2014年9月30日火曜日

9月の読書

人間の叡智* 佐藤優 文春新書 2012
風の陣 烈心篇* 高橋克彦 PHP研究所 2010
世迷いごと* マツコ・デラックス 双葉社 2010
大貧帳 内田百閒 六興出版 1981
日本<汽水>紀行* 畠山重篤 文藝春秋 2003
黒川温泉のドンー後藤哲也の再生の法則* 後藤哲也 朝日新聞社 2005
牡蠣礼賛* 畠山重篤 文春新書 2006

2014年9月26日金曜日

出立記 2014.8~9

1

死ぬのも人間の自然
と口では言いながら
いざ、妻の命の
残り少ないことが予感されると
その命をこの世に繋ぎ留めておきたい
と願っている私がいた

医者を恃み
優しい言葉をかけながら
覚悟させる役目から逃れようとしている

いや、覚悟できてないのは
この私、なのだ

---


在宅医療を頼んだら、
いきなり看護師やらケアマネさんがやってきて、
ほどなくして大きな介護ベッドも運び込まれた
在宅医療とは病室を家庭内に出現させることであった
生活空間は医療現場に変貌し、家族は医療補助者として教育される
家庭の風景が毀損されていく

---


ここ一年の娘の成長ぶりは目を見張るほどで、
昨年末の叔母の死、8月のロイ先生急逝を受けて、
ぐいぐい大人になってきた
正論を振りかざす娘のまえで、父親はタジタジである
こいつと一緒になる男はきっと大変だ、
つい想いはそっちに向かう

---


世の中、子供と大人の二種類しかいない
困ったことに、
その違いは幼少期に決定づけられる、
としか思えない
その時期に集注要求を満たされなかった人間は、
最後の局面においても、
その満たされなかったものを周囲に要求しつづける

---


点滴を止めることにした
すると顔の肉から落ち始める
でも、これでようやく自然の経路に戻ってきた
という感覚が得られる
これまで動きのなかった腹に息が入りはじめる
点滴とは、アンチエイジングの手法に過ぎないのだ

ある日、帰宅したら、使われなくなった点滴セットが
押入れにしまい込まれている
娘なりの決意表明
こいつ、俺より肚が据わっている

普段の生活空間が戻った

---


食べて寝て夢を見て起きて排泄してまた眠る
赤ちゃんと同じようなリズムで一日一日が過ぎてゆく

食欲が最後の砦となり、
次々に要求が持ちだされる
冷凍庫はアイスで埋まり、
冷蔵庫は味見し終わったゼリーや果物で埋まる
妻が望む「ぴったり」はどこにあるのか
離乳食で試行錯誤した頃が思い出される

実際、看取りは育児に似ている
話しかけは必須
赤子が夢を見ながら育っていくように、
往く者たちもまた、夢の中でなにかを育てようとしているのだ
そして、子供によって親が育っていくように、
送る側にいる者の中に何かが育てられていく



トイレまでの距離が遠くなる
9月はじめには、一人で歩いていけていたものが、
9月二週目には、人の肩を借りるようになり、
三週目に入ると、トイレまでの歩数がその前の週の二倍になり、
便座に座った姿勢を保つこともむずかしくなってきた
でも頑張っている

---


腕に汗をかき、しきりに痰を出す
死ぬには体力が要る
という言葉を残して逝ったのは四国のNさんだったが、
整ってはじめてヒトは死ぬことができる
そんなことにも気づかず僕は右往左往していたのだ

---


固形物が食べられなくなり
液体も喉を落ちていくものと落ちていかないものに分かれてきて
やがて水だけになる
でも、腹水で膨れていた腹は、
いつの間にかふくよかな腹に戻りはじめる
言葉は不明瞭になってくるが、
それを補うように手の動きで意思を伝えようとする
こんなに手の表情豊かだったっけ

介護ベッドの背と脚の角度を変え楽な体勢を見つけていく
一つ動いて三つ動いて最後に二つ動く
といったように動きを分けないと適度な速度が得られない
その加減も手の動きで指示される

---

10

呼吸が浅く速くなり、脈も弱く速くなる
でも一息四脈
しきりに暑さを訴え、風を送ってくれという
こんなに細くなってしまっているのに、
今更何を燃やそうというのだ
仰いでやると、うっとりした表情で
「気持ちいい」と言う

夢をみている
だれかと会話している
信号を送っているかのように十本の指が細かく動く
訊いても教えてくれない

感情が不安定になる
あっちに行ってしまった目で
「点滴をつないでください」
と、懇願された時には動揺した
「おかあさん、 大丈夫だよ」
この場面でもブレなかったのは娘の方だった

