2014年10月30日木曜日

10月の読書

ウェブ文明論* 池田純一 新潮選書 2013
月の輪書林それから* 高橋徹 晶文社 2005
古本屋月の輪書林* 高橋徹 晶文社 1998
風流らくご問答 立川志の輔・玄侑宗久 文春文庫 2008
おすもうさん 高橋秀実 草思社 2010
センセイの書斎* 内澤旬子 幻戯書房 2006
しんがり* 清武英利 講談社 2013
人生問題集* 春日武彦・穂村弘 角川書店 2009
個人情報ダダ漏れです!  岡嶋裕史 光文社新書 2013

2014年10月29日水曜日

雑感3

『動法研究』最新号の連語欄にあった、Y女史の「寄る辺なき身は、何処にでも行けるのだろうか」という自問に、オヤジの「空広し糸切れ凧の行きどころ」という句を思い出した。Y女史は憎ったらしいくらい上手にこの問いに応えているが、さてこの私は、「ソコ」に辿り着けるのだろうか。

2014年10月23日木曜日

雑感2

結婚三年たって子供が出来なかったら不妊治療を考えるのが一般的だという話を聞いて仰天した。いきなり不妊治療かよと思う。不妊治療となれば、まず最初に行われるのは原因の追求となり、夫婦どちらかが悪い、みたいな話になってしまうのは当然の成り行きで、結果、深く傷ついてしまう人がいる。僕らの間では「子供が出来ないのは夫婦仲が良すぎるからよ」という言い伝えが残っている。実に含蓄に富んだ言葉でであるし、実際、私など素直にそう思っている。いつから子供は授かるものでなくなってしまったのだろう。

雑感1

AppleとFacebook、女性従業員の卵子凍結費用を支援というニュースを見て、ああ、来るべき時代が来てしまった、という感慨を持つと同時に、これから先、ネットとどう付き合っていけばよいのか、深く考えさせられることになった。彼ら=米国のIT企業=がインターネットによって実現しようとしている世界において、生殖技術によって生命をコントロールしていくことは、「自明」のものとして、あらかじめ組み込まれているわけで、「インターネットを使ってるってことは、生殖技術も認めるんでしょ」という世界観(宗教観と呼んでもよい)に飲み込まれないためには、相応の理論武装が必要になる。(以前読んだ、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力 』(池田純一著 講談社現代新書)には、ここらあたりの事情が書かれている)

2014年10月17日金曜日

金曜日

あの金曜日から四週間
遺影を囲むように供えられていた花たちが
日を追うごとに減っていき、
それに応じて日常の時間が流れ込みはじめる

それでも
遺品の整理などしていると
50年前、就職のため上京した娘に宛てた父親からの手紙なども出てきて
ーつまり、50年間大事にしまい込まれていたということなのだがー
ほんと僕は妻のことを何も知らなかったのだ
という思いが今頃になって募ってくる

ちょうどこのタイミングで
ドイツ稽古会の人たちからの寄書きが届いた
感謝

「出立記」再掲します
9月のところまで遡ってみてください

2014年10月13日月曜日

臥法

ロイ先生が亡くなって二ヶ月
本部道場ではじまった稽古会風なコマ割りが話題に上がる
整体協会の総監督がダン先生になったことで
整体指導室と稽古場の関係はこれから先どのようになっていくのか
確かに一組織二制度で活動してきたのに頭が同じになっちゃった、というのは妙である
このあたり皆さん気になるらしい

人が行き来することで風通しがよくなれば
それはそれで喜ばしいことだと思うが、
かといって、これまで別々に活動してきたものが慌てて一つになるとは考えにくいし
また、その必要もないだろう
十年先、二十年先の、次の世代のことは分からないけれど

稽古場でやっていることを極論すれば
接触以前に焦点を当てているところだろう
手を触れて、そこから何かがはじまるのではなく、
触れる前に何が行われるべきかの追求

整体指導者って坐るのが仕事なわけで、
坐法でなくても、それぞれ工夫をしてきているはず
鍵になるのは臥法だろう
たとえば操法を受けに来た人に臥法を求めるかどうか
これがあるかないかで、指導者と会員との関係性はまるで違ったものになる

臥法は稽古場にぜひとも取っておいてもらわねば
次、ダン先生に会った時にお願いしておこう

2014年10月11日土曜日

和解

夫婦とは異化である
故に、軋轢葛藤は、夫婦間に於いてデフォルトである
かつ、お互い至近距離にいるため、殺傷力は強力である

その異化から始まる関係のなかで
同化を探っていくこと
これを「結婚生活」と呼び
共同作業によって、同化領域を増やしていくこと
これを「練る」という

とはいえ、
その同化のための共同作業は
年を経るにつれ減ってゆき
同化しきれなかったものが堆積沈殿してゆく
これを「諦めの境地に入る」という

ところが、その沈殿物はやがて腐敗発酵しはじめ、
長い時を経たのち、たとえば病気の形をとって発動する
しかし、これもまた、同化に向かおうとするはたらきなのだ
人間ってほんとやっかい

和解は可能か?
このまま、和解なきまま離別することになるのか
最期の一ヶ月を過ごす前まで、そんな風に半ば諦めていた

ところが
あの汗とあの熱とあの最後の大欠伸によって
僕らの間にあったわだかまりという名の沈殿物を大掃除して妻は逝ってしまった
まったく見事だよ

和解は可能だ

2014年10月5日日曜日

野分

ぽつぽつと馬の爪切る野分かな (一茶)

(c)sakamoto

2014年10月4日土曜日

句会

句会デビューしてきた
といっても、父の付き添い

孫たちが交互に付き合うことが多かったが、
9月は手が足らず、図らずも私に出番が回ってきた
私の妹も付き添ったことがあるから一家総出(笑)

いろんなものを諦めて諦めて
最後に残ったのが俳句だよね
ということは家族みんなに共有されているから
「おじいちゃん厳しい」といいながら孫たちも付き合ってくれている

さて句会
なかなかの集注感
三時間の会が終わったときには、結構ぐったり
予め父には、俳句持って来なさいよと念を押されていたから、
いくつか持参
人前に自分の句を晒すのはためらわれたが、
いったん自分の手を離れると客観的に見れてしまうのは面白い

介護真最中だったから、
その風景を言葉に落とし込もうとしていただけ

指通信たれと話すや夢十夜(和)

お題の月の句もひとつ用意したのだが、
あまりにもベタな句なのでここには載せず、
代わりに父の句を紹介しておく

月今宵兎は波の上走る (昧波)

会の最後、「10月の兼題は昧波さんに」、と振られて
即座に「新」で行きましょうと応じた父
この秋の季節に「新」?といぶかるも、
いざ、10月になってみれば、確かに「新」という語がふさわしい

9月17日のことである

2014年10月2日木曜日

ベクトル

夫婦が異化に始まり同化に向かうとすれば、
親子は同化に始まり異化に向かう
ベクトルの方向が真逆なのだ
しかも、子は親が先に逝くことを無自覚のレベルで予め知っている