2024年8月31日土曜日

8月の読書

着物の国のはてな?* 片野ゆか 集英社 2020
きもの文化と日本* 伊藤元重・矢嶋孝敏 日本経済新聞 2016
江戸おんな絵姿* 藤沢周平 文藝春秋 2016
テヘランのすてきな女* 金井真紀 晶文社 2024
アナーキスト人類学のための断章* デヴィッド・グレーバー 以文社 2006
京都花園天授ヶ丘* 並木鏡太郎 愛媛新聞社 2003
室町ワンダーランド* 清水克行 文藝春秋 2024
植物考* 藤原辰史 生きのびるブックス 2022
小さきものの近代1* 渡辺京二 弦書房 2022

2024年8月30日金曜日

輪島漆器義援金プロジェクト 京都最終

明日31日、予定通り開催します。

お天気どうなんでしょうね。ご無理されませんように。


  5月末~6月初めに等持院稽古場で行われたこの輪島漆器販売義援金プロジェクトは、7月、カフェ・フロッシュさんに引き継がれました。それでもまだ、漆器は残っています。器を戻す前に、もう一度だけ、輪島漆器の会を開くことにします。前回より、二、三割引の値札をつけます。前回来られなかった方、漆器に目覚めてしまったリピーターの方歓迎です。月末には、この暑さが和らいでいることを願うのみです。


【日時】8月31日(土)10時~15時

【場所】京都市北区等持院北町8-3 等持院稽古場 

                駐車場はありません

【問い合わせ】メールで角南(すなみ)まで


*輪島漆器販売義援金プロジェクト

 糸魚川市在住の山田修さん(ぬなかわヒスイ工房 https://nunakawa.ocnk.net/)は、2月から能登半島地震の被災地支援に継続的に入っています。その支援活動の中で出会った被災者の方から災害関連ゴミとして処分される寸前であった輪島漆器を大量に預かることになります。四月、それらを代行販売して義援金とするプロジェクトを立ち上げました。売上金は全額、義援金として器の持ち主に手渡されます。






着物のはてな

 和装の世界に足を踏み入れると、「へんだな」と感じることがあれこれ出てくる。着物振興を謳いながら着物人口を増やそうとしている風もない。連れ合いが図書館から借りてきた「着物の国のはてな?」に横から手を伸ばし、その本から「きもの文化と日本 」にたどり着いた。この2冊の本、これまでモヤモヤしていた着物業界にまつわる疑問の多くに答えてくれた。やっぱりそうか〜、ということばかり。

 1970年の300万部ベストセラー、「冠婚葬祭入門」が和服のスタンダードを作ってしまったらしい。当時、光文社がカッパブックという新書版サイズのシリーズを出していて、「頭の体操」といったベストセラーを連発させていた。「冠婚葬祭入門」を書いた塩月弥栄子さんは、14代千宗室の長女。この本をきっかけに、お茶の世界のスタンダードが和服のスタンダードに拡張されてしまう。お茶の世界が基準になってしまうと、普段着仕事着としての着物は横に追いやらてしまうよね。きっと着物警察と呼ばれている人たちのルーツは1970年の冠婚葬祭入門ある。ただの歴史修正主義者ではないか。



2024年8月27日火曜日

ソウルの春

東京行きは体調不良と台風接近の予報をもとに中止。
時間をもてあまし、かつリハビリを兼ねて映画館へ。
「ソウルの春」という韓国映画を普段は行かないTジョイという京都駅南側のシネコンで観る。

1979年のソウル。朴正煕が暗殺され、全斗煥による軍事クーデターが起こる。
その顛末を映画にしてしまう韓国映画の底力に脱帽。

























主役は保安司令官チョン・ドゥグァン。それに対抗するのが首都警備司令官イ・テジン。
映画が進むにつれ、この主役の二人誰かに似ていることに気づく。そう、チョン・ドゥグァン、K田くんにそっくりなのだ。あのK田くんが稀代の悪役を演じているようにしか見えなくなってくる。チョン・ドゥグァンの慶尚道訛りまでK田くんと被ってくる。対するイ・テジン(この映画のヒーロー)はK地くんに見えてくる。おいおい、K田対K地くんの闘いなのか。

