2014年10月23日木曜日
雑感1
AppleとFacebook、女性従業員の卵子凍結費用を支援というニュースを見て、ああ、来るべき時代が来てしまった、という感慨を持つと同時に、これから先、ネットとどう付き合っていけばよいのか、深く考えさせられることになった。彼ら=米国のIT企業=がインターネットによって実現しようとしている世界において、生殖技術によって生命をコントロールしていくことは、「自明」のものとして、あらかじめ組み込まれているわけで、「インターネットを使ってるってことは、生殖技術も認めるんでしょ」という世界観(宗教観と呼んでもよい)に飲み込まれないためには、相応の理論武装が必要になる。(以前読んだ、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力 』(池田純一著 講談社現代新書)には、ここらあたりの事情が書かれている)
2014年10月17日金曜日
2014年10月13日月曜日
臥法
ロイ先生が亡くなって二ヶ月
本部道場ではじまった稽古会風なコマ割りが話題に上がる
整体協会の総監督がダン先生になったことで
整体指導室と稽古場の関係はこれから先どのようになっていくのか
確かに一組織二制度で活動してきたのに頭が同じになっちゃった、というのは妙である
このあたり皆さん気になるらしい
人が行き来することで風通しがよくなれば
それはそれで喜ばしいことだと思うが、
かといって、これまで別々に活動してきたものが慌てて一つになるとは考えにくいし
また、その必要もないだろう
十年先、二十年先の、次の世代のことは分からないけれど
稽古場でやっていることを極論すれば
接触以前に焦点を当てているところだろう
手を触れて、そこから何かがはじまるのではなく、
触れる前に何が行われるべきかの追求
整体指導者って坐るのが仕事なわけで、
坐法でなくても、それぞれ工夫をしてきているはず
鍵になるのは臥法だろう
たとえば操法を受けに来た人に臥法を求めるかどうか
これがあるかないかで、指導者と会員との関係性はまるで違ったものになる
臥法は稽古場にぜひとも取っておいてもらわねば
次、ダン先生に会った時にお願いしておこう
本部道場ではじまった稽古会風なコマ割りが話題に上がる
整体協会の総監督がダン先生になったことで
整体指導室と稽古場の関係はこれから先どのようになっていくのか
確かに一組織二制度で活動してきたのに頭が同じになっちゃった、というのは妙である
このあたり皆さん気になるらしい
人が行き来することで風通しがよくなれば
それはそれで喜ばしいことだと思うが、
かといって、これまで別々に活動してきたものが慌てて一つになるとは考えにくいし
また、その必要もないだろう
十年先、二十年先の、次の世代のことは分からないけれど
稽古場でやっていることを極論すれば
接触以前に焦点を当てているところだろう
手を触れて、そこから何かがはじまるのではなく、
触れる前に何が行われるべきかの追求
整体指導者って坐るのが仕事なわけで、
坐法でなくても、それぞれ工夫をしてきているはず
鍵になるのは臥法だろう
たとえば操法を受けに来た人に臥法を求めるかどうか
これがあるかないかで、指導者と会員との関係性はまるで違ったものになる
臥法は稽古場にぜひとも取っておいてもらわねば
次、ダン先生に会った時にお願いしておこう
2014年10月11日土曜日
和解
夫婦とは異化である
故に、軋轢葛藤は、夫婦間に於いてデフォルトである
かつ、お互い至近距離にいるため、殺傷力は強力である
その異化から始まる関係のなかで
同化を探っていくこと
これを「結婚生活」と呼び
共同作業によって、同化領域を増やしていくこと
これを「練る」という
とはいえ、
その同化のための共同作業は
年を経るにつれ減ってゆき
同化しきれなかったものが堆積沈殿してゆく
これを「諦めの境地に入る」という
ところが、その沈殿物はやがて腐敗発酵しはじめ、
長い時を経たのち、たとえば病気の形をとって発動する
しかし、これもまた、同化に向かおうとするはたらきなのだ
人間ってほんとやっかい
和解は可能か?
このまま、和解なきまま離別することになるのか
最期の一ヶ月を過ごす前まで、そんな風に半ば諦めていた
ところが
あの汗とあの熱とあの最後の大欠伸によって
僕らの間にあったわだかまりという名の沈殿物を大掃除して妻は逝ってしまった
まったく見事だよ
和解は可能だ
故に、軋轢葛藤は、夫婦間に於いてデフォルトである
かつ、お互い至近距離にいるため、殺傷力は強力である
その異化から始まる関係のなかで
同化を探っていくこと
これを「結婚生活」と呼び
共同作業によって、同化領域を増やしていくこと
これを「練る」という
とはいえ、
その同化のための共同作業は
年を経るにつれ減ってゆき
同化しきれなかったものが堆積沈殿してゆく
これを「諦めの境地に入る」という
ところが、その沈殿物はやがて腐敗発酵しはじめ、
長い時を経たのち、たとえば病気の形をとって発動する
しかし、これもまた、同化に向かおうとするはたらきなのだ
人間ってほんとやっかい
和解は可能か?
このまま、和解なきまま離別することになるのか
最期の一ヶ月を過ごす前まで、そんな風に半ば諦めていた
ところが
あの汗とあの熱とあの最後の大欠伸によって
僕らの間にあったわだかまりという名の沈殿物を大掃除して妻は逝ってしまった
まったく見事だよ
和解は可能だ
2014年10月4日土曜日
句会
句会デビューしてきた
といっても、父の付き添い
孫たちが交互に付き合うことが多かったが、
9月は手が足らず、図らずも私に出番が回ってきた
私の妹も付き添ったことがあるから一家総出(笑)
いろんなものを諦めて諦めて
最後に残ったのが俳句だよね
ということは家族みんなに共有されているから
「おじいちゃん厳しい」といいながら孫たちも付き合ってくれている
さて句会
なかなかの集注感
三時間の会が終わったときには、結構ぐったり
予め父には、俳句持って来なさいよと念を押されていたから、
いくつか持参
人前に自分の句を晒すのはためらわれたが、
いったん自分の手を離れると客観的に見れてしまうのは面白い
介護真最中だったから、
その風景を言葉に落とし込もうとしていただけ
指通信たれと話すや夢十夜(和)
お題の月の句もひとつ用意したのだが、
あまりにもベタな句なのでここには載せず、
代わりに父の句を紹介しておく
月今宵兎は波の上走る (昧波)
会の最後、「10月の兼題は昧波さんに」、と振られて
即座に「新」で行きましょうと応じた父
この秋の季節に「新」?といぶかるも、
いざ、10月になってみれば、確かに「新」という語がふさわしい
9月17日のことである
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