2015年5月9日土曜日

前にすすむ

5年連用日記を使っていて、
しかも、今年がその二年目だったりすると、
新たに書き込む度に、去年の同じ時期、自分がどこでなにをやっていたか
思い出されてくる
自分のことそっちのけで走り回っていた日々

それに比べ、今年の寄る辺のなさ
寒くて中断していた荷物の整理を再開させたのだが、
手紙や写真に行き当たると、そこで立ち止まってしまう
でも、唯一、モノを捨てていくことが前に進む方法のように思える

街に出れば、人々は忙しく立ち働いている
楽天バブルに賑わう二子玉川などに降り立てば、そこはもう別世界
でも、家の中の時間は、限りなく止まっている状態で、
平穏といえば平穏
のんびりしていた娘も動き始めたようで、
僕一人、街角に佇んで、車や人が行き交う様を眺めている
そんな風情だ

とはいえ
痒痒記に書いた変動は進行中で、
これもまた自分が前に進んでいるという実感をもたらせてくれている
七割がた終わったかなという感じ
明け方の発汗は続いている
うつらうつらしたら、汗で目覚め、
下着を替えて、ここから本格的な眠りに入るのだが、
時間はもうすっかり朝なので、仕方なく起き出すことになる
眠らなくても人間生きていけるものである
今は指の股が角質化して
それがボロボロと落ち始めている
やはり胸の系統
一側系の操法など苦手にしていたが、これで少しは上手になるかもしれない

半年一年といったスパンで変化を眺められれば、
大概の問題は問題ではなくなる
いわんや百年単位で眺めれば、
問題というものはほぼ無くなってしまう

2015年5月2日土曜日

5月1日

たまには、どんな一日を過ごしたか記録しておくのもよいだろう

8時頃起床
胸と脚と腕に発汗
いそいで下着を取り替える
後頭部にも汗をかいている
発熱しているわけではないのに、汗をかく不思議

ゴミ出し
石川から持ち帰った洗濯物を洗濯機に投入
朝食は、娘が買ってきていた甘食パンに紅茶

ご無沙汰している大阪の叔母たちに電話
Mくんからも電話来る

洗濯物を干し終えてから外出
セブンイレブンで明日F夫妻と行くことになっている多摩川クラシコの前売チケット購入
クリーニング屋に冬物ジャンパーを出す
郵便物投函
本屋に立ち寄って、「反知性主義」(森本あんり著 新潮選書)を購入

お腹すいてきたが、夕食は焼肉の予定なのでたくさん食べないほうがよさげ
冷蔵庫にシラスが残っていたので、シラスとキャベツのペペロンチーノ
しっかり食べてしまい、眠くなる
ここのところ続いている寝不足のせいか、ソファーに横になると眠ってしまう

地下鉄で横浜
切らしているお茶を買っておこうと、高島屋地下へ
一保堂をみつけ、ほうじ茶と一番安い煎茶
チーズも買っておかねばと、ルミネ地下の成城石井を目指すが、迷ってしまう
横浜駅人多い...
チーズとウーロン茶購入

Iくんから「こんなところにD先生の写真が出てますけど〜」というメール
ほんとだ、公開講話の時に撮られた写真みたい

美女二人と焼肉会食
寡夫(婦)も独身であるのか、と訊かれ絶句
人と一緒に飯を食うというのは楽しい

帰宅
反知性主義を読み始めると止まらなくなる
タバコを吸いに台所に降りてきて、パソコンを開いてこの文章を書いていると
いきなりFaceTimeが起動する
時刻は2時半
Tくん
「操作間違えました」とのことだが、タイミングのよさに驚く
こんな時間なのに、小金井公園で仕事中だという

近年になく盛り沢山な一日
もう5月なのか

2015年4月29日水曜日

4月の読書

紳士協定-私のイギリス物語* 佐藤優 新潮社 2012
波の音が消えるまで*(上・下) 沢木耕太郎 新潮社 2014
コーダの世界* 澁谷智子 医学書院 2009
永続敗戦論 白井聡 太田出版 2013
有次と包丁 江弘毅 新潮社 2014

2015年4月28日火曜日

痒痒記


1
皮膚からの排泄というのはこれまであまり経験したことがなかったから、今年に入ってから続いている原因不明の痒みには少々というか大分参っている。皮膚というのは神経系の反映されるところだし、また胸の系統でもあるから、一昨年来続いている精神疲労が皮膚からの排泄として起こっていると考えるのが妥当なところ。文字通り体中ー手足、腹、胸に麻疹状のものが出てきて、痒くて仕方ない。痒みにこんなにも種類があるとはしらなかった。ピリピリ、チクチク、ゾワゾワ...。アトピー等皮膚系の問題をかかえている人への共感度は増した。

2
父の最期、脱水症状からくる、皮膚の痒みをずっと訴えていた。医者が処方する軟膏を塗りたくって痒みを抑えていたのだが、今回の麻疹騒動は、まるで父の痒みを僕が受け継いだかのようだった。そう考えれば、この痒みと向き合おうという気にもなる。ただ、予想よりもずっと長びいている。痒みが出てきて、それが疱疹を形成しはじめ、中心に核がつくられ、それが時間とともに固まって、そして剥落していく。これの繰り返し。一月にはじまった痒みは二月がピークで、痒みで明け方まで眠れない状態が続いた。三月に入って少し落ち着いてはきたものの、一進一退。微熱がずっと続いているような状態だ。まあここまでが第一段階。

