ある集注に入っている女性に
この単語はマジックワードであった
この単語を発したとたん、さっと掴まれてしまった
なにこの速度
ちょっと舐めてた
どう考えても、
私に反応したというより、
この単語に反応したとしか思えない
30回くらい念を押したのだが、異存はないという
観念することにした
世の中には年齢識別機能不全の女性が千人に一人くらいはいるらしい
いや、常識という歪んだメガネをかけない自由な人というべきか
人生三巡目のはじまりです
sunajiiファンの皆さまごめんなさい
悠悠自適よサヨウナラ
2018年7月1日日曜日
2018年6月29日金曜日
2018年6月26日火曜日
Part 3 - Keep on moving
三年前の6月末、ずいぶん久しぶりに京都の稽古会に参加した
休憩時間、研修会館の北側に設けられた喫煙場所で徳岡さんと並んで煙草を吸いながら、
「いつか関西に戻ってきたいな〜」と呟いた
三ヶ月後、京都に住んでいるなんて、その時は知る由もない
二年前の6月末、初回のせうそこを等持院稽古場で開いた
安森さんを話し手として迎え、僕は聞き役だった
はじめての孫が生まれたのもこのときだ
一年前の6月末、そのころは3月末にやったせうそこ3の編集真っ只中だった
話し手としてせうそこに関わることで、「喪が明ける」ことを悟った
一歩一歩俗に戻っていくことに私自身が狼狽していた
それから一年が過ぎた今年の6月末
三年前一緒に煙草を吸った徳岡さんがせうそこ6の話し手として等持院に現れる
そして、俗に還ってきた私は大きな転機を迎えている
なんだか、せうそこに背中を押されて、ここまでたどり着いた感じがはんぱない
三年あれば人生変わる
いや、三ヶ月あれば、十分だ
Keep on moving
休憩時間、研修会館の北側に設けられた喫煙場所で徳岡さんと並んで煙草を吸いながら、
「いつか関西に戻ってきたいな〜」と呟いた
三ヶ月後、京都に住んでいるなんて、その時は知る由もない
二年前の6月末、初回のせうそこを等持院稽古場で開いた
安森さんを話し手として迎え、僕は聞き役だった
はじめての孫が生まれたのもこのときだ
一年前の6月末、そのころは3月末にやったせうそこ3の編集真っ只中だった
話し手としてせうそこに関わることで、「喪が明ける」ことを悟った
一歩一歩俗に戻っていくことに私自身が狼狽していた
それから一年が過ぎた今年の6月末
三年前一緒に煙草を吸った徳岡さんがせうそこ6の話し手として等持院に現れる
そして、俗に還ってきた私は大きな転機を迎えている
なんだか、せうそこに背中を押されて、ここまでたどり着いた感じがはんぱない
三年あれば人生変わる
いや、三ヶ月あれば、十分だ
Keep on moving
2018年6月19日火曜日
Part 3 整える
その日、何を稽古していくか決まらないことはある
では、それが定まらない時、どうするか
古いノートを引っ張り出してくるのも一案だが、掃除をはじめることの方が多い
つまり、場を整えて、やるべきことが「降りてくる」のを待つ
場を整える
稽古の場を俗から切り離す
稽古の場を生活の場から分離させるというのは、常識といえば常識
等持院で稽古場をはじめるときに腐心したのはこの一点に尽きる
ただ、平屋建て一軒家
生活の場を稽古の場から分離させることは物理的に無理なのだ
ぼくが採用した戦略は、すべてを開け放つこと
ドアは閉めないー書斎は男性用の更衣室となる
台所も開放するー実際、喫煙場所でもある
僕自身を限りなく備品化させていく
これしかない
ただ、これが可能であったのは、僕自身が非性的な存在
として京都に降り立ったからでもある
演技するまでもなく、実際、そういう存在であった
ここ一年は、「俗に還ってきた」一年であった
では、「俗に還ってきた」私に、この稽古場を維持していくことは可能なのだろうか?
結構、瀬戸際な感じ
では、それが定まらない時、どうするか
古いノートを引っ張り出してくるのも一案だが、掃除をはじめることの方が多い
つまり、場を整えて、やるべきことが「降りてくる」のを待つ
場を整える
稽古の場を俗から切り離す
稽古の場を生活の場から分離させるというのは、常識といえば常識
等持院で稽古場をはじめるときに腐心したのはこの一点に尽きる
ただ、平屋建て一軒家
生活の場を稽古の場から分離させることは物理的に無理なのだ
ぼくが採用した戦略は、すべてを開け放つこと
ドアは閉めないー書斎は男性用の更衣室となる
台所も開放するー実際、喫煙場所でもある
僕自身を限りなく備品化させていく
これしかない
ただ、これが可能であったのは、僕自身が非性的な存在
として京都に降り立ったからでもある
演技するまでもなく、実際、そういう存在であった
ここ一年は、「俗に還ってきた」一年であった
では、「俗に還ってきた」私に、この稽古場を維持していくことは可能なのだろうか?
