2017年7月11日火曜日

台風一過

娘が一歳になる孫を連れてやってきた
どうやら娘にとっては、ここが実家になるらしい
まあ、それはそうだな
ただ、ここは稽古場であり、ぼくの隠居所でもある

都合一週間滞在していったのだが、結論からすると、稽古場と実家は両立しない
今回は、月初めで比較的暇な時期だったのでよかったが、忙しい時期だと無理である
ぼくの仕事が休みの期間ーたとえば年末年始ーに来てもらうか、
でなければ、仕事を休みにしちゃうかの二択だな

孫は来てよし、いんでよし
という格言を教えてくれたのは大阪の友人だが、たしかにその通りで、
みんなが引き揚げてから、思わず、妻に手紙を書いた
おれたち、よくやってたよな〜、と

わたしのことば

ユズルさんの通訳は上手である
「なんで上手なの?」と生徒に訊かれると、
「わたしのことば」で喋ってるからと答えている

では「わたし」とはだれのことなのか?
普段のユズルさんがいて、それをユズルとする
通訳される講師Aという人がいて、Aの話をユズルさんが通訳する場面を想定してみる
そのときのユズルさんをユズルAとする
同じように講師Bの通訳をするときのユズルさんをユズルBとする
では、ユズル=ユズルA=ユズルBなのか?

同じなわけないですね
同じ文章が通訳のことばとしてユズルさんの口から出てきたとしても、
それが同じ意味をもつかというと、ちがっていて当然

どのようなユズルA、ユズルBが立ち現れてくるか?
そこに同調の技法というものが存在する
ベースに強靭な語学力が備わっていることが大前提だが

7/10 片桐ユズルにきく

2017年7月5日水曜日

追悼 室野井洋子

7月3日、室野井洋子さん逝去。
室野井さんで最初に思い出すのは、1995年、稽古場総出でソウルで開催された「韓日ダンスフェスティバル」に出かけたことだ。当時の日誌を引っ張り出してきて下に再掲する。固有名詞いっぱい出てくるけれど、そのまま載せてしまいます。

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韓国公演日誌  -  韓日ダンスフェスティバル 1995

【10月23日】
5時 起床。6時20分 榎田君が迎えに来てくれる。シビックの背には稽古場の戸板がくくりつけられている。渋滞には全くひっかからず成田着8時。市内で時間をつぶし、9時成田空港到着。10時半 ユナイテッド航空の窓口で手続き開始。予想通り、戸板・毛氈の大物、重い粘土の手続きに手間取る。11時半、超過料金なしで手続き完了。12時50分 ユナイティッド航空で成田発。15時15分 ソウル金浦空港着。17時 受け入れ側の用意してくれた車で、宿泊先のコグン(古宮)ホテルへ。18時 ホテル近くの、韓式食堂で日本側公演者・スタッフ、韓国側スタッフで夕食会。20時20分 地下鉄誠信女大入口で十年来の友人である李哲旭氏と落ち合う。在仏20年の老シェフ(元韓国空軍パイロット)の経営する小さなフランス料理店で会食。ホテル帰着22時半。

【10月24日】
10時半 ホテル発。地下鉄、恵化駅のそばにある会場の文芸会館へ。ホテルから徒歩で15分。打ち合わせ開始。13時30分 初日は、打ち合わせと場当たりだけの予定が、突然、通しのリハーサルに変更される。全員、消耗感に打ちひしがれる。レンガづくりの空間がすべてを冲にしてしまう。15時 李兄妹と合流。学生街の小さな料理店で昼食。16時 森・室野井は会場に戻り稽古、新井・榎田・角南はいったんホテルに戻った後、松井君を迎えにプラザホテルへ向かうことにする。18時 松井くんと合流。南大門市場へ。20時 恵化へ戻り夕食。李兄妹と合流するが、消耗感がひどく、翌日、公演会場で再度会うことにし、ホテルに戻る

【10月25日】公演当日
10時 松井君と2人で朝食。10時半 文芸会館前で李文昌先生と会う。氏の事務所に行く。11時 文芸会館で準備、リハーサル。前日とは打って変わり、メリハリが出た。これなら本番も大丈夫。16時半 午後の部公演。やや固い印象はあるが上出来。日本側の最初の公演者ということで、森・室野井は、テレビ各局の取材を受ける。19時半 夜の部公演。午後の部より、透明感あり。21時半 公演終了後、片づけ。22時 角南以外は初日出演者の打ち上げへ、角南は李哲旭氏に見つけてもらった稽古場応援団(小須田・橋・早川他)との打ち上げ会場へ。23時半 出演者組到着。24時 ホテルへ戻り、打ち上げ2次会 就寝4時。