---

11

ベッドの角度調整だけでは追いつかず、
自分で動かすのがつらくなった胴体の角度や膝の曲がり加減を
こうしろああしろと指示される
徹頭徹尾、鳩尾を抜こうとしている
虚の通り道を作ろうとするかのように
親子三人がかりで行気している状態

やがて静かなまとまり感が生まれる
僕の右掌が妻の鎖骨と胸骨のつながり目に触れると、
いきなり巨大な欠伸が襲ってきた
体の奥の奥の底からから生まれてくる欠伸が出口を求めて動きはじめる
僕の顔は欠伸と涙でぐじゃぐじゃになる
あちこちからの小川の流れが寄せ集まって大きな河になるように、
体の隅々から吐きの息が集まってくる
やがて巨大な欠伸が僕の喉を通り抜けると、
ああ終わったという感覚が訪れてきた
「言いたいこと一杯溜まってたんだ、ごめんね」
と声をかけて手を離すと、
妻の呼吸は静かで、目は遠くを見ていた

---

12

これで今晩は平和だろう
と、ホッとして台所で一服していると
「おとうさん」と娘が呼ぶ
えー、と思ってベッドに行くと
妻はもう旅立っていた
もう少し一緒にいられると思っていたのに

---

13

はい、私はただの青二才でした
生死を人に説くなんて百年早い若造でした

人はこのように生き切るのだ、
という見本を妻に観せられてしまった私は
これから先をどう生きていけばよいのだろう?
「もっと自分の脚元を観なさい」
と言い残して妻は逝ってしまった、そんな気がする

大仕事ひとつ三人でやりとげた
そんな充足感が残った

月満ちて産まれる如く旅立てり (和)

(妻初七日の日に記す)

2014年9月7日日曜日

待宵

今日の大井町筆動法のテーマは月

  
待宵や女主に女客 (蕪村)

2014年8月30日土曜日

8月の読書

猛暑から一転、秋の天候となる
怒涛のようだった8月もようやくおしまい
しかし、昨年暮れくらいに始まった時代の歯車が大きく動いてる感じは、
暑さが鎮まったくらいでは止まりそうもない
一体、この流れは、どこに向かっているのだろう?

ヘタウマ文化論* 山藤章二 岩波新書 2013
電気は自給があたりまえ*  田中優/編著 合同出版 2013
資本主義という謎* 水野和夫・大澤真幸 NHK出版新書 2013
1Q84 book 1,2,3 村上春樹 新潮社 2009
建築家と小説家* 若山滋 彰国社 2013
一神教と国家 内田樹・中田考 集英社新書 2014
流星ひとつ* 沢木耕太郎 新潮社 2013
限界集落の真実* 山下祐介 ちくま新書 2012
地宝論* 田中優 こどもの未来社 2011

2014年8月27日水曜日

1974年4月 To Mexico

3月および4月前半のSanta Feパートは後回しにして、メキシコパートに入ることにします。サンタフェにはチカーノと呼ばれているメキシコ系の住民も多く住んでいる。歴史的にみれば、もともとメキシコだった土地なわけで、スペイン語を耳にする機会は多い。ここまで来たからには国境を越えてメキシコにも足を伸ばしたい。メキシコシティの南にあるCuernavacaという街にはFWCのセンターもある(はずだった)。というわけで、イースターで学校も休みに入るので、国境を目指すことにした。

-----

4月14日(日) サンタフェ発1030。BarbaraがワシントンD.C.に帰るLaurieをアルバカーキ空港まで送って行くというので、車に便乗させてもらう。アルバカーキからEl Pasoまでヒッチハイク。エルパソから国境(Rio Bravo)を徒歩で越えCiudad Juarezに入る。思った以上に英語が通じない、というか、いきなりスペイン語世界。2230発のバスでChuihuahuaを目指す。チワワ着午前3時。
4月15日(月) チワワ発0820の列車で鉄路(チワワ太平洋鉄道)太平洋を目指す。途中、カッパーキャニオン(銅渓谷)を通る。グランドキャニオンよりもでかいらしい。La Junta – Creel – (copper canyon) -Sufragio着2030。
(そうそう、このカッパーキャニオンのあたりが「走る種族」と呼ばれるタラウマラ族が住むエリアなのだ ⇒ Born to Run 。そもそもメキシコを目指した理由のひとつにカスタネダの影響がある。1973年の大学生の間ではカスタネダの本は必読の書であった。)

















