2014年8月30日土曜日

8月の読書

猛暑から一転、秋の天候となる
怒涛のようだった8月もようやくおしまい
しかし、昨年暮れくらいに始まった時代の歯車が大きく動いてる感じは、
暑さが鎮まったくらいでは止まりそうもない
一体、この流れは、どこに向かっているのだろう?

ヘタウマ文化論* 山藤章二 岩波新書 2013
電気は自給があたりまえ*  田中優/編著 合同出版 2013
資本主義という謎* 水野和夫・大澤真幸 NHK出版新書 2013
1Q84 book 1,2,3 村上春樹 新潮社 2009
建築家と小説家* 若山滋 彰国社 2013
一神教と国家 内田樹・中田考 集英社新書 2014
流星ひとつ* 沢木耕太郎 新潮社 2013
限界集落の真実* 山下祐介 ちくま新書 2012
地宝論* 田中優 こどもの未来社 2011

2014年8月27日水曜日

1974年4月 To Mexico

3月および4月前半のSanta Feパートは後回しにして、メキシコパートに入ることにします。サンタフェにはチカーノと呼ばれているメキシコ系の住民も多く住んでいる。歴史的にみれば、もともとメキシコだった土地なわけで、スペイン語を耳にする機会は多い。ここまで来たからには国境を越えてメキシコにも足を伸ばしたい。メキシコシティの南にあるCuernavacaという街にはFWCのセンターもある(はずだった)。というわけで、イースターで学校も休みに入るので、国境を目指すことにした。

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4月14日(日) サンタフェ発1030。BarbaraがワシントンD.C.に帰るLaurieをアルバカーキ空港まで送って行くというので、車に便乗させてもらう。アルバカーキからEl Pasoまでヒッチハイク。エルパソから国境(Rio Bravo)を徒歩で越えCiudad Juarezに入る。思った以上に英語が通じない、というか、いきなりスペイン語世界。2230発のバスでChuihuahuaを目指す。チワワ着午前3時。
4月15日(月) チワワ発0820の列車で鉄路(チワワ太平洋鉄道)太平洋を目指す。途中、カッパーキャニオン(銅渓谷)を通る。グランドキャニオンよりもでかいらしい。La Junta – Creel – (copper canyon) -Sufragio着2030。
(そうそう、このカッパーキャニオンのあたりが「走る種族」と呼ばれるタラウマラ族が住むエリアなのだ ⇒ Born to Run 。そもそもメキシコを目指した理由のひとつにカスタネダの影響がある。1973年の大学生の間ではカスタネダの本は必読の書であった。)

















4月16日(火) Sufragio発0300 –  Mazatlan 着0835
4月17日(水) Mazatlan, mexico 昨晩食べたエビがあたり食中毒。
4月18日(木) MazatlanからバスでCiudad Mexio(メキシコシティ)へ
4月19日(金)  メキシコシティ到着後、すぐにCuernavaca行きのバス停からクエルナバカへ
4月20日(土) Cuernavaca 終日、FWCラテンアメリカセンターを探すが見つけられず
4月21日(日) Cuernavaca ラテンアメリカンセンター探しは徒労に終わる。
 なんとグアテマラに移転していたのだ!
 (なんで自分は旅してるんだろう? というメモ書きがある。アホである。それはともかく、クエルナバカで覚えているのは鮮やかな緑。みずも滴るような樹木)
4月22日(月) Cuernavacaからメキシコシティに戻る
4月23日(火) メキシコシティ徘徊

















4月24日(水) メキシコシティからテオティワカン日帰り
















そして国立人類学博物館















4月25日(木) メキシコシティから汽車でエルパソに向かう
4月26日(金)
4月27日(土)エルパソに早朝到着。再びヒッチハイクを始め、夕刻SFCS到着
(旅は無意味だ!というメモ書きがある。やっぱりアホである。だって、このあともずっと同じこと繰り返すのだから...)



