2016年11月30日水曜日

11月の読書

転換期の日本へ* ジョン・W・ダワー ガバン・マコーマック NHK出版 2014
おいでよ、小豆島。* 平野公子と島民のみなさん 晶文社 2016
芭蕉の風景 文化の記憶 ハルオ・シラネ 角川書店 2001
アジア未知動物紀行* 高野秀行 講談社文庫 2013
ザ・ロード* コーマック・マッカーシー ハヤカワepi文庫 
となりのイスラム* 内藤正典 ミシマ社 2016
謎のアジア納豆* 高野秀行 新潮社 2016

2016年11月23日水曜日

手紙

6月末にやった「せうそこ」が印刷物になって帰ってきた
大きな一枚の紙の表裏に印刷し、それを懐紙くらいの大きさに折り畳んでいる
まるでお手紙のようだ
僕自身は、文章のチェックくらいで、ほとんどなにもやってない
稽古場の女子力が結集されて、このようなものが出来上がっってきた

これは、お手紙です
企画者から読者への手紙であり、
この企画に関わった者たちからのダン先生への手紙でもある
僕から東京の友人たちへの手紙であるとさへ言える

どこかの稽古場で見かけたら、是非手にしてみてください

2016年11月22日火曜日

嵐山

嵐電等持院駅まで徒歩3分
帷子ノ辻乗り換えで嵐山まで20分
家を出てから半時間で嵐山到着
普段は一輌で走っている北野線もこのシーズンは2輌編成のようで、
車内もえらく混み合っている
客の大半は観光客らしく、しかもその半数は外国人
観光客に囲まれていると、こちらまで観光気分になるのは不思議
人の流れに沿って動いていると、保津川右岸を上流に向かって歩いて行くことに
たしかに嵐山は紅葉の名所

インバウンド観光は輸出だとよくいわれる
嵐山に集まってきている外国人観光客を眺めていると、
金銭的なことのみならず、「紅葉狩り」という文化を輸出してるということがよくわかる
なんせ、紅葉を愛でる習慣のない人たちに平安時代から伝わる紅葉狩りの伝統を売ろうとしている

渡月橋を渡り、阪急嵐山に向かって歩く
河川敷は公園として整備され、屋台っぽいお店もたくさん出ている
阪急嵐山からも観光客が続々と出てくる
この時期、嵐山を楽しむのであれば、午前の早い時間に出掛けた方が良さそうです

さてここから、ここ二週間、ツイッターのTLを埋め尽くしてくれている映画を観に行く
上映館が京都市内とはいえ、随分と遠く、
京都駅あるいは西院、つまり市中を経由していくのがスタンダードなルート
地図を眺めているうちに、思いついたのがこの嵐山ルートなのだ



2016年11月20日日曜日

納豆汁

高野秀行の「謎のアジア納豆-そして帰ってきた〈日本納豆〉」は今年読んだ本の中でベスト3に入る傑作。これを読んで急に納豆汁を作りたくなった。クックパッドであらかたの作り方を確認。鍋に昆布を少しだけ敷いて、そこにイチョウ切りした大根を入れて火にかける。そこに秋田でもらってきていたなめこ缶を開け、豚肉はウインナーソーセージで代用することにして細かく刻んで放り込む。冷凍保存していた納豆を解凍し、それをすり鉢に移し味噌と一緒に擦っていく。大根が煮えたくらいで、この納豆&味噌を鍋に入れる。気がつくと鍋一杯の納豆汁もどきが出来上がってしまった。この量だと、むこう三日は納豆汁だな。味見すると材料の種類が少ない分、やや平板な感じは否めない。つぎ作るときは、油揚げは入れなくてはと思う。食べてみると胃にこないで、ハラにくる。お腹があたたまってきて、いかにもこれは冬のたべものだ。