韓国映画を見ていると、たまにこんなことが起こる。「1987年、ある闘いの真実」ーこれもまた全斗煥政権下での出来事だーを見たときには、主役のキム・ユンソクが、僕らが局長と呼んでいた人物と、これまた歩き方までそっくりで驚いたことがある。


日本がバブルで浮かれていた1980年代、韓国ではこのようなことが起こっていたのだ。

2024年8月25日日曜日

読書雑観

 去年の秋から紙の新聞を復活させて読んでいる。 京都新聞には共同通信系の書評欄が毎
週土曜日に掲載されているのだが、 書評欄を開くたびに、もう一週間経ってしまったのか
と、時の速さを嘆かずにはいられない。 僕の読書は90パーセント市立図書館に依存しているのだけれど、新聞の読書欄を参考に予約を取ることが増えた。 書評欄に載るのは、その本が出版されて数ヶ月後のことが多いので、たいがい図書館ですでに購入されている。京都新聞の地元率はとても高く、 書評欄を読んだ僕と同類の人たちとの予約競争になる。とはいえ、緊急に読みたい本というのは、そう多いわけでもない。岡崎公園にある府立図書館ものぞくことがある。ただ遠くて、自転車では行けない、というか行かなくなった。それでも、バス地下鉄を使えば1時間かからない。混んでないし、市立図書館にない専門的な本も置いてあったりするから、もっと頻繁に利用してよいはずなのだが、心理的に遠い。

 最近、 本の厚さが増していると思いませんか?  図書館で借りられるのは2週間まで。 他
の人の予約がなければ、 さらに2週間ということになる。 僕が借りたい本に限って厚さが増しているのかもしれないが、2週間で読みきれない本が増えてきたきた気がして仕方がない。そういう時は本屋で買うしかない。 ところが、買った本の方が 「積読」 になってしまうケースが多い。 そう、 図書館から借りてきた本を優先して、 買った本を後回しにしてしまう傾向は間違いなくある。 「数の発明」 (ケイレブ・エヴェレット  みすず書房) など2年以上そのままにしているのではないかな。

 ひとり出版社をやっている知り合いが何人かいるが、素直にエライと思う。 どうやって
仕事として成り立たせてるんだろうと、 いつも不思議に思うのだが、本作りにかける熱量、書き手と読み手をつなごうとする意欲がすごい。どう考えても、 初版千部くらいの規模で回していると思うのだけれど、 しっかり点数も出している。出版は斜陽産業だと言われてひさしいけれど、働いている人たちはの意気は軒高だ。 古本屋稼業というのも謎の仕事だ。 定価の1割くらいで引き取って半値で売り、 その利鞘で食ってくというビジネスモデルが不思議でならない。本屋に行けばあいかわらず次々と新刊本が並んでいる。 奥付きを見てどれくらいの重版されているのか確認してしまう癖はお世辞にも上品とはいえないけれど、 ついやってしまう。 「百年の孤独」 の文庫版が平積みされていて、 版を重ねているのをみると、この国に暮らす人たちの民度はまだまだ捨てたものではないと思う。 それとも、 僕が立ち回る範囲が偏りすぎていて大きな変化を取り逃しているのか。

 このブログに 「x月の読書」として、その月に読んだ本のリストを載せている。ほぼ自分
用の備忘録なのだけれど、 月10冊として年に百冊、 50年で五千冊ほどの本を読んできた勘
定になる。 読んだ端から忘れていくというのが僕の流儀だから、 ただただ活字を食い散らかしてきた、だらしのない消費者のひとりということになる。でも、一冊の本を世に出すために投入されている書き手作り手の労力を省みると、もっともっと本を味わねばと、いまさらながら反省している。

2024年8月18日日曜日

植物考

藤原辰史 の「植物考」。
何年か前、書店で見つけた時には、表紙の写真が怖くて、手に取ったはよいが、すぐ書棚に戻してしまった。

ツル系の植物成長を観ていると、なんと頭がいいんだろうと、いつも感心させられる。柔らかい紐のような触手を空中に揺らせて捕まるところを見つけ、あっという間に、巻きつけていく。一旦巻きついたら、じょじょに水分を抜いて固定化させていく。グリーンカーテンとして毎年育てているゴーヤ用に張っている麻ひもの上を等間隔でツルを巻きつけながら進んでいく様は美しい。

