2012年4月27日金曜日

境界線

病院という未知の世界に通い始めて4週間
へぇー、こんな世界があるのだと感嘆することしきり
世間しらずといえば、まことにその通り

病院はディズニーランド
今日はこのマシン、明日はこのマシンと施設を回っていく
本人たちは気づいてないけれど、テーマパーク的娯楽性が潜んでいる

点滴の威力をなめていました
医療行為というと外科的な切った貼ったの世界を思い浮かべていたが
点滴こそ医療行為でした
4週間、点滴だけで人は生きられる
ちょっとカルチャーショック

自分の体にメスを入れることに対し、ものすごくハードルが低くなっている
医療の側から、そのハードルを下げる技術的努力が積み重ねられ
そして啓蒙活動が行われている

整体を志すものとして、司法解剖はいやだ、というのがある
ところが、世の常識はすでに、生きた体にメス入れて、それがどうしたの?
というレベルになっている
「まあ、いまどきそんな青臭いこと言って」
と一笑に付されかねない

その青臭いことに命を賭けようとしている
そんなバカものの一人なのだけれど、
彼我の境は、思っていたほど離れているわけではなく、また明瞭ではない
というのが、今回の教訓
ふと気がつくと柵を越えていた、ということにもなりかねない

褌を締め直すことにする

2012年4月24日火曜日

片付けはつづく

家の片付けを始めて数週間
ずいぶんとモノを捨てた
もう、いつでも引っ越し可能
といって、引っ越しのあてがある訳でもない
家の中が片付いてくると、
25年暮らしてきたこの家もまんざらではない
と思えてくるから不思議だ

とうとう禁断の食器と衣類に手を付けてしまった
つまり、基本的に僕の領域でないものにまで片付けを広げてしまった
鬼の居ぬ間に
それにしても、食器棚や押入れの奥に
箱詰めのまましまい込まれている食器の多いこと
普段使っているものより、よいモノが使われることなくしまい込まれている
たしかに、使いこなせそうもない立派なものもあるけれど、
ちょっともったいない

衣類は、とりあえず自分のものから
稽古着の多さには我ながらおどろいた
考えてみれば、20年近く稽古着を着ているわけだから無理もない
いただいたまま、ほとんど袖を通してないものもある
稽古着の形もずいぶん変化してきた
初期の頃のものなど、おくみもないから、もう着ることはないだろう
だんだん、自分の好みも定まってきているので、
当面、必要なものと予備のものを少し残して整理することにした

片付けもまた、日々の積み重ね
ですね

2012年4月22日日曜日

料理(朝食編)

まるで食ってばっかりみたいだけど・・・
でも、弧食はいかんですね

ツナサラダの朝食
パンは自家製なのだ

豆苗とトマトいりオムレツ















ほっけの干物
大根の味噌汁
ちょっと野菜が足りない


2012年4月19日木曜日

料理(夕食編)

料理のレパートリーは順調に増えている

ご近所からいただいた筍御飯
近所の肉屋で買ったポテトコロッケ
作ったのはしめじの味噌汁だけだな

すきやき

アスパラと卵の炒めもの
イワシ缶
キムチ

小松菜と豚肉の炒めもの
味付けは塩のみ
冷奴にキャベツと油揚げの味噌汁

レジ袋

やたらレジ袋が多い
台所のあちこちに分散してしまい込まれている
押入れを開ければ、こっちは紙袋にビニール袋
ケーキ屋さんだ洋服屋だと、大小取り混ぜてしまい込まれている
本来収納するものによってスペースが奪われるというのは主客転倒している

僕の父方の祖母は、レジ袋に埋もれて亡くなった
最晩年、一度訪ねていったことがある
六畳程の居室が、文字通りスーパーのレジ袋であふれていた
勿体無い世代ではある
捨てられない世代が、ものを捨てることをよしとする時代まで生きてしまった悲喜劇
子供たちは、そんな祖母の習性を矯正することを諦めた
祖母の世代のほうがまっとうだよね

ドイツの街角のスーパーで買物をして、レジを済ませたら、
袋類を一切なにもつけてくれなくて驚いたことがある
なまものは買わなかったから、そのまま手持ちのカバンに詰め込んで事なきを得たが、
肉野菜買ってたら大変だった

エコエコといってる割に、スーパーのレジ袋は健在のよう
一度、家の中のプラスチック袋を一掃して、以後増えないようにやってみよう

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昨日は病院行きを娘にまかせて、三週間ぶりに医療機関に顔を出さない一日
今朝はなんだかボーッとして目覚め、しばらくボーッとしてたのだが、
これはいかんと、裏庭の片隅に置いてあったコンポストの撤去作業に取りかかる
つまり、コンポストの隣の地面を掘って、コンポストを外し、
その内容物を穴に埋め込むという作業
シャベルを手に穴掘りなんていつぶりだろう?

2012年4月17日火曜日

主夫を三日やったら

主夫は三日やったらやめられぬ

主夫の生活は百姓に似ている
お天気と相談し、お日様の高さと相談しながら
その日一日の仕事の段取りを考え、
淡々とこなしていく
肉体労働であり、同時に高度に知的な労働でもある
工夫のしどころ満載で、
その工夫は、目に見えるかたちで、結果に現れる

楽しいじゃないか
25年間、騙され続けてきたような...

*昨日見つけた片付けの要諦 ー 部屋の隅を荷物で塞がないこと
*前言(↓)訂正
 よい人たろうとして病を得た人をよい人と認めるほどには私の器は大きくない

2012年4月16日月曜日

よい人

よい人というのは、「あなたはよい人ね」と言われても、その意味を理解しない。「あなたはよい人ね」と言われて、それを勲章とする人は、「よい人と思われたい」人にすぎず、よい人であったためしはない。まっとうな人間は、「あなたよい人ね」と言われると、「お前なんぞに言われたくない、馬鹿野郎」と悪態をつく。

気を使って気を使って、他人に迷惑をかけないように振る舞い、結果、病を得る。で、目一杯周囲を心配させる。これで収支は合っているのかな。自由に好き勝手やらかして、結果、妻が病を得る。で、25年分の家事をまとめてやることになる。この収支バランスも微妙。でも、もうちょっと、上手なやりかたがあったような気がする。

入院中の妻。「メメント・モリ」なんて馬耳東風。死生観の共有はなかったんだ…。目下最大の関心事は、退院時(転院する予定)、看護師さんたちに渡すお菓子をどう手配して、いつ手渡すか。この場に及んでも「よい人」であることを目指す。ひょっとして妻は本当に「よい人」なのかもしれない。