納豆汁なるものをはじめて食べたのは秋田に行ったときのことで、義妹が作って食べさせてくれた。芋煮などにつながる東北特有のたべものらしい。山菜やらキノコが入っていたような。娘に訊いたたら、里芋も入ってたよとのこと。たしかに、里芋を入れると美味しいだろう。ねばねば系総出演だな。「謎のアジア納豆」によると、日本において納豆のルーツは秋田にありということになっているらしい。また納豆は東南アジアの山岳民族の間で広く作られていて、ただ、日本のものほど糸引きしない。食べ方も多用で、潰して平べったくおせんべいのようにして乾燥させて保存させ、使うときは、それを割って料理の材料として使ったり、調味料として使うことが多いらしい。日本で納豆=糸を引くものとされてきたのは最近のことで、ご飯と一緒に食べることに特化された結果ではないかという。また、海側の住民は魚醤系の調味料を使うのに対し、山岳系の民は納豆を調味料として使う。非常に説得力のある説。秋田南部内陸住民=シャン民族説など照葉樹林文化論などと繋がってきてまことに愉しい。

2016年11月17日木曜日

開通

山門修復工事のため8月末から閉鎖中だった山門ルートですが、ようやく開通しました
工事はあと暫く続くようです


2016年11月14日月曜日

回り稽古考

身体教育研究所ができて28年
裕之先生はいったい何コマの稽古をやってきたのか
数千コマ? あるいは万という数になっているかもしれない
一つとして同じ稽古はない

いま身体教育研究所の指導者として活動している人たちは、
その数千コマの稽古のうち、ごく一部のものに参加しているにすぎない
身体教育研究所に入ってきた時期も経緯も当たり前だが人それぞれ違う
集中的に稽古に参加していた期間もまちまちだ
稽古の中味がそれぞれ驚くほど異なったものになっているのは、このような理由による

何年か前、「賞味期限切れ」感に苛まされていた時期がある
新しい世代が台頭してきて、もうオレなんか居なくてもいいんじゃない?と引退を考えた
今は、多少なりとも「多様性」に与しているのでは、という一点で現役に踏みとどまっている
この多様性を横断している共通の空気感が間違いなく在る
数多くの稽古場で稽古を担当させてもらった経験からいわせてもらうと、
最初多少のアウェイ感はあったにしても、それは初対面同士が出会ったときの緊張感で、
一旦稽古の実習に入ると、瞬く間にそのアウェイ感は消え、稽古会の空気感がその場に立ち上がってくる

稽古の多様性と共通の空気感
回り稽古とは、稽古会を構成しているこれら二つの要素を経験していくための仕組みだ
しかも、よくできた仕組みだ

2016年11月10日木曜日

永い言い訳

妻と父の三回忌が終わったら、急に寂しくなった。取り残されて置いてきぼりをくった幼な子が、いなくなった母親を探し求めているような、そのような寂しさ。でも子どももいずれ、親以外の世界があることを学んでいくのだ。

先月、西川美和監督の『永い言い訳』という映画を観てきた。まったく、この西川監督、侠気のある方で、男の情けなさをギリギリと突いてくる。長い結婚生活の中で、喧嘩したことのない夫婦者はまったく幸せな方で、それに文句をつける筋合いはまったくないのだが、たいがいは一度や二度一度、「こいつがいなければ」くらいのことは呟いたことはあるのではなかろうか。ただ、いざ実際に先立たれてしまうと、残された男は、続きの人生を言い訳しながら生きていくしかない。まったく、タイトルの付け方からして憎ったらしい。

今週は暇なので、白山稽古会の前に山中温泉に寄っていくことにした。ついでに、いつも素通りしている敦賀で途中下車し、気比神宮にも立ち寄ることにした。敦賀は奥のほそ道の終点手前。芭蕉の句碑も境内に建てられていた。山中温泉は三年半ぶり。ひょっとすると、あれが最後の家族旅行だったのかもしれない。前回は4月下旬なのに随分と寒かったのだが、今回はこの冬一番の冷え込み。山中温泉もまた、奥のほそ道、ゆかりの地である。

























月清し遊行のもてる砂の上