2014年8月25日月曜日

ピアノ搬出

ピアノが、わが家に来たのは15年前
娘も最初の5年くらいは熱心に弾いていたが
高校に入ってからあとは、
ピアノに向かう頻度はぐっと減り
忘れた頃に、ポロンポロンと鳴らすくらい

このまま退蔵させておくのは申し訳ない、と
もともとの持ち主に訊ねてみたら
係累に使ってくれそうな方がいらっしゃるという
渡りに船と、譲っていただいたピアノをお返しすることになった
今日、運送屋さんが来て、手際よく運び出していったのだが、
随分とあっけない
なんだか古巣に帰れるのをよろこんでるみたいだったな、あのピアノ

そういえば、このピアノについて書いたことがあるなと、
ファイルの奥をゴソゴソ探してみたらありました

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■ピアノの発表会で娘と「連弾」したことは、以前書いた。今年の春のことである。その時、つくづく思ったのは、ピアノと電子ピアノはまったく別物であること。あったりまえじゃないかと言われれば自分の無知を恥じるしかないが、弾いてみてはじめて実感した。よく、4年もの間、別物で我慢してくれていたものだ。そんなわけで、どうしてもピアノを買ってやらねばならぬ状態に陥った。しかし、ピアノは高価であるし、それ以上に狭い家に住む身分にあって、はっきりいって置き場所がない。つまり、板挟み状態。■そんなとき、人を介して、今は使われていないピアノを借り受ける話が舞い込んできた。Bealeという、ほとんど知られていないメーカー製の小型ピアノ。イギリス製ということだったが、どうやらオーストラリア製。1902年、初代オーストラリア首相のバートン卿によって創立され、第二次大戦中に会社自体がなくなったというところまでは、インターネットで調べることができた。もっともイギリスにも同じ名前の会社があった可能性がないわけではない。いずれにしても、作られてから半世紀以上たったピアノであることは間違いない。今の持ち主自身、30年は使っていたはずだ。■夏休みの終わり、娘と二人でどんなピアノか観にゆかせてもらったのだが、とにかく可愛いし音もいい。(ずいぶん広い部屋に置かれていたから、実物がわが家にくるとどう感じるか心配ではある)。少なくとも、標準とされる大きさのピアノよりは威圧感がなく、かろうじてわが家に納まりそうだ。新品のピアノにくらべれば、調律・整備はより頻繁に必要になりそうだが、使用料と思えば納得できる。ピアノの到着をこころまちにしている。【気刊あざみ野通信1999年9月】

2014年8月18日月曜日

ある日曜日

親に連れられて稽古場にやってきた高1女子
「高校生になったらもっと大人の感じになれると思ったのに」と宣う
そうか、高1女子はこんな風に自らの歳を感じ取るのかとなぜか嬉しくなる
「そうだよね、先生だって60になったらもう少し大人の感じになれると思っていたのに…」
とその子に聞こえないように相槌を打つ

父の住む高齢者施設の週二回だけ開く喫茶室
80歳、85歳、88歳の男たちがテーブルを囲んで珈琲を飲んでいる
その輪に加わり、しばし談笑
「12歳のとき疎開先で竹槍訓練をさせられて…」
それぞれが戦争体験者であり、高度成長JAPANの中で生きてきた人たち
それにしてもこの違和感のなさはなんなのだ?
と自分の立ち位置をふりかえる

ひょっとして、いやきっと、ヒトは成長も成熟もせず、
ただただその時代の空気を吸い吐きしながら生きているだけなのだ

2014年8月15日金曜日

1974年2月 Santa Fe

自分が使っていたノートとはいえ、解読に苦労している。ただ、言えるのは、人間は進歩しない、ということ。この間何やってたんだろう。体験は積んできたことは確かなのだけれど、40年前とそのまんま同じ自分が、いまここにいる。今回も時系列で出来事を並べていきます。空白部分は、後追いで埋めていく予定です。SFCSで撮った子どもたちの写真も並べてみます(日付と写真は対応していません)。この子たちも、もう40〜50代のおっさん、おばさんになってるんですね〜。写真を観ると名前が蘇ってくるのが不思議です。

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1月末に引いた風邪が長引き、なかなか仕事に戻れない
せっかく新しい試みをはじめようとしたのに、
それができないもどかしい日が続いている

2月1日(金) santa fe, u.s.a.
2月2日(土) santa fe, u.s.a.
2月3日(日) santa fe, u.s.a.
2月4日(月) santa fe, u.s.a.
2月5日(火) santa fe, u.s.a. the strawberry statement (いちご白書)を読みはじめる
2月6日(水) santa fe, u.s.a.
2月7日(木) santa fe, u.s.a. community meeting

























2月8日(金) santa fe, u.s.a.
2月9日(土) santa fe, u.s.a.
2月10日(日) santa fe, u.s.a.
2月11日(月) santa fe, u.s.a. 
2月12日(火) santa fe, u.s.a. 
2月13日(水) santa fe, u.s.a. 
2月14日(木) santa fe, u.s.a. 






