2015年10月8日木曜日

開設準備

 引っ越してきて二週間近くが経ち、ようやく生活できる状態になってきた。ここから稽古場部分の整備をはじめなくてはならない。まずは毛氈の注文。以前(といっても随分前のことなのだが)に比べ2〜3割値上がっている。お店の話だと、来月になると、さらに三割くらい上がることになるらしい。あとは、照明と窓の明かりをどうコントロールするか。やっぱり、稼働できるのは今月下旬になりそうです。
開設準備中のこの等持院稽古場、基本定員3名の全予約制で運営していく予定です。皆さんをお呼びしての「道場開き」は行いません、というか物理的に行えません。だから、じょじょに稽古しに来ていただくことで、ゆっくりここの存在が周知されていく、みたいなかたちが一番よいです。稼働前の見学も歓迎です。
 また、稽古日程の告知等は、このブログを通して行おうと考えています。大井町の稽古を担当していたときには、大井町稽古場独自のブログを立ち上げて、そこでいろんなお知らせを載せていたのですが、等持院稽古場に関しては、このブログに同居させていきます。文字通りの「公私混同」ですね。このブログの右下に等持院稽古場という項目を追加したので、時折、チェックしてみてください。

2015年10月4日日曜日

人力移動

 京都に越すというと、「終の棲家ですか?」と尋ねられることがあるが、「いや、5年間のロングステイです」と答えることにしている。いつからか「終の棲家」「定住」といった考えは捨ててしまった。30年前、京都で暮らしていた時には、基本、「学生・外国人」コミュニティの中を移動していたから、地元とのつながりは少なかった。それに比べれば、今回の京都住まいは、ひとりの大人として住み始めたわけで、逆に、若いころ体験できなかった「隣組」的な付き合いも、ひとつの「異文化体験」として愉しめそうな気がするのだ。

 こっちに来る前は、どんな田舎に住むことになるのかと心配していたが、杞憂だった。ここは閑静な住宅街なのだが、そこを学生たちがぞろそろ歩き、自転車に乗った学生たちが傍若無人に道路を走っている。立命館大学のお膝元なのだ。学生相手の定食屋なども結構な数あって、しかも夜遅くまで開いているから、お世話になることもあるだろう。というか、何日か前、お腹空いて仕方ないので、通りがかったハイライト(これって、百万遍にもなかったか?)というお店に飛び込んで、豚しゃぶ鍋定食を頼んだ。丼と呼べるサイズのプラスチックの茶碗に扮われたご飯のべちゃべちゃ感はともかく、620円は安い。徒歩10分の白梅町に行けば、大きなスーパーもあるから、暮らしていくのに不自由はなさそうだ。

 はじめての街に着いたら、ひたすら歩き回るというというのが、僕の旅のスタイルだが、これは今回の京都暮らしをはじめるに際しても同様で、必要に迫られてという部分は大きいけれど、随分、歩きまわっている。これに自転車移動が加わるから、人力移動の距離は、横浜で暮らしているときに比べ、格段に増えている。徒歩で2キロ圏、自転車で5キロ圏といったところだろうか。電車通勤しなくて済む生活というのはいいです。

(等持院の山門 この門をくぐった向こう側に住んでいます)

2015年10月1日木曜日

まずは一服

怒涛の9月をなんとか乗り越え、10月に入った
これから少しづつ稽古場としての体裁を整えていくことになるが、
まずは、生存していくための居住空間と台所をなんとかせねばならない

なにがどの箱に入っているか定かでないので、ひとつひとつの仕事に時間がかかる
探しものをしているうちに、もう一つの仕事を発見してしまい、
そもそも僕はなんのために、この箱を開いたのだろう
という最初の目的を忘れてしまうことも多い
結果として、無駄に家の中をウロウロするばかりで、一向に片付けははかどらない

お抹茶と茶筅が出てきて、しかも研修会館から頂いてきた和菓子があったので、
まずはお茶を一服点てることにした
すると、今度はお菓子を載せるお皿を探すことになる
お懐紙でもあれば、それでいいのだが、それも見当たらない
なんとか漆の小皿をみつけだしお菓子をのせ、超略式でお茶を点てる
思いの外、柔らかく美味しいお茶が点てられた
琵琶湖の水は期待できないと思っていたのに、横浜の水道水よりよほどおいしい

