3
4月に入ってから、明け方、胸に汗をかくようになった。半端なかきようではなく、文字通りぐっしょりといった状態で、日によっては二回下着を取り替えるほどの汗である。腕にも汗をかくようになった。ある日、やや熱が出てる感じがしたので、体温計を引っ張り出して測ってみると、なんと9度の熱。発熱するの十年ぶりくらいのことではないかな。この風邪を上手く経過させれば変わりそうだと、丁寧に身体を見ていったのだが、体温が平温に戻った後も、明け方の発汗は続いた。

4
風邪は一段落したものの、皮膚に関しては大きな変化はない。ここから、予定していたベトナム行きが始まってしまうのだが、タイミングとしてよかったかどうかは疑問。直前キャンセルということもできたのだが、この気候の変化がどういう影響を与えるか、自ら人体実験する方を選んでしまった。もともと今回のベトナム行きには、季節を前倒しするという目論見もあった。今年4月の花冷えは尋常ではなく、中旬まで桜の花が枝にしがみついていた。そんななかでのベトナム行き。10℃~20℃の世界から、一気に25℃~35℃の世界へ。

5
ベトナムに着いてからも明け方の発汗は続いた。日常から離れるのはいいとしても、持ち合わせの下着の数は限られてくるから、洗濯をどうするという問題が出てくる。そして冷房への対処法。暑い国において、冷房というのは大体において過剰。昼間の起きている時間帯であれば、上着を羽織ることで対応できるのだが、問題は夜。どれくらい冷房をコントロールできるかという設備面は、宿のランクによって随分違ってくる。一箇所目のホイアンという町で泊まった宿は石造りということもあって冷房はいらなかった。問題は、二番目に泊まったフエの宿。フエという町はちょっと内陸にあるせいか、暑さが半端なく、また夜になっても涼しくならない。仕方なく冷房に頼ることになるのだが、この冷房設備が古くて細やかな制御ができない。汗かいているところに冷房が直に当たるのだけは避けたい。当初の予定を切り上げてダナンに移動することにした。ホテルのランクも少し上げることにした。


発汗のプロセスというのは面白い。外気温とはあまり関係ない。明け方になると汗をかく。一気にどっと汗が出てくるのだが、皮膚の深いところから汗をかいている感じはあまりない。汗をかいて、それを拭き取って着替えると、そこからやっと深く眠れる。だから仕事以外で午前中の予定が入れづらい。休みの日など、気がつくとお昼だったということもある。身体は確実に変わってきている。勿論、改革されて来ているという意味だ。さて、あとどのくらい時間がかかるか、まだ分からないが、当分、この痒みと付き合っていくことになりそうだ。

2015年4月27日月曜日

はじめてのベトナム 2















はじめてのベトナム 1

ベトナムに行ってきた
そもそもの経緯はダナンを参照のこと

【ホイアン】
ベトナム中部のホイアンという街にやってきた
その昔、江戸幕府が鎖国政策を取るまで、この地に日本人町が形成されるほど大勢の日本人が暮らしていたそうである
古い町並みが残されている小さな街で、
水が近くにあるせいか、昼間の暑さに比べ、夜は過ごしやすく、
日が落ちると、人がどこからか湧いて出てくる
のどかな田舎町の空気が流れていた
日帰りでミーソン遺跡も訪ねてきた
アンコールワット同様、この地にもヒンドゥー文化が栄えていた時代があったのだ





























【フエ】
観光するにも体力がいる
が、その体力がない
しかもフエの暑さは半端無く、夜も気温が下がらない
それよりもなによりも、中国を模した王朝の歴史に興味がないことを発見
そうそうにダナンに移動





















【ダナン】
ダナンは活気のある地方都市
二日間、食べ歩いていたな〜




2015年4月10日金曜日

永続敗戦論

■読みたい、或いは読まなきゃと思っていても頁を開く勇気を持てない本がある。「永続敗戦論」もそんな一冊で、いずれ読まなくてはと思いながら、なかなか手にすることのできない本だった。書評やいろんな人の紹介、意見を見ながら、きっと自分が読みたい内容がここにある、ということは重々承知していても、「読んだあと、顔面に強烈なパンチを見舞われ、あっけなくマットに仰向けに倒れこむ心境になった。」(水野和夫)にはなりたくなかった、ということなのだ。■311のあと、この国の当事者能力のなさを目の当たりにして、「我々は信託被統治国になるのが相応しい」と心底思った。その後、様々な書籍等で明らかになったのは、「日本はそもそも独立国ではなかった」という身も蓋もない現実で、生きる気力をなくしてしまうほどであった。そんな状態のなか、憲法成立の過程を辿ったり、安保関連の本を読み進め、ようやく「永続敗戦論」に辿り着いた。311から4年、この本が出版されて丸2年になっていた。私が買ったものも奥付けには18刷となっているから、5万10万の人たちがこの本を読んでいることになる。■はい、読みたい内容はすべて書かれていました。結局、昭和天皇と大岡昇平のやりとりに尽きる。