2012年7月17日火曜日

暑中お見舞い申し上げます

年頭「春になったら四国遍路に出るぞ!」と高らかに宣言したものの、3月末になって妻が入院することになり、以後、4月5月は専業主夫として病院に通いながら家事に励む事と相成りました。よって、四国遍路は実現しておりませんが、初体験の専業主夫業は、これまでないがしろにしてきた「暮らし」というものに目を向ける貴重な体験となりました。幸い、5月末、二ヶ月に及ぶ入院生活から妻は無事帰還し、日に日に体力・体調を取り戻しつつあります。長期の入院生活を経たのだから、生まれ変わって戻ってくるであろうと期待していたのですが、性分というのは誠に強固なようで、以前と寸分も変わらず、「正しく病む」ことの困難さを実感させられています。想定外の出来事続出の今年前半でありましたが、私自身は来月に迫った還暦をいったいどのような心境で迎えればよいのか悶々としながら、同時に社会復帰を目指しリハビリ中です。今年も暑い夏になりそうです。皆様のご健勝をお祈りいたします。
 二〇一二年夏

2012年7月10日火曜日

ほむほむ

ほむほむ、ほむほむ、
と若者が嬉しそうにつぶやくので、
「ほむほむ」とはなんだと問うてみたら、
穂村弘という歌人だという
どうやら、アイドル歌人、あるいはカリスマ歌人、らしい
本屋の棚を探してみたら、あったあった
『短歌の友人』(河出文庫)という本を見つけて読み始めた

これは名作だ
短歌にはまるで不案内なのだが、
ページをめくるたびにふむふむと頷くことになった
様々な媒体に折々に発表された文章を一冊にまとめたものなのに
まるで齟齬がない
270頁の文庫本にしては濃密すぎる

…我々が〈近代〉以降の時間を生きつつ、同時に〈戦後〉という時間を生きつつ、同時に、〈今〉を生きている、ということである。我々は三つの時間に同時に生きている。そして〈近代〉以前の時間からは大きく切断されている… (p.205) …斎藤茂吉の作品を頂点とする、このような近代短歌的なモードを支えてきたものは「生の一回性」の原理だと思う… (p.126 ) …次に戦後という時代性に対しては、…私見では、短歌は「言葉のモノ化」というかたちでもっとも鋭くこれに「対応」したと思う…(p.133 )…すべてがモードの問題に還元されるような感覚を突き詰めるとき、その根本にあるものは死の実感の喪失である..(p.131)

と、めずらしくたくさん引用してしまったが、
時代の変化と短歌のモードの変遷は、
当然のことだけれど、身体性の変遷と対応している

で、問題は〈今〉なのです
…決定的に〈酸素〉が足りない世界で生きていくために、人間は機械に〈進化〉したのだろうか…(p.107)
のような〈今〉
しかも、自分自身が拠り所としていたものは幻であったことが
露わになってしまった原発事故後の〈今〉

〈今〉の〈私〉は、
上で引用した「三つの時間」のレイヤーが
地震によって撹拌され、ぐちゃぐちゃになった液状化状態
再編成が進行中という感触はあるのだけれど、
形になるまで、もうちょっと時間がかかりそうだなぁー

2012年7月9日月曜日

2012年7月7日土曜日

一之江に父を訪ねる
だいたい月1のペースなのだが、
このところ間隔が空いてしまっている
二人してバス停で2つ先にある鰻屋に向かう
バス停まで200メートルばかり歩くのだが、
「最近はなんかふらついて…」と言いながら、
使いはじめて間がない杖を頼りにヨタヨタと歩いていく
父のその姿を斜め後ろから見ていて、「いい感じだな」と思う
たしかにヨタヨタしているし、歩道を疾走する自転車にはひやひやする
ありていに言えば、足腰が衰えて来たと表現されるべき現象で、
実際危なっかしいことこの上ない
でも、余分な力が抜けた、その「ヨタヨタ」感が実に佳いのだ
正しい「衰えかた」ってものは、間違いなくある
父と一緒に歩きながらそんなことを思った

2012年7月2日月曜日

お茶の稽古

白山稽古会でお茶の稽古をした
会場はいつものふるさと館
お茶を通しての動法・内観を教授しているOさんに来ていただいた
参加者の大半はお茶ははじめて
Oさんの教え方はなかなか大胆で、いきなりお茶を点てさせてしまう

これまで稽古会で「感応性」というものを提示してきたはずなのに
お茶という、設定された「場」における「お道具」を介した稽古によって
より「感応」の世界が明示されていくのは新鮮である