2月15日(金) santa fe, u.s.a. 
2月16日(土) santa fe, u.s.a.  スチームバス 
2月17日(日) santa fe, u.s.a. 
2月18日(月) santa fe, u.s.a. 
2月19日(火) santa fe, u.s.a. 料理当番に組み入れられる チキンライスをつくる
2月20日(水) santa fe, u.s.a. 
2月21日(木) santa fe, u.s.a. 







2月22日(金) santa fe, u.s.a. アルバカーキにstate fairを見に行く 熱気球が大空に浮かぶ
2月23日(土) santa fe, u.s.a.
・Davidに連れられてblack canyonでクロスカントリースキー 初体験
・帰路立ち寄ったハレ・クリシュナ系の人たちがやっている自然食レストランに入ったら、そこで昨秋NYで一緒だったBill C がウエイターとして働いていた。 
2月24日(日) santa fe, u.s.a. 
2月25日(月) santa fe, u.s.a.  central cleaning house 
2月26日(火) santa fe u.s.a. 
2月27日(水) santa fe, u.s.a.  学生ボランティアはどんどん帰っていく 
2月28日(木) santa fe, u.s.a. Charlie Bentleyにインタビュー 







2014年8月10日日曜日

お疲れさまでした

秋田行の計画が流れてしまったので、
急遽、稽古を入れることにした
やるとすれば「活元運動以前」
あらましを決め大井町稽古場に貼り出した
それが先週日曜日、筆動法の稽古の前のことである
稽古を終え、参加者と駅前でお茶し、電車に乗ったところで携帯電話が鳴った
あれあれと思いながら、折り返しの電話を入れたのは電車を降りてから
ロイ先生の訃報だった

京都に住んでいる頃は阪神愉気法に通ったものだ
本部道場に通い始めたのは、年間初等講座が先だったか、
それとも活元運動研修会だったか
80年代のはじめ、整体の勉強を本格的に始めた頃のことで、
あれからもう30年経ってしまったのだ
「これが鎮心だよ」と掌を触れられ、
拇指が甲側に突き抜けてしまったような感覚に吃驚したのが
ロイ先生に触れられた最初の記憶かもしれない
このような吃驚した経験というのが、存外、勉強を続ける動力になったりする

活元運動をやり込んだ、と自信を持って言えるのは、
活元運動研修会にある期間ずっと出ていたからだし、
その後の、「脱活元運動」の期間を経たあとで、
「活元運動以前」なんて稽古をはじめてしまったのも、同様の理由からだ

一つしか違わないのに、
「おい、そこのボク」と呼ばれたときには、
「なに、この人?」と思ったものだが、
まったく30過ぎたばかりだったのに、えらく、ジジイだった
それともジジイぶってたのか
このように書き始めてしまうと、ぞろぞろといろんなことが甦ってくる
いまとなっては、お疲れさまでした、という言葉しか出てこない

さて、活元運動以前
当日は、台風の影響による豪雨で中止も考えた
意を決して、雨の隙間を縫うようにして大井町にたどり着いたがすでに、ずぶ濡れ
来るか来まいか迷っている人たちには、無理しないでと伝え、
さて誰か現れるかしらと待機
はたして若者二人プラスおじさん一名がやってきた
この稽古、ロイ先生にも結構面白がってもらえるんじゃないか
と思うのだが、どうだっただろう

2014年8月5日火曜日

茶碗が届いた!

片桐庸子さんから茶碗が届いた!
持ち運びできる小振りのものをとお願いしていたいたのだが、
ちょうどぴったりサイズ
色合いも赤の上に緑がかかった微妙なもの
80歳になっても陶芸家は進化を続けるらしい

これまで愛用していた庸子さん作の赤茶碗
去年、一緒に、ドイツ、フランス、ブラジルと渡り歩き、
最後はお世話になったおウチに預けて帰ってきた
いまでも、ブラジルで大事に使われているはず

長年使ってきたものだったので、
手ぶらで帰ってきたら、ちょっと寂しい
思わず庸子さんに電話して新作をお願いした
それが今年のはじめ
2代目として大切に使わせていただきます