築年不詳のこの家、後から大分手を入れられてはいるが、
随所に昔の姿を留めている
まず、見つけたのが鴨居から対角線上に飛び出ているL字型の金具
これは蚊帳用のものですね
昨晩訪ねてきてくれたダン先生
台所をみるなり、「ここは土間だったんだ〜」と感心し、
風呂場の風呂桶の深さに、「ここには五右衛門風呂があった」
と懐かしげに話されていた
そう言われれば、まったくその通りで、
たしか平成15年に大改装と不動産情報に書かれていたから、
それまでは、昔のかたちが、そのまま残っていたのかもしれない

2015年9月28日月曜日

前にすすむ 12 − 引っ越し

雨の金曜日、荷物を運び出す
お手伝いに来てくれたカンナさんに感謝
たちも来てくれたのだが、どうも当事者感に欠けている
そう、これは僕の引っ越しなのだ
引越業者のトラックが出た後、ご近所の方たちに見送られ駅に向かう
カフェ32°Fに立ち寄っていつものカフェオレ
新横浜から新幹線で京都
パレスサイドホテルにチェックイン
先発した娘たちは、家の状況を確かめにいってくれたらしい
奇しくもこのホテル、28年前、結婚式のお願いに亀岡西光寺を訪ねたときにカミさんと泊っている

土曜日天気は晴れ
早起きして等持院へ
まもなく引越屋さん現れ、荷物搬入開始
当然のことだけど、みなさん京都弁を話す
戸村さんも手伝いに駆けつけてくれる
大型家具は仏壇とチェストひとつくらいなので、搬入はスムース
2時間ほどで搬入完了
収納スペースはたっぷりあるので、荷物に埋もれてしまう感じはない
一区切り付いたところで、ご近所への挨拶回り
六請神社にお参りし、等持院を拝観
横浜で住んでいたところは、コンビニ・スーパーまで徒歩2分だったけど、
ここでは、神社・お寺まで徒歩2分だ
その足で、ダン先生に教えてもらった龍安寺駅近くのうどん屋へ
家から徒歩10分かからない距離になる
修養講座に出ていた山中さん来宅
訪問者第一号

日曜日
夜は静かだったし、昼間も静かだ
前日お留守だったご近所を周り、挨拶完了
池田さんが自転車をくれるというので烏丸丸太町の池田医院を目指す
バスと地下鉄を使ったのだが、乗り継ぎで歩く距離が長く、京都の人がタクシーをひんぱんに使う気持ちが分かった
帰京する娘と別れ、自転車で自宅に向かう
自転車を漕いでいると、この街を自転車で走り回っていた20代の記憶が蘇ってくる
20分ほどでたどり着く
このヒューマンスケール感が心地よい
暗くなってから徒歩で研修会館を目指す
google mapsのナビに従うと、まあ、細い路地をくねくねと歩くことになった
研修会館が徒歩圏内にあるって不思議な気分
大きな月が出ている
やることはいっぱいあるが、ひとつづつ片付けていくしかない
明日から、いや今日から三日間は稽古会だ

2015年9月25日金曜日

お茶

 お茶のお稽古だけはもう一度行っておきたかった。荷造りの目処が付いたので、橋さんにお願いして菊名のお茶室にお邪魔した。五十の手習いではじめ、十年と少し通ってきたことになるが、結局、お点前の作法を覚えられないダメ生徒で終わってしまった。
 稽古のあとお昼に誘っていただいたのだが、同席してくださったご主人との会話はいつも愉しい。一家でニューヨークに駐在されてた1960年代の話はとくに面白い。JFKが暗殺された時期であり、ベトナム戦争が拡大していた頃のこと である。私が経験したのは十年後の米国なのだが、橋さんの話を聞いていると、アメリカにとっても激動の十年だったことがわかる。
 どこかにお茶の稽古について書いたものがあったはずだとリンクを探ってみた。あるにはあったが、なぜだか文字化けしてしまうので、長文だけどそのままここに貼り付けることにした。長期休刊中の季刊独鬼に掲載されたものです。整体を学んでる方、お茶の稽古をしましょう。杉浦先生、名前を晒してごめんなさい。


