2013年4月1日月曜日

笈の小文


百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好こと久し。終に生涯のはかりごとゝなす。ある時は倦て放擲せん事をおもひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたゝかふて、これが為に身安からず。しばらく身を立む事をねがへども、これが為にさへられ、暫ク学て愚を暁ン事をおもへども、是が為に破られ、つゐに無能無芸にして、只此一筋に繋る。西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道(通カ)する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ処月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

と、長々と引用したのが「笈の小文」冒頭の一節。この芭蕉の自負には驚くばかりだが、裕之先生が身体教育研究所の活動を通して行わんとしてきたのは、この系譜の中に「晴哉の整体における」という一節を付け加えることであった。「天才」を「明治生まれの日本人」と読み替えるところから始められた野口晴哉研究は、「日本文化」と呼ばれているものを読み解く「動法と内観的身体」という鉱脈に突き当たり、更には、近代と前近代の裂け目を射程に入れながら、今年25周年を迎える。