2023年7月30日日曜日

7月の読書

コソボ 苦闘する親米国家* 木村元彦 集英社インターナショナル 2023
腰抜け愛国談義* 半藤一利・宮崎駿 文春ジブリ文庫 2013
その農地私が買います* 高橋久美子 ミシマ社 2021
ここだけのごあいさつ* 三島邦弘 ちいさいミシマ社 2023
日本語擬態語辞典* 五味太郎 講談社アルファ文庫 2004
西の魔女が死んだ* 梨木香歩 新潮文庫 2001
政治と宗教* 島薗進編 岩波新書 2023
空洞のなかみ* 松重豊 毎日新聞出版 2020
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言語の本質 今井むつみ・秋田喜美 中公新書 2023
 言語だけでなく「学び」について示唆に富む一冊。中身は本の帯に書かれている通り。おすすめ。僕自身がAIに対して抱く「気味の悪さ」は、この本ではじめて出会った#記号接地問題 に由来しているのですね。AIに感覚センサーを接続しても、それらが「あるもの」しか感知できない以上、結局、的はずれなものしか生み出さないことは容易に想像できる。もっとも、とんでもないデストピアが出現しても迷惑千万な話なのだが。AIがいくら世の中に浸透しようと、僕の仕事は無くならない。それとも最初に弾圧を受けてしまう存在なのか。
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2023年7月25日火曜日

朝風呂のすすめ

京都連日の35度越え+熱帯夜。ちょっとこたえる。
シャワーばかり浴びていても埒があかないので、朝風呂にする。
熱中症の裏に冷えの問題があるというのは、整体の常識。

風呂にお湯を張り、まず脚湯するように、上は着たまま膝下までお湯にひたす。
ちょっと汗ばんできたら、上を脱ぎ、全身湯船につかる。
この段階で、少し追い焚きをしておくとよい。
暑い暑いといいながら、体はあちこちまだら上に冷えていることが自覚されるだろう。
その冷えを迎え入れていく。
長湯はしない。全身が温まったら、ガバリと湯船から出る。
体はよく拭いておく。
たった、これだけのことなのだが、一日の過ごし方は随分と変わる。

窓から入ってくるうるさいくらいの蝉時雨の声を聞きながら、
湯船につかっているといのは、ちょっと後ろめたい感じがしないわけではない。
それもまたよし。

2023年7月24日月曜日

同調

 五十代の十年、お茶の稽古に通った。月2が基本だったが、月1のこともあれば、数ヶ月、間がが空いたこともある。最初は二人で習いにいっていたが、途中からは、先生との一対一の稽古になった。結局、基本だけで終わり、お茶の広大な世界のほんの一部に触れただけで終わってしまったが、得難い経験をさせていただいた。先生役を買って出て頂いた、橋松枝さんには感謝しかない。この間、一度だけ、「茶室が茶を点てる」、という経験をした。もちろん、亭主の席に座し、お茶を点てているのは私なのだが、自分が点てている感じは全くなくて、お茶室が点てているとしか表現のしようがない、そのような経験だった。こんなふうに操法ができればと、切に思った。

 関東に暮らしていたころは、風狂知音の音楽も横濱エアジンに聴きに行っていた。僕が整体指導者への道に足を踏み出すきっかけを作ってくれた存在でもある。このことは、3年前、石川合同稽古会に覚張さんを呼んだ時、こんな風に書いた。↓ 

覚張幸子さんについて
 十年以上前のこと、いやもう少し前のことかもしれない。風狂知音のライブを横浜関内のエアジンに聴きにいった。ぼくがまだ事務局の仕事と大井町稽古場での稽古担当という二足のわらじを履いて大車輪で活動していた頃のことである。風狂知音は、覚張幸子(vocal)、田村博(piano)、津村和彦(guitar)の三人のジャズユニット。この人たちの作り出す音楽を通して、音楽とは聴くものではなく「体験」するものであるということを学んだのだけれど、その日のライブは格別で、もう、自分の体がバラバラにばらけてしまうという驚愕の経験をした。風狂知音の音楽には、稽古のエッセンスが覚張さんを通して注入されているので、翌日、裕之先生に、「こんな経験をしたのだけれど、これは整体で可能なのか?」と問いにいったことを覚えている。無論、返事は「そうだよ」というもの。それからしばらくして、僕は二足のわらじを脱ぐという一大決心をするのだけれど、このときの、風狂知音の音楽との出会いがひとつの契機であったことは、ぼくのなかでしっかりと記憶されている。数年前、津村さんが逝き、二人組みになってしまったけれど、風狂知音の活動は続いている。(2020/3/1)