根を持つこと、翼を持つこと。
このフレーズは、僕の記憶が正しければ、1970年代、僕らのバイブル的存在だった真木悠介 (見田宗介 )の「気流の鳴る音」 で使われていたものだ。土着と放浪、この二律背反とどう折り合いをつけていくのかが、若者にとっての大きなテーマであった。しかし、藤原は言う。根をもち、その土地に縛られているように見える植物は、世代をつなぐとき、風の力を借り、鳥の翼を使い、人の力も借りて、大きく移動するのだと。まったくその通りだ。



2024年8月16日金曜日

冷蔵庫を冷やす

今年の夏はアイスクリームをよく食べている。
これまでなら、ハーゲンダッツのバニラのパイントサイズをひと夏かけて食べるというのが夏の贅沢だったのだが、今年はすでに三つ目に入っている。グリーンティーを試したら、これも気に入ってしまい、そうなるとストロベリーも食べたくなって、とうとう冷凍庫に3種類のハーゲンダッツのパイント揃い組になってしまった。

冷凍庫からアイスクリームを取り出して、蓋を開けて掬おうとしたら妙にゆるい。溶けてはいないのだけれど、スプーンがスッと入ってしまう。この暑さに冷蔵庫の冷却能力がなくなってきている。この小型の冷蔵庫、引っ越してきてすぐに買ったものだから、もう9年使っている。そろそろ寿命なのか? 概ね冷蔵庫は大型のものの方が冷却能力は高い。大型のものの方が潤沢に断熱素材を使っているから、大型の冷蔵庫の方が冷却効率は高く、小型の冷蔵庫を比べても電気代に大きな差はない。でも、場所を取られるのが嫌で、あえて小ぶりの冷蔵庫にした。

冷蔵庫の側面に触れたら発熱している。気張ってるわけだ。熱中症寸前と言ってもよい。このまま続けていると、爆発はしないだろうが、燃え尽きてしまいそうだ。側面に濡れタオルを垂れ下がらせて風を当ててみることにした。気化熱を使って冷蔵庫を冷まそうという魂胆である。サーキュレーターの風をしばらく当てていると少し冷めてきた感じはある。これはいけそうと、一晩、風を送り続けることにした。

翌朝、冷蔵庫を開けてみると、気持ち冷えている。空冷式の冷蔵庫って、洒落にならない。でも、これで夏を越せそうだ。

2024年8月14日水曜日

誕生日

12歳の誕生日というので、街に出た。
ひさしぶりのイノダ本店。はじめて2階の席に座る。
ガッツリ系には向かわず、おとなしくイタリアンパスタとコーヒー。
連れ合いの野菜サンドもひと切れつまませてもらい、これでもう腹いっぱい。
思いのほか空いていて、帰省中の子供たち孫たちと昼を食べに来たジジババの姿が多い。

還暦を迎えたのは311の翌年だった。それから12年。
12年で生まれたての赤ん坊も思春期という大人の入り口にたどり着く。
それくらい長い時間が経過したということになる。
僕自身、二度目の思春期を迎えるまでに成長したというわけだ。
目出度くないはずがない。

そこから四条烏丸まで、錦市場、大丸の地下を通り抜けて歩く。
くまざわ書店を覗き、自分への誕生日プレゼントとして「はじめての橋本治論」を購入。
成城石井でチーズを買い、これまた誕生日用なのかホールのアップルパイを買う。

地上に出ると天気予報通りの暑さ。今日の京都の最高気温は37.9度。

2024年8月7日水曜日

整体3.0

 不謹慎を承知の上で、いまの整体はどのバージョンで動いているのか考えてみると、整体3.0ということになる。活元運動と愉気の時代が整体1.0、それに動法内観が入って整体2.0。そこに更に双観独観が加わって整体3.0。もちろん、身体教育研究所という枠組みの中での話である。もっとも、僕の知らない整体4.0というのが生まれている可能性もある。

 それにしても、ここ十年の変化は大きかった。つまり、ロイ先生が亡くなり、ダン先生が整体協会全体の指揮を取り始めることになってからの十年である。個人的にも変化の多い十年であった。いきなり「双観」といわれ戸惑った。おーい、おれたち内観派じゃなかったんですかと異議を唱えても、師匠はさっさと先を進んでいく。君子豹変す、というのは、自分的にはよい意味なのだけれど、梯子を外される側にとっては苦難の道が待っている。それが、進化深化の道であったことは疑いようがない。整体2.0から整体3.0へ。