それにしても、雨に濡れた庭を望みながらお茶の稽古ができるとはなんと贅沢な
雨の中、道具を運び入れるのは大変だったが、この梅雨の時期にお茶の稽古を入れて正解だった
私も亭主の座にすわり、気持よくお茶を点てさせていただいた


























いつかお茶について書いたものがあったはずだと探してみたらここに置いていた
興味のある方はどうぞ


2012年6月28日木曜日

6月の読書

梅雨時は読書時、のようです

社長・溝畑宏の天国と地獄* 木村元彦 集英社 2010
困ってるひと 大野更紗 ポプラ文庫 2012
 こんなドライブ感のある文章と出会ったのは久しぶりだ
風雪の檻* 藤沢周平 講談社文庫 2002
飼い喰い* 内澤旬子 岩波書店 2012
母の遺産 水村美苗 中央公論社 2012
短歌の友人 穂村弘 河出文庫 2011
春秋山伏記* 藤沢周平 角川文庫 1984
なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか* 想田和弘 講談社現代新書 2011
僕が2ちゃんねるを捨てた理由* ひろゆき 扶桑社新書 2009
春秋の檻* 藤沢周平 講談社文庫 2002
ドラゴン・ティアーズ* 石田衣良 文藝春秋 2009
田舎暮らしに殺されない法* 丸山健二 朝日新聞出版 2008
女子学生、渡辺京二に会いに行く* 渡辺京二x津田塾大学三砂ゼミ 亜紀書房 2011
働かざるもの飢えるべからず。* 小飼弾 サンガ 2009
島国チャイニーズ* 野村進 講談社 2011
キップをなくして* 池澤夏樹 角川書店 2005
日本的感性 佐々木健一 中公新書 2010

2012年6月25日月曜日

つらつらと

だらだらと、あるいは、つらつらと書いていくというスタイルが思いのほか、いまの自分に適っていることを発見してしまったので、しばらく、こんなスタイルで、とりとめのない文章を書いていこうと思う。

野口晴哉公式サイトというのが立ち上がったことは、何日か前、このブログでもアナウンスした。私のところに「いいですね!」と感想を送ってくれる人もいるが、サイトを見れば分かるように、制作、野口晴哉公式サイト制作チームとある。整体協会も身体教育研究所も全生社も「制作協力」という立場で名を連ねているだけである。じゃあ、制作チームって誰だ?

整体協会とのつながりは、もう35年くらいになるのだが、私は生前の晴哉先生と会ってない。タイミングを外すというのは、僕の特技ではないかと思っているくらいなのだが、整体協会に入会したのは、晴哉先生が亡くなって数年後のこと。つまり、僕の出発点は「野口晴哉を知らない世代は、どのように整体を学びうるのか」という一点にある。はっきりいって、晴哉先生を知っている人たちは、それだけでo.k.なのです。それに比べて、出遅れてしまった私など、それだけでハンディを負っている。整体の勉強などまったくしたことのない私のカミさんは、なぜか生前の、しかも下落合時代の野口先生と会っている。それだけで、家庭内においてすら、カミさんは僕よりも優位な位置を保持している(笑)。

余談だけれど、なぜうちのカミさんが下落合の道場に行ったかというと、そこでお姉さんが働いていたからというだけの話。私にとっては義姉になるのだけれどTさんという。はい、泣く子も黙るTさんです。御年71歳のはずーと年齢を書いてちょっと違和感があるくらい若いなーだから、整体協会歴は50年+のはず。整体協会が社団法人になってからは、そこの職員ということになるのだけれど、そもそもの始まりは、洋裁をやっていた晴哉先生の妹さんところで働くことになったのがきっかけのようで、それが横滑りして晴哉先生の秘書みたいな立場になっていったらしい。雑談の中で、当然、晴哉先生の話は山のようにでてきて、面白い話もいっぱい聞いた。何度か録音機を回して話を聞こうとしたことはあるのだけれど、ダメですね。僕はインタビュアーとしては優秀なはずなのだけれど、ことT姉はダメです。ちょっとでも改まった感じがあると、何も出てこない。古い指導者もどんどん亡くなり、整体協会前史を知る人はどんどんいなくなってるから、今のうちにだれか、ちゃんと話を聴いておいたほうがいいですよ。

僕が整体を学び始めたころというのは、晴哉先生をよく知っているという人たちが大勢いたわけだけれど、その人達の話をいくら聞いても「私は野口先生に可愛がってもらった」ということは伝わってくるが、「群盲象を評す」ようなもので、晴哉像はいっこうに焦点を結んでくれない。結局のところ、偶像化だけがどんどん進んでいく。

つづく