結構、瀬戸際な感じ
2018年6月13日水曜日
2018年6月7日木曜日
横川澄夫さんを囲む詩と歌の夕べ
山下佳代さんが頻繁に夢の中に現れてくるようになったのは、昨年の秋も深まった頃だが、それを運んできたのがユズルさんではなくて、別の人だと気づいたのは大分あとになってからのことである。
それはともかく、6月4日、誘われていた「横川澄夫さんを囲んでの詩と歌の夕べ」に顔を出してきた。実際のところ、横川さんとは直接の面識はなく、何度か自作詩を朗読されている姿を、おそらくほんやら洞かどこかでお見かけしたことがあるくらいの関係で、言葉をかわしたのはこの日がはじめて。ただ、水口きみやさん経由でいただいていた横川さんの「北白川のTの字交差点」(1994)という福本早穂さん編集の詩集はずっと本棚に並んでいる。
宮崎さんの乾杯の音頭の後、水口さん、ユズルさん、志津子さん、わくさん、昌子さんたちの歌と詩の朗読に続き、横川さん登壇。入れ歯を気にしながら何編かの詩を朗読。1930年生まれということは、御年88歳。かくしゃくとしたものである。そして、詩のタイトルは養生訓。「分からない言葉は使わぬがよい」というのはいいですね。ほとんど40年前の仲間たちが集った同窓会のような会であったが、この場に居られてよかった。
帰ってきて、横川さんの詩集を取り出し、その隣にあった山下佳代編「結婚パック」(1985)も引っ張り出し、ついでに、去年、ユズルさんにいただいた「レクスロス詩集」も出してきて並べてみた。「女子学生のためのレクスロス詩賞」入賞者を再招集するという企画も急遽浮上した模様。これは楽しみに待つしかない。
「結婚パック」のあとがきに、佳代さんはこんな風に書いている。「この一年間でずいぶん赤ちゃんが身のまわりにふえて、女性詩人にもお母さんがふえました。.... とりあえず、ここに出ている詩人たちが集まって朗読会、そこでわたしは子どもたちをあずかってニコニコして詩を楽しむのです。」 いまでは、その子どもたちが親になっているのだ。佳代さんが亡くなって29年になる。
それはともかく、6月4日、誘われていた「横川澄夫さんを囲んでの詩と歌の夕べ」に顔を出してきた。実際のところ、横川さんとは直接の面識はなく、何度か自作詩を朗読されている姿を、おそらくほんやら洞かどこかでお見かけしたことがあるくらいの関係で、言葉をかわしたのはこの日がはじめて。ただ、水口きみやさん経由でいただいていた横川さんの「北白川のTの字交差点」(1994)という福本早穂さん編集の詩集はずっと本棚に並んでいる。
宮崎さんの乾杯の音頭の後、水口さん、ユズルさん、志津子さん、わくさん、昌子さんたちの歌と詩の朗読に続き、横川さん登壇。入れ歯を気にしながら何編かの詩を朗読。1930年生まれということは、御年88歳。かくしゃくとしたものである。そして、詩のタイトルは養生訓。「分からない言葉は使わぬがよい」というのはいいですね。ほとんど40年前の仲間たちが集った同窓会のような会であったが、この場に居られてよかった。
帰ってきて、横川さんの詩集を取り出し、その隣にあった山下佳代編「結婚パック」(1985)も引っ張り出し、ついでに、去年、ユズルさんにいただいた「レクスロス詩集」も出してきて並べてみた。「女子学生のためのレクスロス詩賞」入賞者を再招集するという企画も急遽浮上した模様。これは楽しみに待つしかない。
「結婚パック」のあとがきに、佳代さんはこんな風に書いている。「この一年間でずいぶん赤ちゃんが身のまわりにふえて、女性詩人にもお母さんがふえました。.... とりあえず、ここに出ている詩人たちが集まって朗読会、そこでわたしは子どもたちをあずかってニコニコして詩を楽しむのです。」 いまでは、その子どもたちが親になっているのだ。佳代さんが亡くなって29年になる。
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