瓦を磨く日々 ー お茶を稽古する


 長く生きていると、じつにいろんなことが起こる。五十歳すぎてからお茶を習い始め、それが四年たったいまも続いているなどということは、かつての自分からは空想もできなかったことである。最初の二年は、杉浦くんと二人で月二回、せっせと橋さんのところに通った。盆点前で、袱紗さばきにはじまり、お茶の点て方を一通り教わった。むさくるしい男二人を前に、橋さんには、ご苦労をおかけしたが、こちらも、お茶と毎回かわるお菓子を目当てに通っていたようなもので、小さな子供が、お菓子食べたさにお茶のお稽古に通ったという話を笑えない。盆点前とはいえ、お茶の基本的な所作はすべて含まれているわけで、通しでやるとなるとなかなかむずかしい。もともとなにかを覚えようという意欲が乏しく、そのうえおさらいなど一切やらないので、一年たっても二年たっても上達したという自覚をもてない。稽古場では動法を教える立場であるのに、橋さんの前では、「ちゃんと脇を張って」などと叱られてばかりである。叱られる心地というのは、なかなかよい。
 それでも半年を過ぎ、一年が近くなり、ひととおりの点前を終えると、今度はお茶会を開きなさいと言い渡されることとなる。デパ地下のお菓子売り場に、客に出すお茶菓子を買いに行くところからはじめ、客を迎え、その前でお茶を点て、喫していただく。私が呼んだのは自分の家族であったとはいえ、緊張しまくり、それでなくてもあやうい所作を飛ばしまくる。ほとんど学芸会の児童状態。亭主の役を務めたとはいえ、脇に橋さんがいなければ成り立たなかったお茶会であった。お茶会が終わると、今度は稽古の場がお茶室に移る。盆点前と同じよと言われるものの、盆点前でやったことではまるで歯が立たない。厳しい。水屋で茶道具の用意をして、それらをお茶室の中に運び込むところからして難題つづき。ただ手順が複雑になるぶん、点てられるお茶の味は歴然と変わる。お茶の世界における音というのは、じつに不思議で、お茶碗に茶筅をコツリと当てる、柄杓を水蓋の上に、コッと置く、柄杓からお茶碗にお湯を注ぐ、あるいは客がゴクリとお茶を飲み干す。このような一連の音によって、風景が進んで行く。最初聞こえていた屋外からの人の声、車の音が遠のいてゆき、静かな集注の世界に入っていく。はじめがあり、途中の展開があり、そして終わりがやってくる。これがお茶の醍醐味なのかもしれない。
 動作がつかえる時がある。時々ではなく始終ある。手順がうろ覚えということもあるが、たいがい何か違うことをやろうとしている時に止まる。しかたなく、そこでしばし佇んでいると、「こっち」という道が見えてくる。そっちに動き出すと、「ああ、こっちなのだ」と体がついて動いていく。そうはじめに流れありきなのだ。流れの中に自分の所作がぴたっとはまると、すらすらといく。どうしてこれが整体でできないんだと、つくづく思う。

 お茶室に入って一年もたたないうちに、杉浦くんは名古屋に稽古場を開くことになり、以後、橋さんと一対一の稽古になった。それからすでに二年がたつ。

(初出 『季刊独鬼』 2008年4月)


2015年9月24日木曜日

9月の読書

引っ越しを控えているので(明日だ!)今月は早目に。
あざみ野という街に暮らし続けた第一の理由を図書館が近かったことに帰したとしても、そう外れてはいない。活字中毒者にとって、図書館の存在というのはありがたいもので、この欄に載せている書籍の大半(*を付けているもの)は図書館から借りてきたものである。もし、図書館がなければ、私の乱読生活は成立しなかったし、家計的にも破綻していただろう。京都の公立図書館事情を調べてみると引っ越し先からは遠く、気楽に図書館に通うという生活は望めそうもない。「大学の図書館もありますよ」と教えられて調べてみたら、近所の立命館大学は図書館を有料で一般市民に開放しているらしい。これはありかもしれない。大学生に混じって図書館に座っている自分の姿は空想できないが、一度訪ねてみる価値はありそうだ。

恋するソマリア* 高野秀行 集英社  2015
 横浜市立図書館で借りる最後の一冊。高野秀行最高!
結婚のアマチュア アン・タイラー 文春文庫 2005
 週刊文春のコラムで小林信彦氏が取り上げていた一冊。イタイ。アン・タイラーって、クエーカーの家庭で育ったのね。

2015年9月22日火曜日

いつかは

いつかはやってくるであろうその日は唐突にやってきた
いまどきの娘が「お嫁にいく」なんて言葉を使うとは思わなかったが
一年前の今頃、妻の通夜葬儀で動揺しまくっていたことを思うと、一年で人生こんなに進んじゃうんだと感嘆するしかない