4月16日(火) Sufragio発0300 –  Mazatlan 着0835
4月17日(水) Mazatlan, mexico 昨晩食べたエビがあたり食中毒。
4月18日(木) MazatlanからバスでCiudad Mexio(メキシコシティ)へ
4月19日(金)  メキシコシティ到着後、すぐにCuernavaca行きのバス停からクエルナバカへ
4月20日(土) Cuernavaca 終日、FWCラテンアメリカセンターを探すが見つけられず
4月21日(日) Cuernavaca ラテンアメリカンセンター探しは徒労に終わる。
 なんとグアテマラに移転していたのだ!
 (なんで自分は旅してるんだろう? というメモ書きがある。アホである。それはともかく、クエルナバカで覚えているのは鮮やかな緑。みずも滴るような樹木)
4月22日(月) Cuernavacaからメキシコシティに戻る
4月23日(火) メキシコシティ徘徊

















4月24日(水) メキシコシティからテオティワカン日帰り
















そして国立人類学博物館















4月25日(木) メキシコシティから汽車でエルパソに向かう
4月26日(金)
4月27日(土)エルパソに早朝到着。再びヒッチハイクを始め、夕刻SFCS到着
(旅は無意味だ!というメモ書きがある。やっぱりアホである。だって、このあともずっと同じこと繰り返すのだから...)



2014年8月25日月曜日

ピアノ搬出

ピアノが、わが家に来たのは15年前
娘も最初の5年くらいは熱心に弾いていたが
高校に入ってからあとは、
ピアノに向かう頻度はぐっと減り
忘れた頃に、ポロンポロンと鳴らすくらい

このまま退蔵させておくのは申し訳ない、と
もともとの持ち主に訊ねてみたら
係累に使ってくれそうな方がいらっしゃるという
渡りに船と、譲っていただいたピアノをお返しすることになった
今日、運送屋さんが来て、手際よく運び出していったのだが、
随分とあっけない
なんだか古巣に帰れるのをよろこんでるみたいだったな、あのピアノ

そういえば、このピアノについて書いたことがあるなと、
ファイルの奥をゴソゴソ探してみたらありました

-----

■ピアノの発表会で娘と「連弾」したことは、以前書いた。今年の春のことである。その時、つくづく思ったのは、ピアノと電子ピアノはまったく別物であること。あったりまえじゃないかと言われれば自分の無知を恥じるしかないが、弾いてみてはじめて実感した。よく、4年もの間、別物で我慢してくれていたものだ。そんなわけで、どうしてもピアノを買ってやらねばならぬ状態に陥った。しかし、ピアノは高価であるし、それ以上に狭い家に住む身分にあって、はっきりいって置き場所がない。つまり、板挟み状態。■そんなとき、人を介して、今は使われていないピアノを借り受ける話が舞い込んできた。Bealeという、ほとんど知られていないメーカー製の小型ピアノ。イギリス製ということだったが、どうやらオーストラリア製。1902年、初代オーストラリア首相のバートン卿によって創立され、第二次大戦中に会社自体がなくなったというところまでは、インターネットで調べることができた。もっともイギリスにも同じ名前の会社があった可能性がないわけではない。いずれにしても、作られてから半世紀以上たったピアノであることは間違いない。今の持ち主自身、30年は使っていたはずだ。■夏休みの終わり、娘と二人でどんなピアノか観にゆかせてもらったのだが、とにかく可愛いし音もいい。(ずいぶん広い部屋に置かれていたから、実物がわが家にくるとどう感じるか心配ではある)。少なくとも、標準とされる大きさのピアノよりは威圧感がなく、かろうじてわが家に納まりそうだ。新品のピアノにくらべれば、調律・整備はより頻繁に必要になりそうだが、使用料と思えば納得できる。ピアノの到着をこころまちにしている。【気刊あざみ野通信1999年9月】

2014年8月18日月曜日

ある日曜日

親に連れられて稽古場にやってきた高1女子
「高校生になったらもっと大人の感じになれると思ったのに」と宣う
そうか、高1女子はこんな風に自らの歳を感じ取るのかとなぜか嬉しくなる
「そうだよね、先生だって60になったらもう少し大人の感じになれると思っていたのに…」
とその子に聞こえないように相槌を打つ

父の住む高齢者施設の週二回だけ開く喫茶室
80歳、85歳、88歳の男たちがテーブルを囲んで珈琲を飲んでいる
その輪に加わり、しばし談笑
「12歳のとき疎開先で竹槍訓練をさせられて…」
それぞれが戦争体験者であり、高度成長JAPANの中で生きてきた人たち
それにしてもこの違和感のなさはなんなのだ?
と自分の立ち位置をふりかえる

ひょっとして、いやきっと、ヒトは成長も成熟もせず、
ただただその時代の空気を吸い吐きしながら生きているだけなのだ