【10月26日】
12時 文芸会館から荷物の搬出。李哲旭氏が頼んでくれていたはずのトラックが到着せず、流しのトラックに頼み込み、荷物を空港まで運ぶ。手続きは問題なし。17時 ホテル着。19時半 文芸会館で夜の部の公演をみる。

【10月27日】
9時 ホテル発。東大門市場へ。12時 語学研究院に河正子女史を訪ねる。歳とってないことに驚く。肩の力が以前より抜けて暖かみが出てきている。おそるべし、孫の力。14時 景福宮で李哲旭氏が森陽子さんの写真を撮る。ミンピ暗殺をテーマにしたゲリラ公演を覗く。15時半 松井・森・角南は明洞へ。ロッテ百貨店免税店。ロッテホテルのスカイカフェテリアで一服。19時 文芸会館に戻り、最終日の公演を観、シンポジウム参加。土方巽夫人である元藤氏の講演。22時 公演終了。新村で打ち上げ。午前2時にお開き ホテル着3時。就寝4時。

【10月28日】
9時 起床。午前便で帰る森さんを見送る。11時 室野井・松井・角南の3人で明洞へ。全州ピビンパの店で昼食。庶民的な店だが、学生食堂的なところでばかり食べていたから嬉しい。ユッケ、パチョン(お好み焼き)、焼肉、石鍋ピビンパ。14時 リムジンバスで空港へ。17時 金浦空港発。成田着、 19時半。榎田君が出迎えてくれる。高速が渋滞してるとのことなので夕食をとったのち帰途につく。あざみ野着 24時ちょうど。

(初出 あざみ野通信1995.11)

2017年7月4日火曜日

小鬼襲来

この場所が一週間後、稽古場として存続しているかどうか、いささか自信がない

2017年7月1日土曜日

一息脱力

公開講話のあとの初心者コースで一息脱力をやった
一息脱力が稽古として現れたのは稽古場がはじまってかなり初期の頃で、
坐法・臥法なみに古い稽古法である
ひさしぶりに2番の脱力動法をやったら足がつった

からだを目一杯使うかんじ、流れに乗っていく感覚を学ぶには最適の稽古法
「自分」というのは、つまりのところ「習慣の集合体」にすぎないのだけれど、
それが、習慣であるということを自覚するのって当然のことだけれど、むずかしい

一息脱力は脱力法なのだけれど、その前段階として、腰椎1〜5に対応する型を定め、
そこから脱力に移行する
カタの決めかた、決まり度合いの確認、脱力に転じる初動の定め方...
チェックポイントはいくつもあるが、それぞれが、随分進化してきて、
30年分の厚みが出てきた
今月のテーマ稽古は一息脱力やるしかないですね

「その他」の多様性

テーマ稽古をはじめたらで、「稽古場は所詮ダン先生+その他しかいない」と書いてしまった。間違ってはいないが、「その他」で括ってしまってはあまりに雑すぎるのではないかと反省。今回は「その他」の多様性に書いてみようとおもう。

一度、回り稽古に出てみればわかるが(残念ながら私は参加したことがないーきっと修様養講座も同様)、指導者10人いれば、整体の理解のしかたが、文字通り十人十様であることに驚くことだろう。だれも間違っていないことはわかるが、正解がどこにあるかもわからなくなる。間違っているのは、そこに正解があるにちがいないという最初の設問の方で、つまり正解はない。正解は自分でみつけるしかない、そういう世界。ここに至るまでだいたい十年くらいかかる。

ダン先生以外の指導者は、互いに相補的な存在であるともいえる。得手不得手もあるし、興味の持ち方もそれぞれ違う。ぼくなど、下手五人衆のリストに載るくらい下手である。なのに、指導者を名乗っている。下手は自慢すべき事柄でないことは自覚しているし、だからこそ稽古しているわけで、その稽古に付き合ってもらうとで学べることはきっとある。

稽古場がはじまったとき、ダン先生の「僕は僕の稽古をします、あなたたちは僕の稽古に付き合う人です」という表現には驚かされたが、実際、自分が人前に立つことになると、稽古のあり様は、これ以外にないことがわかる。人の稽古に付き合って、それを自分の稽古とするところが、稽古場の眼目なのです。

2017年6月29日木曜日

6月の読書

目の見えない人は世界をどう見ているのか* 伊藤亜紗 光文社新書 2015
旅にとり憑かれたイギリス人* 窪田憲子・木下卓・久守和子編著 ミネルヴァ書房 2016
神楽と出会う本* 三上敏視 アルテスパブリッシング 2009
はじめての短歌 穂村弘 河出書房 2016
ニッポンのマツリズム* 大石始 アルテスパブリッシング 2016
暇と退屈の倫理学* 國分功一郎 太田出版2015