めてしまう。しきりに裕之先生に尻を叩かれてる夢をみた。はいっ。布団から抜け出し、いつものように、火起こしに炭を入れ、ガス台に載せて炭をおこし火鉢に移す。長着に着替え帯を締める。前の日の夜から鍋に入れておいた昆布を取り出し、スルメは入れたままで沸騰させる。鶏肉も入れ、さらに調味料を加える。これで雑煮用の出汁の完成。生協で買っておいたひとり用のおせちを漆の皿に移し、それに自作の黒豆を添え、それらしく見せる。買っておいた小ぶりの丸もちを茹でる。せめてお屠蘇くらいいただこうと、引越し前に赤尾さんにもらった黄色の可愛いお猪口を取り出してくる。随分手抜きだけれど、とりあえず正月気分。あけましておめでとうございます。

 郵便受けをみると年賀状が届いている。いやー、ご無沙汰してる方たちに返事出さなきゃ、と書きはじめたのがこの文章。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2016年12月31日土曜日

黒豆を煮る

正月に黒豆くらいは食べたい
さいわい、袋三分の一ほど黒豆が残っている
とにかく弱火でことことと煮ていく
錆釘などを入れるとよい
この程度の知識はある

一晩水につけておいた黒豆を鍋に移し、調味料を入れて火にかける
鍋の代わりに、普段は火鉢に載せて白湯を沸かしている鉄瓶を使うのはどうだ?
暴挙といわれそうだが、理にかなっている
焦げつかせることさえしなけば、きっと美味しく煮上がるはずだ
錆釘も不要

去年、石川からもらってきた錆びた鉄瓶
一年使っているうちに錆は抜けてきたが、それでもまだ少し茶色の白湯になってしまう
それはそれで美味しい

目論見通り、おいしい黒豆ができあがった
しばらくは、黒豆風味の白湯を愉しむことになる

12月の読書

ヨーロッパ・コーリング* ブレディみかこ 岩波書店 2016
義太夫を聴こう* 橋本治 河出書房新社 2015
イギリス人アナリスト日本の国宝を守る* デービッド・アトキンソン 講談社α新書 2014
バラカ* 桐野夏生 集英社 2016
聖地巡礼 Beginning* 内田樹・釈撤宗 東京書籍 2013
寄生獣*1-6  岩明均 講談社文庫 2014
文楽の男* 初世吉田玉男・山川静夫 淡交社 2016
あらすじで読む文楽50選* 高木秀樹・青木信二 2015
欧州・トルコ思索紀行* 内藤正典 人文書院 2016
日本人はなにを捨ててきたのか* 鶴見俊輔・関川夏央 ちくま学芸文庫 2015
多次元に生きる* オルダス・ハクスリー コスモス・ライブラリー 2010
人間、やっぱり情でんなぁ* 竹本住大夫 文藝春秋 2014

2016年12月30日金曜日

大阪

大阪に出かけるのはお寺がらみのことが多い
京都に住み始めて、年に何度かお参りに来るようになった
行かなくてもいっこうに構わないのだが、不思議に足を運びたくなる
そもそも、仏壇に毎日お線香をあげてる自分が信じられない

去年も年末の30日、お墓参りにやってきた
そのあとで、南に下って、はじめて四天王寺にお参りした
お寺からの距離は、上町台地をたどって、たかだか1キロ半くらい
今年も同じルートなのだが、途中、生國魂神社に寄ってみることにした

谷町筋を南に下り、この辺りかなと目星をつけていた角を坂を下って行くと、
いきなりラブホテル街に入り込んでしまった
その先に生國魂神社があるのだが、途中、幼稚園があったりもする
どんなエリアにも生活はある

生國魂神社は初めてなのだが、いやすごいところ
上方落語発祥の地で、井原西鶴があの有名な俳句興行をやった地でもあるそうだ
















































そこから四天王寺に寄って、教えてもらっていた釣鐘まんじゅうを買い、
そのまま天王寺を目指すことにした
歩きながら、僕の趣味は「街歩き」だなと合点する
そう、どこに行っても、その街の空気を味わうために、ひたすら歩く

























(六万体? 一瞬ギョッとしたが、古い由来があるようだ)

天王寺が近づくにつれ、カオス度が増す
京都に比べると、大阪はカオスな感じがするが、このエリアはさらにカオス
新しいビルは見えるのだが、そこにたどり着くまで、昔ながらのお店が軒を連ねている
東京の雑踏とはなにが違うのだろう
あえていえば、よりアジア的


(← 一瞬ゴジラが現れたかと思った ↑ なかなか複雑な心境かも)

今日の散歩はここまで
御堂筋線で梅田に戻り、阪急電車で帰ってきた
もっとも、あたたかさに爆睡して、あやうく大阪に逆戻りするところだったのだが