     指導者の道に入ったはよいのだが、なかなか、お茶室で、あるいは、風狂知音のライブで経験したような出来事が操法の場で出現することは稀だった。いや、これまでなかったと言ってよい。ところが、それが突然やってきた。師匠に教わった手順通りやっただけなのだが、相手の背骨に触れるだけで、自分の背骨がのたうちはじめたのだ。言ってみれば、脊椎同士の活元運動。あとは、もう、その流れが導くままについていくだけ。同調とはこういうことなのだ、局処と全体との関係性とはこうなのだ、ということを身をもって体験する出来事だった。ブレークスルー!。これまで、「同調する」ことを稽古の中であれこれやってきたけれど、甘かった。本当に他者と同調できるためには、とんでもない体力が求められるのだ。逆にいうと、自分の体力に応じた同調しか出現しないということでもある。かなり怖い世界でもある。

2023年7月21日金曜日

地底旅行

  生涯読んだ本の中で10冊を挙げろと言われたら、まず最初にジュールベルヌの地底旅行を挙げるだろう。小学生の頃読んだ本だが、ここから、僕の冒険心に火がつき、「コンチキ号漂流記」へと雪崩れ込んでいく。小学生になった孫にも読ませてみようと、どんな版があるのか図書館の児童書の棚を物色してみた。岩波少年文庫に収められているのだが、どうみても小学校高学年向け。僕自身が小学生の時の読んだのは、子供向けに編集された図絵満載のもので、ちゃんと原作を読んだわけではない。

 この岩波少年文庫版の地底旅行、夏の課題図書として読んでみることにした。まず、その分量に驚いた。400頁を超えている。探検をはじめるまでの話の部分がなかなか長く、ようやく160頁に辿り着いたところで地底に入っていくのだ。アイスランドの火山口から地底に入り、イタリアの火山口から地上に戻ってくるというストーリーは記憶している。僕が幼少期に読んだものも、基本的なところは、ちゃんと押さえたものであったらしい。ただ、イタリアの火山の名前をエトナ山と記憶していたのだが、原作によるとストロンボリであった。

 この原作が書かれたのが1863年。日本でいえば江戸末期、明治維新以前のことなのだが、ヨーロッパでいえば、産業革命を経た、まさに科学技術勃興期の勢いの中で書かれた小説なのだ。僕がこの本を読んだのは、1960年前後ではなかったか。科学技術立国が謳われた時代でもあった。



2023年7月14日金曜日

古道具

 人の書庫の整理を頼まれてやっていると、思わぬ骨董品に出会うことがある。
先月の掘り出し物はスライドプロジェクタ。こういうジャンクを目にすると、つい捨てられるのは可哀想と貰ってきてしまうのが、元ラジオ少年の悲しいさが。60年代?のスライドプロジェクター。Birdie Fujiとある。

 かつてポジフィルムで写真を撮っていた時期がある。押入れの奥から、まだデジタル化できてないスライドを引っ張り出してきてプロジェクターに装填してみる。ランプはちゃんと点く。1980年代の画像がスクリーン上に映し出された。それにしても発熱がすごい。

























 そして、手廻しレコードプレーヤー。小さな紙の箱から出てきたのは、プラスチック製のちゃちいプレイヤー。GDM(Graded Direct Method)の教材レコード2枚も同梱されている。鉄の針をレコード盤の上にに落とし、黄色のツマミを回してみると、針と直結された振動板から、かろうじて聴き取れるくらいの音量でEnglish through Picturesのテキストの音声が聞こえてくる。

 はて、どうしたものか。だんだん、わが家が古道具屋みたいになってきた。


2023年7月2日日曜日

糀ブーム

 4月にやった石川合同稽古会のオプショナルツアーで鶴来に行った連れ合いが、鶴来の糀屋さんで糀を手に入れたところから、わが家の糀ブームがはじまった。正確にいうと、3月に人生初の味噌作りをやったから、すでに糀ブームは始まっていたのかもしれない。甘酒にはじまり、塩糀、醤油糀、玉ねぎ糀といった調味料づくりが続き、今は応用編の水切り豆腐の塩麹漬け、甘酒漬けに移行してきた。料理全般なんにでも自家製糀調味料を使っている。目に見えるかたちで醤油瓶の醤油が減ってきて、美味しいのはよいが、これは塩分の過剰摂取になっているのではと心配になるほどである。鶴来からやってきた糀はあっという間に底を尽き、京都の糀屋さん、松任の糀屋さん、スーパーの棚で見つけたみやここうじと、あれこれ試し、また最初の鶴来の糀屋さんに舞い戻ってきた。わが家の糀ブームは一過性のものでなく、一気に定着してしまいそうである。