 身体教育研究所ができて36年。人生の半分をこの結社とともに生きてきたのかと思うと感慨深いものがある。稽古場を始めるときに、師曰く、ここは「技を通して野口晴哉の思想を追求する」場であると。技以前に、技を可能たらしめる体をつくるといって、動法の稽古がはじまった。時折、本部稽古場で竹棒を振り回している場面が脳裏に蘇る。あの時代があったから今がある、という言い回しは、あまりに陳腐で年寄りじみているけれど、体ができてない人間に技の追求は無理というのは、いまでも真理だと思う。

 やはりOSとの対比で整体を語るのは無理筋か。

2024年8月5日月曜日

白山稽古会

8月の白山稽古会から帰還。石川もしっかり暑かった。
この白山稽古会、15年続いている。
京都に引っ越して9年になるから、京都から通っている期間の方が長くなってしまった。

この会が始まったとき、まだ北陸新幹線は開通してなかったので、東京から越後湯沢まで上越新幹線で移動し、そこから、直江津までほくほく線、そこからさらに北陸本線に乗り継いで金沢にたどり着くというルートだった。片道5時間。直江津で買った鱒寿司を日本海を眺めながら食べていた。飛行機と宿がパッケージになっている出張パックというものを見つけて、飛行機で小松に飛んでいた時期もあった。十年前、亡くなった妻が秋田で入院静養していた時期には、上野から山形新幹線で新庄、そこから奥羽線で院内という駅まで行き、そこからまた新庄に戻り、日本海に出て村上新潟経由で金沢。そして帰りは米原経由の東海道新幹線という、日本半周コースで移動していたこともある。交通宿泊費を考えると、黒字にもならず、かといって赤字でもない稽古会だったけれど、なぜか6年間通った。参加者の関心と僕自身の首都脱出欲求が合致したということなのか。



2015年に京都に引っ越してきてからは、金沢直通のサンダーバードが使えるようになった。便数は少ないが、会場であるふるさと館のある松任に停る便もあって、これは便利であった。窓から四季折々に姿を変える琵琶湖や白山を眺めながら、ときにはうたた寝をしながら石川に通った。金沢までの北陸新幹線が開通したのは2015年のことなので、それほどは利用してない。しかし、新幹線開通で金沢の駅は大きく変わり、観光客がどっと増え、金沢駅周辺のホテルが取りづらくなっていった。コロナ前の話である。

そして、とうとう新幹線が敦賀まで延伸してしまった。京都からサンダーバードは敦賀。そこから新幹線に乗り換えて小松または金沢。そして松任へ。乗り換えが2回。それぞれ電車に乗っている時間は1時間に満たず、つまり、うたた寝をしている余裕がなくなってしまった。時間は短縮されない。運賃は上がる。関西から北陸を目指す人間にはまったくメリットのない新幹線延伸である。おまけに、関東方面からの観光客とインバウンド客の増加で、また金沢駅周辺の宿が取りづらい状態に逆戻りである。

そもそもこの会は、松任で活動していたワンネススクールの森さんの要請で始まったもので、ここまで継続して稽古しているメンバーの顔ぶれをみると、なんらかのかたちで森さんと縁のある方たちである。森さんは本人は多忙すぎてフェードアウトしてしまっているけれど、しっかり気配だけは残していっている。月一の稽古でできることは限られていて、あまり前に進んでいる感じはない。それでも積み重ねられ、深まっているものがあることは疑う余地がない。15年もやっているのに、参加者の数が増えていかないのは、僕の力量の故である。

さていつまで、この会は続くのだろう。金沢に稽古場もでき、そっちで稽古してもらえればとも思うのだが、白山と金沢は、同じ加賀とはいえ気風が違ったりするので、当面、棲み分けるかたちになるのだろう。ここにきて、若い人が加わったりして、ちょっと活気も出てきてる。老骨に鞭打って、もう少し白山に通うことにする。今回は、往復とも小松経由で松任、宿泊も松任だったから金沢に足を踏み入れていない。